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俳優・やべきょうすけ、高校退学し芸能界へ。丹波哲郎に「一生ついて行こうと思った」理由

©テレビ朝日

映画『クローズZERO』シリーズの小柄で腕力も弱いが男気あふれる憎めないチンピラ・片桐拳役で人気を博し、TVドラマ・映画『闇金ウシジマくん』シリーズで山田孝之さん演じる丑嶋馨(ウシジマくん)の右腕・柄崎役でも知られるやべきょうすけさん。

北野武監督、三池崇史監督をはじめ、監督やスタッフ、俳優仲間から愛され「チンピラを演じたら右に出る者はいない」と言われるほど。近年は俳優としてだけでなく、ドラマの演出家、プロデューサーとしてもマルチな才能を発揮しているやべさんにインタビュー。

©テレビ朝日

◆リアル『クローズZERO』!仰天の中高時代

1973年大阪で生まれ、両親の仕事の都合で6歳のときに千葉に引っ越したやべさんは、中学に入学したものの、すぐに数学の授業についていけなくなり、保健室でサボるようになる。だが、そこは不良の先輩たちのたまり場だった。そしてリアル『クローズZERO』の中学生活が始まった…。

※映画『クローズZERO』(三池崇史監督)
高橋ヒロシによるカリスマ的な大人気コミックをもとに、完全オリジナルストーリーで、県内随一の不良校・鈴蘭のトップ(全校をまとめあげる番長)の座をめぐる抗争を描く。やべさんは鈴蘭のOBで、ひょんなことから小栗旬さん演じる主人公・源治と知り合い、彼の鈴蘭制覇に協力するチンピラ、片桐拳役で出演している。

-かなりやんちゃだったそうですね-

「保健室にいた先輩たちが不良だという感覚もない世間知らずの子だったんですよ(笑)。熱が出たことにして保健室に行ってたんで、体温計の数値を上げようとしていたら、先輩がやってくれると言って壊しちゃって、俺が先生に怒られて弁償させられることになったんですよ。

それで弁償したんですけど、俺が払うのはおかしいじゃないですか。だから保健室にまた行って、体温計を壊した先輩に『先輩が壊したのに僕が弁償させられました。何でお小遣いから800円引かれなくちゃいけないんでしょうか。おかしいと思います』って言ったんですよ。それで先輩から800円返してもらって、(物怖じせず言ったことで)先輩が気に入ってくれて、それから仲間になれました(笑)」

-どんな毎日だったんですか?-

「結構おかしなことばかりやってました。『モテたい』って言ったら、先輩が『モテるっていうのは、キラキラしたアイドルみたいなやつか、大人っぽいか、どっちかしかないんだ』って言うんですよ。

当時は『光GENJI』が人気だったんですけど、ローラースケートをはいて『こんにちは』なんて言えない。そんなのは無理だと言ったら、『じゃあ大人っぽくなればいいんだよ』って言って、その場で消毒用のオキシドールを頭にかけられて、髪の毛が真っ赤というか、オレンジみたいな色になっちゃって…。

翌日学校に行ったら、登校途中も、学校でも周りがみんな俺を見るんですよ。それまで見られるなんてこともなかったですから、俺のなかでは見られているという事が勝手に『モテてる』って思って(笑)。

『先輩の言ってる事は間違ってないかも』なんて思って、『モテてる』って気になって喜んでいたら、先生に呼ばれて怒られて(笑)」

-校則で髪の毛を染めてはいけないのでは?-

「わからなかったんですよ(笑)。校則なんて見ないですから。今だったら大変なんでしょうけれども、先生が『坊主』って言って、その場で髪の毛を刈られて坊主刈りにさせられたんです。

『あぁ、坊主になっちゃった』って笑われるし、悔しくて、それでまた保健室の先輩のところに行って、『坊主になったんですけど、何で僕はこんなことにならなきゃいけないんですか』って、泣きながら言って。

でも、そこにいた女子の先輩に『どうしたの、きょうすけ。可愛い。頭気持ち良い』って触られたんですよ。それでまた『モテてる』って思っちゃったりして(笑)」

「モテる」と言われると何でもやってみたやべさん。服も先輩がくれた不良の定番、いわゆる長ラン(学ランの丈が膝の下から脛の辺りまであるもの)にボンタン(変形学生服ズボン)。

