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「もう一生走らんかも」神野大地、初マラソンでの衝撃。そしてプロになる、という決断

青山学院大学時代、箱根駅伝の「三代目・山の神」として日本中の視線を集めたマラソンランナー・神野大地。彼は2018年5月1日、大学卒業後から所属した実業団を退社し“プロランナー”となった。

“プロ”として早速、今年の7月9日から約2ヶ月間ケニアでの長期キャンプに臨んだ神野大地。実業団からプロになった理由、初マラソンで感じた衝撃、直近の目標まで、自身の言葉で語ってもらった。

 

◆実業団とプロの違い

マラソンランナーの神野大地です。今年2018年の4月いっぱいで実業団を離れ、プロランナーになりました。

“実業団とプロの違い”は何か、ということについてよく聞かれるので、まずはその話を。

実業団では、選手個人は会社員としてチームに所属します。そのため、例えば朝に練習をし、お昼の時間帯には会社に行き、その後にまた練習をするというスタイルになります。また、実業団に所属すると“駅伝”も走ることになります。駅伝でどれだけいい成績が収められるかというのは、実業団で非常に重要視されることです。

対して、プロランナーには駅伝がありませんし、会社に行く時間はなくなって全ての時間を陸上に集中して費やせる環境になります。

個人的に、“駅伝”という競技はすごく好きでした。今もその気持ちは変わりません。

駅伝は、皆でひとつの目標を共有し、ひとりで走るけれど皆の思いを背負いながら走る。そして、良い結果が出たときには皆で喜びを分かち合う。青山学院大学時代、そのような駅伝の素晴らしさを身に染みて感じてきました。

しかし今、自分の中にはそれ以上の目標として「東京オリンピックでマラソンを走る」というものがあります。そこを本気で目指すとき、「駅伝も頑張りたい」「東京オリンピックも狙いたい」という両方を狙う実力や器用さが自分にはないと判断しました。

これからは駅伝を捨て、マラソンに集中する。それくらいの気持ちで臨んでいかないと、東京オリンピックはないだろう。オリンピックまでの残りの時間、やること・やるべきこと・やりたいことを全てやって、自分がどこまでいけるかに懸けてみたい。

そうして僕は、プロランナーになりました。

 

◆初マラソンのゴール直後の悔しさ

プロランナーになるということはすなわち、会社を辞めるということ。例えば大きな怪我をしてしまって走れなくなったとき、会社員として残って働きながら人生を生きていくという選択肢はなくなります。

言ってしまえば、プロというのは“将来どうなるかわからない”ということです。だから、当然簡単に決めたわけではありません。

本気でプロになることを考え始めたのは、2017年の12月3日。初マラソンの福岡国際マラソンを走ったときでした。

タイムは、2時間12分50秒。日本人トップの大迫傑選手とはおよそ5分の差があり、僕がゴールしたときにちょうど、「それでは、日本人トップになりました、大迫傑選手のインタビューです!」と大迫さんへのインタビューが始まっていました。

それが聞こえてきたときの悔しさは、今も忘れられません。そして、その“差”を認識したとき、自分の中で“このままで大丈夫か”という思いが強くなりました。ここから、プロになることを具体的に考え始めることになります。

 

◆よく分からないくらいキツかった初マラソン

初マラソンの福岡国際は、この結果以外にも自分に大きな衝撃をもたらしました。

よくマラソンでは「30kmの壁がある」「35kmの壁がある」と言われますが、正直に言うと、このとき僕は25kmくらいからとにかくキツかったんです。

もう、よく分からないくらいキツい。「ゴールできるのかな?」「みんなどんだけ我慢してるんだ?」「もう一生走らんかもしれん…」と思うほどキツく、最初で最後になるかもしれないから、とりあえず最後まで行こうと思い42.195km走り切ったというマラソンでした。

ゴールして、「みんなこんなキツいことやってるのか…」と思うと同時に、それまでのトラックレースや駅伝で感じてきた達成感とはまた違う高いレベルの“達成感”も訪れ、不思議と「また走りたい」という思いにもなりました。

そうして2回目に走った2018年2月25日の東京マラソン。タイムは2時間10分18秒。自己ベストを更新することが出来ました。

そしてここでは、初マラソンのときとは違う、たぶん“みんなが感じている”マラソンを走れたのだと思います。福岡国際のときのような“めちゃくちゃな”キツい感覚はなくて、走りながら「ああ、みんなが出てたマラソンはこれなのか」と感じていました。

もしあの福岡国際で、例えば32km地点なんかで棄権でもしていたら…。僕のマラソン人生は、その後いくら頑張ったとしてもそこで終わっていたと思います。

本当に何回もやめようと思いましたが、あそこで諦めずに走り切れたということが、今に、プロになったというステップに繋がっていると感じています。

 

◆プロとして、自分がやりたいことを実行していく

福岡国際の夜には、さっそく僕は青山学院大学時代の原晋監督にプロになることの相談をしていました。

このときはまだ本気で考えるかどうかという段階でしたが、そこから日に日に「今の(実業団という)環境とプロになったときの環境と比べたとき、本当にプロになったほうが強くなれるのか」と考えるようになり、3カ月くらいは毎日のようにこの悩みと向き合ってきました。

最終的に「プロでの可能性に懸けたい」という結論になり、そこからはどんどん日々が流れます。4月いっぱいで退社、7月頭から約2カ月間ケニアでのキャンプ、9月16日にはベルリンマラソンを走ります。

プロになれば、練習や活動を誰かに決められることはありません。決めてもらうこともありません。自ら練習を組み立て、自分が出たい試合にエントリーし、ケニアへの合宿も自分で決めることになります。

「ちょっとケニアの合宿をやってみたいな。ケニアに行ったら、自分はどれくらい強くなれるのかな」――プロというのは、そういうチャレンジをすることが可能ということで、今はとにかく自分がやりたいと思うこと、これをやったら強くなれるんじゃないかと思うことを取り入れる日々。

そうして強くなっていき、プロになるという選択が間違っていなかったと思えるよう、後悔のないように挑戦していきたいです。

直近の目標は、9月16日に行われるベルリンマラソン。そこで、“2時間8分台”のタイムを出したいと思っています。