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17歳でトミー・ジョン手術…「高校野球では2度と投げられない可能性も」甲子園のV投手が歩んだ絶望と復活の道のり

今年の夏、2年連続で甲子園出場をはたした健大高崎高校野球部。

なかでも目を引いたのは、甲子園史上最速に並ぶ155キロを記録したエースの石垣元気。今年のドラフトの目玉として注目され、高校ナンバーワン右腕の呼び声が高い。

しかし、石垣以上に期待され、エースとしてチームを引っ張ってきた球児がいた。同学年の佐藤龍月(りゅうが)だ。

石垣に勝るとも劣らない逸材として期待されながら、予期せぬ怪我でマウンドを離れた。そんな彼の“最後の夏”を、テレビ朝日のスポーツ番組『GET SPORTS』が特集した。

◆スライダーで高校球界を席巻。1年生でエースに

佐藤が野球をはじめたのは、小学校1年生の時。中学ではU-15日本代表に選出され、健大高崎高校に入学すると、わずか1か月後には春季関東大会で背番号1を託された。

それだけ評価されていた理由は、変化の大きいスライダー。

強豪校の打者を寄せ付けず、春季関東大会での優勝に貢献。その後もスライダーに磨きをかけ、2年生になる頃にはその名が全国に知られるようになった。

春のセンバツでも、背番号は1。22イニング連続無失点と圧巻のピッチングを見せ、健大高崎を初優勝に導いた。夏の県大会では、9年ぶりに甲子園出場も決めた。

しかし、甲子園直前のメンバー発表で背番号1を託されたのは、佐藤ではなく石垣だった。いったい何があったのか?

◆まさかの診断…「今までにない絶望感」

「肘が伸び切らないし、投げ切れないし、これはちょっとヤバいなと思って、大会終わってすぐ病院に行って…」

夏の県大会で肘に違和感を覚えていたという佐藤は、病院を訪れていた。当時の肘の状態について、担当した医師はこう語る。

「内側の靭帯はかなりゆるい状態でした。投げる時はどうしても靭帯が引っ張られる。靭帯が緩くなって引っ張られると、裏の骨がぶつかりやすくなるんです」

靭帯のゆるみによる左肘関節内側側副靭帯損傷。さらに、それが原因の疲労骨折も見つかった。手術以外の選択肢は残されていないほど、左肘は限界を達していた。

佐藤は当時の心境について、次のように振り返る。

「今までにない絶望感というか、そんなに無理してたんだって思いました。甲子園に出られないってそこでわかったので、悔しい思いと、これから先どうしたらいいのかっていう思いがありました」

すぐに、手首の腱を靭帯に移植するトミー・ジョン手術と、右肘からとった骨を疲労骨折箇所に移植する手術の、2つの手術が決定。「高校野球では2度と投げられない可能性もある」と告げられた。

手術後は、先の見えない不安の日々が続いた。そんななか、佐藤の心を突き動かしたのは甲子園への強い思いだった。

「絶対に夏の甲子園のマウンドに立つことを目標に頑張りたい」

最後の夏、甲子園のマウンドに立つために――。

◆新しい自分に生まれ変わる。フォームも新たに改善

術後は、投球ができない状況でも出来る範囲で練習に参加し続けた。驚異的な回復力で、手術からわずか4か月後にはネットスロー、そしてキャッチボールと、徐々に投げられるようになった。

そのなかで佐藤は、これまでのピッチングスタイルも見直すことに。

「スライダーを多投すると怪我の原因にもなってしまうので、そこも考えて最小限に抑えています」と、持ち味のスライダーの割合を減らす決断をした。

さらに改善したのは、投球フォームだ。

「インステップで負荷もかかってしまっていたので、まずはフォームの部分を見直して変えようと思いました」

インステップとは、投球時にステップする足が捕手側に向かって真っすぐではなく、一塁側や三塁側に寄ってしまう状態のこと。

これまで佐藤は、右足を一塁側に踏み出して投げていたため、腰が回りづらく、腕を思い切り回さないと投げられなかった。

そこで、右足をキャッチャー方向に真っすぐ踏み出すフォームに変更。

「体重移動がキャッチャー方向へと真っすぐになるので、スムーズに腰が回って、肘も腕も触れる感じです」と話し、比較してもその違いは明らかだ。

「ピッチャーとして長く上の舞台で活躍するために、怪我をしない身体を作っていきたいと思ったので、これを機に新しい自分に生まれ変わるというか、新しいフォームを作ろうと思っていました」と話す佐藤。

手術からおよそ8か月後、疲労骨折の骨もつながり、靭帯も回復。ついにブルペンでの投球練習を再開した。

この日投げたのはわずか15球だったが、「ブルペンで久しぶりに投げることができて楽しかったです」と喜びをかみしめた。

◆最後の夏、甲子園へ

それから2か月後の練習試合。佐藤は手術から1年も経たずに実戦のマウンドに立っていた。

1回を三者凡退に抑え、「ナイスピッチ」と称えた石垣とグータッチを交わし、復活を喜ぶ。

「3年の夏に復帰するという目標のため、手術を受けてから日々モチベーションだったりいろんなことをしてきました。こういう風に投げられて本当によかったです」

7月、夏の群馬大会前には背番号が発表された。背番号1は石垣に譲ったものの、佐藤は背番号7でレギュラー入りをはたした。

群馬大会では2試合に中継ぎとして登板し、3イニングを無失点。見事2年連続で夏の甲子園の切符を手に入れた。

そして迎えた夏の甲子園初戦、相手は昨年の夏の覇者・京都国際。4回裏、1点ビハインド、2アウト1・3塁のピンチで、背番号7の佐藤がマウンドに上がった。

「自分がベンチから走り出すときに球場のみなさんが拍手で迎えてくれて。帰って来れたんだなと思いました」

怪我を乗り越え、ついに目指してきた甲子園のマウンドに戻ってきた。

この場面、佐藤が投じた1球目はボール。続く2球目でショートゴロに打ち取り、ピンチを切り抜けた。

しかし、続く5回、6回で2失点し、試合は6対3で敗れた。佐藤の高校最後の夏は幕を閉じた。

手術を経て、佐藤にとってこの1年はどんな1年だったのか。

「今まで人生で味わったことがない挫折や辛い時期を味わって、そこから乗り越えられた1年だった。これからの人生で活かせればなと思います」

今後目指す先は、プロの舞台。苦難の1年で得たこの経験が、きっと次のステージへの力になるだろう。

番組情報:『GET SPORTS
毎週日曜 深夜1:55より放送中、テレビ朝日系(※一部地域を除く)

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