坊主刈りにされた髪の毛も伸びると、ヘアスタイルも先輩がすすめるリーゼントに。だが、先輩たちに可愛がられて一緒にいるやべさんを気に入らない同級生と事件が…。

「俺が先輩たちとつるんでいるのが気に入らないやつがいて、そいつにボッコボコにされたんですけど、記憶がポンとなくなって…。気付いたら相手が血を流して倒れていて、俺は先生に羽交い絞めにされてるんですよ。

よくドラマやなんかで見ていた『頭が真っ白になって、気付いたら事件を起こしていた』というのはこういうことなのかもしれないと思って、すごく怖くなったんですよ、自分自身が。

少ししたら相手がムクッと起き上って『馬鹿野郎!死んだらどうするんだよ』って言ったんですけど、親が学校に呼ばれて先生と話をして、相手の家に謝りにいくことになって」

-どうなったんですか-

「彼の家に謝りに行ったらお母さんが『大丈夫よ』なんて言いながら、親同士が話をして、『やべ君が来たよ』って呼んで、彼も普通だったら『顔も見たくない』とか怒ったりするのに、普通に出て来て『ゲームやろうぜ』って言うんですよ。それで『ごめんね』って謝ったら『いや俺が先にやったからな』って(笑)」

-リアル『クローズZERO』ですね-

「そうです。それでこいつとはいつも一緒にいるようになって、今も付き合いがあるんですけど。彼はお兄ちゃんがバリバリの不良だったというのもあるんですけど、僕らのなかでは一応ルールがあって、ケンカするにしても強いやつとか自分より体がでかいやつとやる。肩がぶつかったなんて言ってるようなやつはダサイ。ただ、事件があるところには行くべきみたいな(笑)。

だから、カツアゲがあるらしいぞって聞くと、そこに行って、カツアゲをしたやつをぶっ飛ばす。悪い奴を殴っても捕まらねえからって、ワケのわからない理屈を言ってましたね(笑)」

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◆表彰状をビリビリに破いてしばかれて

ケンカもよくしたが、放送委員もしていた2人。ラジオが大好きで深夜放送もよく聞いていたやべさんは、ディスクジョッキーのように、放送室で先生への質問をハガキのように書いて、毎回ゲストで先生を呼んで放送。

登校拒否やいじめられて学校に行きたくないという生徒たちを放送室に誘って、登校させたこともあったという。

「俺、結構人気者だったんですよ、学校で(笑)。だから登校拒否の生徒の家に迎えに行って、『教室に行かなくて良いから放送室に来なよ』って言ったら来るようになったんです。

放送委員はクラスに2人ということだったんですけど、そういう子が結構いたんで、先生と話して委員会じゃなくて文化部にすることにしてね。部活にすれば何人でも入れるので。そしたら、そういうことで表彰されることになっちゃって。表彰状みたいなのをもらったんですけど、それをビリビリに破いて」

-破いちゃったんですか-

「これはもうパフォーマンス。校長先生の前で『俺は表彰されるためにやったんじゃねえんだよ。そんなことより大事なことがある』って言って先生にしばかれて、『だったら拒否しろ』って言われて(笑)。

『馬鹿野郎、何であんなことするんだ。ビリビリに破りやがって』って言うから『ちょっとカッコつけたかったんだよね』って言ったら『ふざけんじゃねえ』ってしばかれました(笑)」

-不思議な関係ですね、先生とも-

「そうね。僕ら夏休みはほんとに悪さとかやって、祭りなんかはけんかになったりするんで、夏休みとかは結構何人か生徒指導の先生や担任の先生の家に泊まりに行かされてました。悪そうなのはみんな別のクラスにして、バラバラにするんですよね。

夜になると担任の先生の家に泊まりに行かされて、『お前宿題やってねーだろ。出せ』っていうような感じで宿題をやらされたりして。『何だよ、合宿じゃねえんだからよ』って言いながら、『先生、エロ本とかないの?』『あるわけないだろう』なんてやってましたね(笑)」

-先生たちとはいい関係だったんですね-

「むちゃくちゃ良かったです。だから僕らはほんとにたたかれたりもしたけれども愛がありました。今は全部ひっくるめて体罰ってことになっちゃうんでしょうけど、この頃は体罰とかじゃなくて、こっちから頭を出してたたいてもらいに行くような感じでしたし、いっぱい愛情は受けてましたね」

