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衣装は小さな下着だけ…宅麻伸、“人間の剥製役”演じた過去を振り返る

©テレビ朝日

80年代後半にトレンディードラマの二枚目俳優としてブレーク。ドラマ『課長島耕作』(フジテレビ系)や『法医学教室の事件ファイル』シリーズ(テレビ朝日系)など数多くのドラマ、映画に出演し、二枚目俳優としておなじみの俳優・宅麻伸さん。

近年では渋い大人の男の魅力を発揮しつつ、『勇者ヨシヒコ』(テレビ東京系)シリーズのダンジョー役で新境地を開拓。新たなチャレンジを続ける宅麻さんにインタビュー。

©テレビ朝日

 

◆大人気『法医学教室の事件ファイル』シリーズ最新作で白髪に

※『法医学教室の事件ファイル』
法医学を駆使して事件捜査に当たる法医学者・二宮早紀(名取裕子)と、彼女の夫で神奈川県警横浜東警察署の二宮一馬警部(宅麻伸)の活躍を描く人気ドラマシリーズ。

26年前にレギュラードラマとして制作。連続ドラマ2シリーズを経て、現在は2時間ドラマとして放送。今月12日(日)にはシリーズ第44弾『ドラマスペシャル 法医学教室の事件ファイル』が放送された。

―最新作では初めてのロマンスグレーが印象的でした―

「友だちからも『あの白髪は本物?』ってメールが来ましたよ。思いのほか白かったね(笑)。あのシリーズは、もう26年以上やっているんだけど、1年以上間が空いたし、子供も大きくなってるから、そういう時間経過も出したいなあと思って。

でも、あまりいろんなものが変わるのはちょっと…ということで、部下たちはみんな髪が黒いでしょう?『何か俺1人が浮いちゃったかな?』なんて思ったんだけどね(笑)」

―名取裕子さんとの息もピッタリで、二宮夫婦の歴史を感じました-

「そう、それが狙いなんですけど、みんな見た目でしかものを言わないからね(笑)」

―1年ぶりぐらいの撮影、いかがでした?―

「1年以上会ってなかったんだけど、全然普通に良い感じで入っていきました。母の妹だからおばさん役になる由紀さおりさんとは、本当にこのドラマでしかお会いすることがないんだけど、そんな感じはまったくしなかった。

やっぱり、ちょこっと様変わりしているから、ちょっと違うかなというのはどうしてもあったりしたんですけど、それをまた味わっていくのも面白いかなと思うしね」

―撮影の合間などはどんな感じなんですか―

「面白いですよ。名取さんは元気で明るいしね。すごく庶民的な話をしてくるから面白い。あそこの八百屋さんがどうだとか中華街のどの店がおいしいかとかね。

それに最近はメダカの世話をしてるみたいで、『宅ちゃん、メダカいる?』って言うから俺はすぐに断りましたけどね(笑)。日よけのためにゴーヤを植えたとか、アサガオが咲いたとか、色々な写真を見せられてね。『見て、見て』って見せてくるんだよね。『もういいよ』って言うんだけどさ(笑)」

―まさにドラマのなかの二宮夫妻みたいですね―

「そうだね。だから割とアドリブが多いんですけど、俺は楽なんですよ。大体向こうがワーッとしゃべって、俺は『あー』とか『うー』って言ってるだけで、あとは適当に『うるさい!』って言っておけば良いんですから(笑)。

漫才の宮川大助・花子さんの大助さんみたいな感じ。それで困ったら『バカヤロー!』って言えばいい(笑)。こんな話をすると随分いい加減な役者と思われそうですが、そこにはもうあうんの呼吸で二人の小さな計算が成立するんですよ。

ドラマは早紀が中学時代の同級生(益岡徹)に告白されているところを一馬が見てしまうシーンがあるんだけど、昔の『法医学教室の事件ファイル』だったら、ケンカするなどもっとひどかったはず。でも、今回は台本上も焼きもちをやくみたいなところも書いてなかったし、まあ、夫婦として積み上げてきた時間があるということなんでしょうね」

―息子・愛介君が昔のお父さんと同じような焼きもちをやいているところが、やはり親子だなって感じですね―

「佐野和真君は15歳のときから愛介役をやってるんだけど、どんどんイケメンになっていくよね。もう何年前になるかな。社会人になった設定のときに、彼がスーツを着て現場にポッと入ってきたんですよ。それまでは学生っぽい感じでやっていたのに、『あー、スーツを着てる』って思っちゃって、何か不思議な気持ちになりましたね。親ってこういう感じなのかなあって(笑)」

