「この仕事ができなければ、もう死のうと…」78歳刺繍職人が生んだ“思いがけない作品”
テニスの現役を退いてから、“応援”することを生きがいにしている松岡修造。
現在は2020年に開催される東京オリンピック・パラリンピックに向けて頑張る人たちを、「松岡修造の2020みんなできる宣言」と題して全国各地を駆け巡って応援している。
今回、修造が応援に訪れたのは群馬県の桐生市。さまざまな絵が飾られているアトリエでミシンを操っていたのは大澤紀代美さん(78歳)だ。
このアトリエに飾られている絵は、大澤さんがミシンを使って描いた作品。よく見てみると、たしかに糸でできている。
これらの精巧な作品は、“ミシン”に秘密があった。
一般のミシンは針を上下にしか動かせないのに対し、このミシンは針を左右にも動かすことができるため、複雑な形でも自由自在だ。
“横振りミシン”と呼ばれるこのミシンでは、針の振り幅を膝のレバーで、速さを足元のペダルで調節する。
実演を目の当りにした修造は「浮き上がっているよ!浮き上がっている」と感嘆の声をあげる。
糸を紡いで立体的に…まさに、これこそが“横振りミシン”の真骨頂だ。
“横振りミシン”は日本独自のものだが、扱う職人は数少なくなっているのが現状。そんな中、2020年に向けて大澤さんは新たな思いを抱いている。
「世界中に知らしめるチャンス。コンピューターミシンの性能が上がってきましたから、かなり良いものが出来るようになりました。随分と辞めていった人もいました。でも、コンピューターには個性がないわけです。“横振りミシン”では、そこに個性と温かみが出せるわけです」(大澤さん)
◆「この仕事がないんだったら、生きていてもしょうがない」
和装などを彩ってきた“横振り刺繍”は織物の町、群馬県桐生市で一時代を築いてきた。
もともと画家を目指していた大澤さんは17歳の時、この町で“横振りミシン”と出会った。
以来、多い日には、なんと1日20時間も向き合うなど、人生を捧げてきた。
ところが33歳の時、原因不明の病魔に襲われた。
「左目が見えなくなりまして…目は刺繍にとってかけがえのないものですから、医者からも絶対できないと言われました。まず立体感がわからないと。医者に言われた時は、もう死のうと思って…。この仕事がないんだったら、生きていてもしょうがないと」(大澤さん)
生きがいだった横振り刺繍職人としての道が途絶えたと思い、死をも意識した大澤さん。
それでもハンディを覆すため続けた努力の先に、思いがけない作品を生み出した。それがこの「幽玄」だ。
「左目が見えてないんです。暗くなっているでしょ?あとで気づいたのですが、自分自身の投影だったんです」(大澤さん)
そしてこの「幽玄」が、刺繍職人への思いを決定的にした。
「がん患者の人が、たぶんもう自分はダメだろうと思って、『幽玄』の前で、ずっと座って見ていたら、すごく温かくなって…もう一度やってみます、と泣きながら話してくれたんです」(大澤さん)
人の心を動かすほどの作品を生み出した大澤さん。その技術が認められ、1996年には国から黄綬褒章を授与された。
大澤さんのできる宣言は「一度の人生!桐生の横振り、紀代美魂で世界を変えたい」。
「生きている以上は燃え続けたい」。大澤さんの言葉を受け、修造は「燃え続けてください!」と力強いエールを送った。<制作:TOKYO応援宣言>
※番組情報:『TOKYO応援宣言』
毎週日曜あさ『サンデーLIVE!!』(午前5:50~)内で放送、「松岡修造の2020みんなできる宣言」も好評放送中、テレビ朝日系