耳の聞こえない母親が挑んだ“卓球世界一”への挑戦 最愛の娘に誓った「金メダル」の約束
卓球選手・亀澤理穂。2025年11月、日本で初めて開催された耳が聞こえない選手による世界大会「デフリンピック」に日本代表として出場した。
悲願の世界一を目指し、音のない世界で娘とともに走り抜けた日々をテレビ朝日のスポーツ番組『GET SPORTS』が追った。
◆最年長ベテランの再挑戦。「金メダル」への思い
2025年4月、7カ月後に控えたデフリンピックに向け、デフ卓球・日本代表が強化合宿をおこなっていた。
ひときわ明るい笑顔で場を和ませていたムードメーカーが、今年35歳を迎えた最年長のベテラン・亀澤理穂だ。171cmの長身を活かした粘り強いラリーを持ち味としている。
生まれつき耳が聞こえなかった亀澤が卓球に出会ったのは、小学校1年生のとき。実業団の選手だった父の影響だった。
デフリンピックという舞台を知り、彼女の人生は大きく変わったと両親は語る。
「同じハンディキャップの人たちが頑張っている様子を見て、『こういう世界があったんだ』とキラキラしていました。すごく嬉しそうだったのを覚えています」(母・千里さん)
「中学生のときにデフリンピックというものを知って、輝いた。すごいなって。それをまさしく今彼女がやっているわけですね。尊敬します」(父・真二さん)
輝いて見えた舞台は、やがて亀澤自身が輝く場所となる。デフリンピックで3個の銀メダルと5個の銅メダルを獲得。母となり一度は競技を離れたが、唯一届かなかった金メダルへの思いから、再びラケットを握った。
◆6年越しの再起。「ママアスリート」の壁
合宿では、過酷なトレーニングに必死に食らいつく。
「きつい。きついからこそ合宿って感じで自分としては良い。だけどきつい」
何度もこぼした「きつい」の一言。それは6年前に復帰して以降、常につきまとう現実だった。「ママアスリートになってから体が変わって筋肉も落ちたから、体力がなさすぎてしんどいです」と、正直な胸の内を明かす。
デフリンピックの卓球競技は、驚くほどタイトなスケジュールで行われる。オリンピックの女子シングルスが8日間で最大7試合を戦うのに対して、デフリンピックはわずか2日間で最大8試合を戦わなければならない。
この過密日程を戦い抜くための体力強化が、金メダルへの鍵となる。
◆「ママの頑張る姿を見てほしい」娘と二人三脚の肉体改造
本番を5カ月後に控え、亀澤の姿は千葉県のパーソナルジムにあった。
鍛えていたのは下半身。これまでは長いリーチから振り抜く上半身の筋肉に頼ってきたが、今後は足腰の力を鍛え、上半身に伝えることが課題となる。この日も2時間にわたり体をいじめ抜いた。
「サボったら金メダルとれないから」(亀澤)
そんな彼女には、自身を奮い立たせる原動力がある。小学1年生の娘・結莉ちゃんの存在だ。「自分のために、応援してくれる人のためにというのはあるけど、娘がいるからさらに頑張れる」と目を細める。
「ママに何をしてほしい?」と亀澤が聞くと、結莉ちゃんは迷わず「金メダル!」と答えた。
多忙な練習のなか、結莉ちゃんと過ごす時間は何よりの癒やしだ。自宅のベランダにマットを敷いて筋トレに励み、娘を連れてジムへ通うことも多い。
「ママが頑張っている姿を見てほしいし、結莉と遊ぶ時間もあまりないから」(亀澤)
金メダルに向かって、娘と一緒に歩みたい。強いこだわりがそこにあった。
◆新技「バックドライブ」の習得
さらに亀澤は、下半身強化と並行して“バックドライブ”の習得に挑んでいた。バックドライブとは、ラケットの裏面を使い、ボールに強い縦回転をかける技のこと。
