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石原裕次郎のキャンピングカーが見えると現場が一変!長谷直美が語る『太陽にほえろ!』秘話

©テレビ朝日

青春ドラマ『俺たちの朝』のカーコ、刑事ドラマ『太陽にほえろ!』のマミー刑事などで活躍した長谷直美さん。明るく快活なキャラクターでベテラン俳優たちの懐にもすぐに飛び込み、可愛がられた。持っている大物俳優たちのマル秘エピソードの数はハンパない。

東京・築地の事務所で会ったとたん、「ねぇ、ねぇ、これ見てくださいよ~」と1枚の写真を取り出した。事前に「“人生を変えた一枚”みたいな写真があるとうれしい」と伝えていたことから、用意してくれていたものらしい。写っているのは石原裕次郎さんと地井武男さん、それに長谷さん本人。写真には「86 2 8」の日付が入っている。

「裕次郎さんがお亡くなりになったのは87年7月ですから、それより1年ちょっと前の写真ですね。場所は裕次郎さんのハワイの別荘。裕次郎さんがハワイで療養することが多くなったので、『太陽にほえろ!』も一度、ハワイで撮ったことがあるんです。

この写真はそのロケが終わって、みんなで裕次郎さんの別荘で打ち上げをやったときのものですね。裕次郎さん、まだお元気そうでした」

 

◆立て替えをなかなか思い出してくれなかった裕次郎さん

ただ記念写真を撮っただけではない。長谷さんは裕次郎さんらしいこんなエピソードも覚えていた。

「打ち上げと言えば当然お酒。裕次郎さんも交えて酒屋に買い出しに行ったときのことです。裕次郎さんが店員さんに向かって“シャンパン、何本あるんだ?全部くれ”と一言。

普段はお付きの人が支払いを済ませているので、裕次郎さんは財布を持ち歩きません。ところが、この日はお付きの人が居なかった。すると裕次郎さん、隣りにいた神田正輝さんに向かって“マサキ、お前払っとけ”と。

もちろん神田さんはすばやく支払いましたが、裕次郎さんはこのときの立て替えをいつまで経っても思い出してくれない。当時、神田さんは会うたびに“まだ思い出してくれないんだよ~”“まだなんだよ~”とボヤいてました(笑)」

※長谷直美プロフィル
1956年5月15日、東京出身。17歳のときにミス・エールフランスコンテストで入賞し芸能界入り。1974年、『私は天使じゃない』でレコードデビュー。76年、TVドラマ『俺たちの朝』のヒロイン・カーコ役で女優として脚光を浴びる。

その後、マミー刑事として人気を博した『太陽にほえろ!』など、様々な作品に出演。94年、結婚後はフランスに移住。10年に離婚し、11年より演劇の勉強のため、ロンドンの演劇学校に入校。12年5月、卒業後、演劇の国家資格を優秀な成績で取得し、同年10月、日本に帰国した。

©テレビ朝日

裕次郎さんとのエピソードはまだまだゴマンとある。ここはひとまずドラマの初レギュラーとなった『俺たちの朝』(76年10月~)の話に時間を戻そう。

――そもそもどうして起用されることになったのですか?

「これは後から聞いた話ですが、番組がヒロイン役を探していて、200人ぐらい面接したんですって。でも、なかなか決まらなかった。

ちょうどその頃、私は『独占!男の時間』っていう山城新伍さん司会のちょっとエッチな番組に出ていて、アシスタントをやってました。その番組を偶然、監督さんもプロデューサーも見ていて“いい子を見つけた”“実は俺も”っていう話になって、それが私だったんです。

顔を見せに行ったらそれで決まっちゃった。どこが良かったか聞いたことないけど、きっとサバサバ…パサパサしたところが良かったんでしょうね」

※『俺たちの朝』
大学を中退したオッス(勝野洋)と友人のチュー(小倉一郎)は都内の下宿を追い出され、先輩のヌケ(秋野太作)を頼って鎌倉へ。そこで知り合った美大生・カーコ(長谷)とともに奇妙な共同生活を始めることに。3人にはそれぞれつかみきれない「夢」があり、悩みながらも諦めずに夢を追い求める青春群像劇。

――はじめてのレギュラー、勝野さんにはどんなことを教わったのですか?