―撮影を通して大人に成長する過程を見ているわけですからね―

「そうですね。ドラマも歴史を重ねてきているわけだし、もっといろんなことがやりたい。いろんな可能性があると思う」

©テレビ朝日

※宅麻伸プロフィル
1956年4月18日生まれ。岡山県出身。定時制高校の造船科に通いながら三井造船玉野事業所で就労。雇用期間満了・高校卒業後、19歳で上京。天知茂の事務所に預かりになる。1979年、ドラマ『新・七人の刑事』(TBS系)で正式にデビュー。二枚目俳優として、ドラマ、映画、CMに多数出演。大人の俳優として魅力を発揮している。

 

◆天知茂さんの前で手が震えてセリフが…

―岡山からは俳優を目指して上京されたのですか―

「一応、そのつもりで上京したんですけど、何も知らずに出てきているから不安だらけでした。

中学卒業後、定時制高校に通いながら地元の三井造船の造船所で働いていたんですけど、卒業したらどうしようかなと思っていたときに職場の先輩が、『お前さ、モデルとか役者をやったほうが良いんじゃないの?』ってひとこと言ったんですよ。

でも、どうしたら良いのか全くわからない。『まずは大阪とかに行ったら?』って言われたから、『大阪に行くんだったら東京まで行ったほうが良いだろう』と思って出てきたんですよ。卒業するのを待ってね」

―身長180cmで2枚目…ルックスも良いですしね-

「そんなことは全く思ってなかったですよ。何しろ人前に出るのが恥ずかしかったし、人見知りでしたからね。でも、20歳になる1ヵ月ぐらい前に知り合いに紹介してもらって、住み込みでキャバレーで働くことにして上京したんですよ。

そのときには『キャバレー?』って思ったけどね。そんなところに行ったことももちろんなかった。でも、そんなこと言ってられなかったんだよね」

―酔った客を相手にするのは大変だったのでは?―

「そうですね。その池袋の店はもう今では跡形もないんですけど、ボーイを呼ぶときに、ライターとかマッチで呼ばれるんですよ。それで呼ばれて行くと、ビールだ、おつまみだって言われるんですが、『嫌だなあ』って思ったりもしてね。

グランドキャバレーだから、ドレスを着た女性が300人ぐらいいるんですから、香水の匂いがプンプンしてね。『俺は何をしに東京にきたんだろう?』って」

―そんなときに、人生の転機となる出会いがあるんですね?―

「上京して1ヵ月くらい経ったとき、昼飯を食べに行くお店のママさんが、『詫摩(本名)は何しに東京に出てきたの?』って聞いてきたから『役者をやりたいんだけど、どうしたら良いか分からないんだよね」って言ったんです。

そしたら『天知茂さんの事務所を知ってるから紹介するよ』と言われて。だから運だけで生きているんですよ、俺(笑)」

―すごいですね。それで会いに行かれて―

「そう。麻布十番の事務所に天知さんに会いに行き、『じゃあ預かってやる』という話になったんだけど、バイトしないと生活できないですからね。せっかくそうやって紹介してもらって、演劇研究所に行きなさいと言われたんだけど、『なんで人前でこんなことをやらなきゃいけないんだろう?何が“あいうえお”だよ』なんて思っちゃってさ。

基本的な勉強もしないで全く失礼なヤツでしたよ。演技の勉強が本来はできるのに、バイトばっかりして1年間棒に振ってましたね。自分なりの考えだとそれも社会勉強、社会生活に慣れるためだったんですけどね(笑)。でも、今思えばそれがまたいろんないい勉強になりましたと言えるかな」

―それで最初に出られたのが天知さん主演のドラマですか―

「そう。まだ本名でね。天知さんが明智小五郎役をシリーズで何十本も持っていた土曜ワイド劇場『江戸川乱歩の美女シリーズ』(テレビ朝日系)。それで初めてホテルのフロントマン役で天知さんに『明智先生お帰りなさい』と言ってキーを渡すだけなんだけど、手が震えちゃってね(笑)。