以前は、逆手側に来たボールを強く打ち返す際、大きく回り込んでラケットの表側で打つことが多かった。一方、バックドライブは回り込んで打つプレーに比べ、移動距離が短く済む。亀澤が不安を抱えている体力の消耗を抑えられるのだ。
強化してきた下半身は、バックドライブにも活かされている。
「足の指の皮がめっちゃ硬くなってる。また切るかな。でも、バックハンドの強化を目標にしてるから、ちゃんと(足を)使えているからいい。でも痛い」(亀澤)
これは、下半身でしっかりと踏み込めている証。手応えを掴みかけていた。
また、普段は会社員として働く彼女を、職場の仲間も手厚くサポートしている。練習や試合を勤務とみなしてもらうほか、会議後には手話の勉強会も行われている。
手話を覚えた同僚が「使えると楽しい」と笑顔を見せれば、亀澤も「『おはよう』とかだけでも(手話で)言ってくれると嬉しいし、その場にいやすい」と感謝をにじませる。
◆音のない世界で磨き上げた「孤独な一打」
本番まで1カ月。世界選手権銅メダリストの松平賢二氏との練習中、亀澤はある提案をした。
「松平さんに耳栓とヘッドホンをつけて、デフ卓球を体験してもらおう」
デフリンピックでは補聴器の使用が禁止されているため、亀澤は練習中も補聴器を外している。松平氏が試してみると、その違いに驚きを隠せなかった。
「うわ、やばい! 自分がちゃんと打てているかわからない。結構音で確認するというか、ラケットの音で、『今深く入るな』とかわかる。でも今のはずっと見とかないと、どこにボールがいくかわからない」
耳が聞こえる選手は無意識のうちに音も使って打球の感覚を掴んでいる。しかし、音のない世界は、目とラケットの感覚だけが頼りのため、理想の一打にたどり着くまで時間がかかるのだ。
だからこそ、亀澤は自分の打球を何度も何度も見返し、体に染み込むまでラケットを振り続ける。練習後、補聴器をつけた瞬間には安堵の表情を見せた。
「無音だとひとりで誰もいない状態でやってるみたいだから寂しいんですよね」(亀澤)
孤独な無音の中で磨き続けたバックドライブの感覚が、ようやく手に馴染んできた。
「今までの練習は間違っていなかった。バックドライブが得意になってきたし、本番までに間に合いそう」と、確かな手応えを口にする。
本番まであと2週間。トレーナーからも「下半身がしっかり使えるようになった」と太鼓判を押され、きたる大舞台へ向け準備は整った。
◆迎えた本番。母が見せた「笑顔」と「涙」
11月20日、デフリンピックの卓球女子シングルス。
金メダルを狙う亀澤は、予選を危なげなく突破し、決勝トーナメントに進出。観客席には、応援に駆け付けた両親と娘の姿があった。
磨き上げたバックドライブを武器に、亀澤は1回戦の相手を圧倒し、ストレート勝ちでまた一歩夢の頂へ近づいた。結莉ちゃんの「ママ!」という声援が会場に響く。
2回戦の相手はウクライナ代表・バドニク。力強い攻めに第1セットを落とすも、鍛え上げた下半身から強力なショットを繰り出し、第2セットを奪い返す。
第3セットを再び相手に奪われると、勝負の第4セット。渾身のバックドライブから流れを掴み、セットポイントに手をかけた。
しかし、反撃もここまで。一進一退の攻防の末、ベスト16で敗退し、悲願の金メダルにはあと一歩届かなかった。
試合後、真っ先に向かったのは娘のもと。
「結莉ちゃんの応援をどう感じますか?」と尋ねると、「わかりません!聞こえないから」と明るく笑ってみせた。
しかし、娘がいない場所で悔し涙を流す。その笑顔の裏には、娘には涙を見せない母の強さがあった。
※番組情報:『GET SPORTS』
毎週日曜 深夜1:55より放送中、テレビ朝日系(※一部地域を除く)