「勝野君に教わったのは…お酒ですね!その日の仕事を終えると一升瓶かかえてキャストやスタッフを集めて“飲むぞ”っていう感じ。当時、私は二十歳を超えたばかりで、まだお酒を飲むという習慣がありませんでしたが、一気に覚えました。

小倉さんも秋野さんも飲まないわけじゃありませんが、勝野君は朝までですからね。当然、翌日は二日酔いで、今、昔のDVDを見ると、顔がパンパンに腫れているのがよく分かります(笑)」

勝野さんとはあれから40数年経った今でも親交があるという。

勝野洋さんと。12年に帰国してすぐのころ

『俺たちの朝』は77年11月で終了。その直後から『太陽にほえろ!』に参加した。

※『太陽にほえろ!』
警視庁七曲署捜査1係の刑事たちの活躍を描いたドラマで、72年から86年まで放送された。主役は言うまでもなく石原裕次郎さん。萩原健一、松田優作さんらが演じた若手刑事が劇中で“殉職”することでも話題になった。ほかにも露口茂、竜雷太、下川辰平さん、地井武男さんらベテランがズラリ。

――大物中の大物・石原裕次郎さん相手に緊張感はなかったですか?

「それが不思議なことにあんまり緊張しなかったんです。というより、当時裕次郎さんはまだ40代半ばですが、その頃から“大人オーラ”がハンパなくて、私のような小娘が緊張するとかどうするとかそういうレベルを超えてました。

もちろん、周囲のスタッフたちはピリピリしてますよ。実はね、当時の裕次郎さんの撮影って隔週金曜日の午前中だけなんです。そこで裕次郎さん推しで2話分撮っちゃう。

裕次郎さんはいつもキャンピングカーでスタジオまで乗り付けるんですが、キャンピングカーが見えたとたんにスタジオの空気が一変してました」

長谷さんが参加した77年は、萩原健一、松田優作さんらはすでに“殉職”した後で、当時の若手といえば、世良公則、渡辺徹ら。そんななかで、長谷さんは運転の得意なマミー刑事を演じた。

 

◆裕次郎さんからもらったとびっきりのプレゼント

「特に楽しかったのは、マミー刑事のドライビング・テクニックが見せ場だった『激突』という回の撮影。

昔の大きいカメラで運転のシーンをカメラマンが撮るとなると、近過ぎちゃうので、全部一人でやったんです。まずカメラのスイッチを入れて、カチンコをたたく。ポジションについて運転しながらセリフ。『ハイ、カット』と言って、スイッチを切るまで。

当時、私は実際にもA級ライセンスを持っていたので、スピンターンとかは普通にやってました(笑)」

とはいえ、エピソードのメーンはやっぱり裕次郎さん。まずは「困った話」から。

「裕次郎さんは毎年のようにハワイに行ってますが、たまたまその年に私もハワイに行くことになったので、『ボス、ハワイに行ってきます』とお知らせしたんです。すると、『じゃ、なんかお土産買ってこいよ』の一言。“ハワイ慣れした裕次郎さんにハワイ土産?”ってこれには相当悩みました。

“お決まりのマカダミアンナッツというわけにもいかないし…”なんて、向こうに着いてからも頭のなかは『お土産』のことばかり。結局はキャンピングカーの中で使うタオルセットにしたんですが、お渡ししたら『直美、こういうものは10セットなかったら役に立たないんだよ』と言われちゃった」

続けて嬉しかった話も。

「その翌週、今度は裕次郎さんがハワイに行かれたんです。帰ってくるなり、『おう直美、こないだのお土産のお返し』と言って、何かをポーンと渡してくれました。包み紙も何もないんですが、よく見るとグッチのバッグ。それも普通のグッチのマークじゃなくてエラい派手なやつ。何をやってもカッコいい人でした」

ほかにも『大追跡』『俺たちは天使だ!』などのドラマに出演したが、人気絶頂だった94年末、いきなり“引退”した。フランスに住む日本人男性と結婚するため、渡仏したからだ。後編では、フランス、イギリスでの生活、12年に帰国してからの活躍ぶりを紹介。