何せ生まれて初めてですからね、カメラの前でというのは。だからそのことだけはすごくよく覚えています」

―天知さんは何かおっしゃってました?―

「いえ、あの人は何も言わない人ですから。まあ、それはそれで良かったんですけどね。第二弾がね。それもまた本名での出演だったんだけど、同じく明智シリーズの『黒蜥蜴』で人間の剥製(はくせい)ですよ。よく剥製(はくせい)が出てくるでしょう? あれをやったんですよ、大船まで行って。

衣裳部さんに行って『天知プロの宅麻ですけど衣裳をお願いします』と言ったら、渡されたのがバタフライっていうのかな? 小さな下着。最初にポンって、そのビキニみたいなバタフライを渡されたときには傷つきましたねー。あれ1枚渡されてカーテンのなかに入ったんだけど、『もう帰ろうかな』って思ったなあ(笑)」

―そして『新・七人の刑事』で正式にデビューされて―

「そうです。23歳になるちょっと前に『新・七人の刑事』(TBS系)のレギュラーが決まって天知さんが芸名をつけてくださったんです。『詫摩ちゃん、どんなのが良い?』って聞かれたから『先生の天知茂のように3文字が良いです』って言ったんですよ。

俺のなかでは『天知茂』とか『高倉健』と言う感じの芸名が良いなあと思って先生にお願いしたんだけど、数日後半紙にサラサラって書いてくれたのが『宅麻伸』。

『伸』は『新・七人の刑事』でも主演されていた芦田伸介さんからいただいたんですけど、『字数が少ないじゃん、画数が少ないなあ』って最初思ったんですよ。だって、本名の詫摩の『詫』から『言』、『摩』から『手』を取っただけという感じでしょう?『もうちょっとかっこいい名前ないかなあ』って思って…」

―カッコ良いお名前だと思いますが―

「その後のファンレターをいただいたときにそう思いました。ファンレターのなかに『たくましいをもじったんですか?』というのがあって、『そうじゃないはずだけど、たくましいか。それもいいなあ』っていう風に変わって行ったかな(笑)」

―天知さんが生前「宅麻さんは必ず売れるだろう」っておっしゃっていたそうですね―

「俺は全く聞いたことがないんですけど、亡くなられた後、スタッフから聞きました。天知さんはほとんど話さない方でしたし、俺は人見知りでうまく話せなかったから、たまに何かの拍子で2人きりになったときには2人も全然しゃべらない。

あまり話もできなかったけど、俺のいないところでそんな風に言ってくれていたということを知ってうれしかったです。

天知さんが亡くなったとき、俺はまだ30歳前で、うまく話をすることができず、ただ天知さんのそばにいただけ。これから少しずつでもいろんな話ができるようになれればなあと思っていたときだったので、本当に残念でした」

※天知茂プロフィル
(1931年3月4日~1985年7月27日)
昭和を代表するニヒルなムードの二枚目スターとして知られ、ドラマ『非情のライセンス』(テレビ朝日系)では主人公のハードボイルド調の刑事を演じるだけでなく、主題歌『昭和ブルース』も歌いヒット記録。土曜ワイド劇場の『江戸川乱歩美女シリーズ』の明智探偵役など数多くの映画、ドラマに出演。

―『新・七人の刑事』でデビューされてからは順調に?―

「いやいや、まだ何も知らないような状態で、テレビで見たことがある人たちのなかに放り込まれるわけじゃないですか。戸惑いましたよ。

それも『新・七人の刑事』の場合は、みなさん器の大きな人が多かったんですよ。芦田(伸介)の親父とかね。芸名も付けてもらったし、仕事をやっていくうちに役者で大成したい、頑張らなくちゃという思いは強くなったけど、20代は苦労しましたよ。何とか食えるようにはなったけど、兵隊さんとか刑事とか…そういう役がやたらと多かったですね」

―ご自身が俳優として認められていると感じたのはいつ頃ですか?―

「やっぱりトレンディードラマに出るようになってからかな。フジテレビの大多亮さんや演出家の河毛俊作さんに抜擢(ばってき)していただいたんですが、俺自身は『トレンディーってなんぞや?』と思う男だったから、着るものの話だったり、どこかの店の話だとかはあまり興味がなかったんだけど、現場に行ったらそういう感じのセリフのやりとりがあるわけだから、それに合わせなきゃと思って、気取ったりしていましたね(笑)」

天知さんの予想通り、宅麻さんは『同・級・生』(フジテレビ系)、『雨よりも優しく』(TBS系)などのトレンディードラマで2枚目人気俳優に。(津島令子)