赤井英和のヤンチャエピソードに一同騒然!高校受験の会場では“のちのプロボクサー”と一触即発
10月31日(金)の『しくじり先生 俺みたいになるな!!』では、元プロボクサーで俳優の赤井英和が初登壇。
授業の“セコンド役”として、アンタッチャブル・柴田英嗣も一緒に登場し、不良時代のハチャメチャエピソードを披露。壮絶人生から得た教訓を伝授した。
現在66歳の赤井。ボクシングをはじめたのは高校時代で、近畿大学在学中にプロに転向した。
デビューから12戦連続KO勝利という輝かしい記録を打ち立て、1989年に俳優に転身。主演映画『どついたるねん』をはじめ、『高校教師』、『半沢直樹』など多数の代表作がある。
ボクサー時代の赤井は、防御よりとにかく前に出て相手をどつき倒す超攻撃型のボクシングで観客を魅了。ついた異名は“浪速のロッキー”、強さだけでなく愛嬌のあるキャラクターも話題を呼び、人気と実力を兼ね備えた一流ボクサーとして活躍した。
しかし、そこに至るまで、赤井は数々のヤンチャしくじりをやらかしてきたと告白。
その背景には「先のことなんか一つも考えへん!」という自身の間違った考え方があったと話し、「あらためて考えてみたらほんまめちゃくちゃやったなと思って…。今は反省してますんで、堪忍してください」と画面に笑いかけた。
授業ではまず、学生時代のヤンチャエピソードをもとに、どのようにプロボクサーへの道を歩んでいったのかをひも解いていった。
◆受験会場で一触即発!
小学校時代は各学年で学級委員を務める優等生で、習い事を掛け持ちする生活だったという赤井。
しかし、中学生になって一変。入学初日に「友だちを作るにはケンカするしかないねん!どついたるねん!!」と決心し、あっという間に1学年を締め上げて番長的存在に。
優等生からのあまりの激変ぶりに、スタジオの面々は「急だな!」(オードリー・若林正恭)、「(教科書の)ページ、飛ばしちゃったのかなと思った…」(ハライチ・澤部佑)と驚く。
赤井はほかにも中学時代のヤンチャエピソードとして「黒板をダーツの的にして傘を投げて刺していた」、「映画『燃えよドラゴン』に憧れて学校中のトイレを蹴り倒して破壊した」などを激白して、スタジオメンバーはあ然。
やがて中学3年生となり、高校受験という試練を迎えたが、赤井は受験会場で机に足を乗せていたところ、“ある人物”と一触即発のにらみ合いになったと明かした。
相手は当時、関西で名を轟かせていた番長だったが、彼はのちにプロボクサーとしても活躍した“芸人M”だったのだ。にらみ合った相手の名前が明かされると、スタジオも騒然となった。
◆高校時代は“世直し”と称してケンカ三昧!
そして、高校では入学式直後に喫煙していたのが見つかり、初日から停学に。また、高校時代は“世直し”と称してケンカにハマっていたとも回顧する。
その世直しには赤井なりのルールがあり、「弱い者いじめはしない」「年下には手を出さない」「世の中に迷惑をかける悪を成敗していた」と話すが、そこから続いたエピソードでスタジオはまたも大騒ぎに。
というのも、当時1学年下のヤンキー中学生が「赤井を倒すんはオレや!」と言いまわっていると聞きつけた赤井は相手の中学校に乗り込み、全校生徒が見ている前で「ボッコボコにして恥をかかせたった」と明かしたのだ。
それを聞いたスタジオメンバーからは、「年下、年下!」「ルールはどこいった?」と総ツッコミが。
しかも、その年下ヤンキーが、実は誰もが知る“超ヤンチャ男K”の兄だったことが判明。意外すぎるつながりに澤部も「狭すぎないですか、大阪?」とビックリしきりだった。
数々のやらかしの結果、高校1年生で留年が決定してしまった赤井。しかし、そのしくじりこそがボクシングの世界に踏み出すきっかけになったと振り返り、運命的なつながりにスタジオも感動。
そんなヤンチャ時代を経験したからこそ得られた人生の教訓も伝授していた。
※番組情報:『しくじり先生 俺みたいになるな!!』
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