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◆高校退学、丹波道場の門下生に

中学校卒業後、不良仲間の多くは高校には行かずに就職。すべり止めの私立高校2校に落ちたやべさんに、先生は吉本興業のお笑い養成所「NSC」の資料を大阪から取り寄せてすすめるが、公立高校に合格して通い始める。

しかし、高校生活はやべさんが考えていたものとは全く違っていた。その年からブレザーになった制服がイヤで学ランを着て登校して注意され、ケンカの日々は中学で終えたつもりだったが、売られたケンカでは相手をぶちのめし、反省文は何回書いたかわからないほどだったという。

「反省文だけはいつも書かされていたから得意だったので、10枚ぐらいバーッと書いたりしてました。でも、授業中にシンナーを吸っているやつに注意をしたらナイフで刺されちゃって、相手をボコボコにしたら俺が無期停学になっちゃって…。おかしいじゃないですか。どうせ学校に行ってもこんなことを繰り返していたら、退学になるだろうしって思ってやめました」

ちょうど夏休みでもあり、先輩や仲間たちのつてでバイト先はいくらでもあった。行く場所はあると安心したやべさんの脳裏に、かつて担任の先生に言われた芸能界のことが浮かぶ。夏休みの間に養成所の試験をいろいろ受けて、最初に受かったのが丹波哲郎さんの「丹波道場」だった。

「よくテレビでクイズ番組とかを見ていたんですけど、みんな答えると商品をもらったりするじゃないですか。俺はお茶の間でいくら答えて当たっていても、何ももらえないので、あっちに行きたいなぁって思って(笑)」

-動機はわりと単純だったんですね-

「そうです。全然不純ですね(笑)。師匠になるのは丹波哲郎さんで、僕らボスって呼んでましたけど、ボスに『どんな役者になりたい?』って聞かれたときに、『別に役者になりたいわけじゃないです。芸能人になりにきました』みたいなことを言ったら『何だ、この野郎』って怒られたりしてました(笑)。

でも、あるとき、『おい、やべ、名前は何だ?』って聞かれたから『きょうすけです』ですって言ったらすごい剣幕で『馬鹿野郎!人に名前を聞かれたら名字で答えるものだ』って怒られて。でも、俺は名字で呼ばれてるんですよ(笑)。だから『あんたが名字で呼んだからだろ』って言っちゃったんですよね。そしたら俺みたいな若造にもちゃんと謝ってくれて…。その時に俺は一生この人に付いていこうと思いました」

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◆エキストラとして現場に出動、甲冑に大興奮

丹波道場の門下生となったやべさんは、レッスンを受けながらバイト生活を送ることに。NHKの大河ドラマなどにエキストラで行くことも多かったという。

「エキストラで行って、甲冑(かっちゅう)とかつけたりするじゃないですか。普段の生活にはないものなんで、勝手にテンションあがっちゃって(笑)。それに役者さんたちが芝居しているところを目の当たりに見られるので、『すげえ、何かしゃべってる』みたいな感じで。

例えばセリフで『殿、それはなりませぬ』みたいなことを言ってるじゃないですか。見ていると、『もうちょっとテンション高くても良いんじゃないかな』とか思ったりもするんですけど、カットがかかってOKが出ると、『違った、あっちの言い方のほうが正しかったのか』とかね(笑)。そんなことを考えているうちに、『何か言ってみたいな。やってみたいなぁ』と思うようになりました」

-演技は現場で見て学んだという感じですか-

「そうですね。丹波道場は昼間部と夜間部の2つあって、僕は昼間部に行ってたんですけど、先生が脚本家の方だったんですよ。2人芝居みたいなのを1ページ分ぐらい書いてやらせるんですけど、良い悪いを言わない。

たとえば『泣く』にしても、その引き出しがいっぱいないとダメだということを教えてもらったんです。自分の引き出しのなかからキャラによって選択する。それがすごく楽しかったんですよね。そこからお芝居が好きになっていきました」

演技をすることの面白さに気づき、俳優になる決意を固めたやべきょうすけさん。次回、後編では北野武監督との出会い、代表作となった映画『クローズZERO』、現在公開中の映画『あいあい傘』の撮影裏話を紹介。(津島令子)

©テレビ朝日

※映画『あいあい傘』大ヒット公開中
監督:宅間孝行 出演:倉科カナ 市原隼人 入山杏奈 高橋メアリージュン やべきょうすけ トミーズ雅 立川談春 原田知世

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