『しあわせな結婚』最終回、多幸感にあふれていたラスト。主題歌であるオアシスの代表曲の一節のようなシーン
<ドラマ『しあわせな結婚』最終話レビュー 文:木俣冬>
【映像】阿部サダヲ×松たか子、第1話から積み上げられた至高のクライマックス…涙の再プロポーズ
「I’m gonna start a revolution from my bed.(ベッドの中から革命を始めるんだ)」。主題歌であるオアシス『Don’t Look Back In Anger』の一節のようなラストシーンだった。
『しあわせな結婚』全9話を噛み締めながら最終回を振り返ろう。
幸太郎(阿部サダヲ)とネルラ(松たか子)が離婚して1カ月が過ぎた。じつにあっけなくふたりは別れてしまった。
罪に対する互いの考え方が一致しなかったため、ネルラから別れを切り出したのだ。
幸太郎は職業柄か、慎重に時間をかけて考えようとする。第4話では幸太郎が先にブチギレて家出を試みたが、冷却期間を経てやり直せた。ところが今回は冷却期間まったくなし。ネルラはゼロか100かという感じで容赦ない。
いつものタイトルバック。幸太郎ひとりのカットに“しあわせな結婚”の文字が乗った画は第8話以上に物悲しかった。
幸太郎とネルラが離婚した後は、みんな大好き法廷ドラマのようになる。
考(岡部たかし)もレオ(板垣李光人)も職を失い、マンションから出ていく。幸太郎も家族の殺人事件が要因で仕事が減った。穏やかに安定して暮らしてきた鈴木家はある意味一家離散状態。
そんななかで驚いたのは布勢(玉置玲央)の絵が事件によって注目され、中国富裕層の間で高値で取引されるようになったこと。600万円→1千万円と値がつり上がっていく。亡くなってから価値が出るゴッホのような作家になったら布勢も浮かばれるだろうか。
事件は解決し、犠牲者・布勢もある意味報われた。黒川(杉野遥亮)は事件の真相が明るみに出て、上司の刑事部長・笹尾(亀田佳明)と警備部長・佐久間(野間口徹)の出世争いにケリがつき、左遷を免れた。
皆、それぞれの道を歩み続けるなかで幸太郎はネルラに未練たらたらで、最終回はふたりが元サヤに戻れるか?という一点に集中するのか、それだけで1時間保つのかと思ったら、まだネルラに秘密があった。
彼女が記憶を取り戻してからずっと浮かない顔をしているように思ったのは、彼女に負い目があったから。学生時代、布勢に憧れ画家を目指していたネルラが、布勢の才能に打ちのめされて画家の道を諦め、絵画の修復をやるようになったことが重要なキーだったのだ。
絵画の修復はネルラの人生の修復だけではなかった。むしろ、人生の破壊。彼女の絵画修復の才能こそが布勢の人生を終わらせ、鈴木家に重しを乗せ続けたすえに壊してしまった。
ネルラはちょっとした遊び心から布勢の絵をそっくりに真似した。それが布勢のメンタルに影響を及ぼし、彼はやる気をなくした。寛(段田安則)にスランプだったら模写でも贋作でもやってしばらくやり過ごせばいいのでは、と言われて偽装誘拐まで行うほど機嫌を悪くしたのは「模写」「贋作」という行いに過敏になっていたのだろう。
こうなるとあんなに最低の恋人だと思って見ていた布勢がとことん不憫になってきた。亡くなってからも、ネルラの描いた贋作に値がついてしまっているのだから、やりきれない。
ネルラは運良く絵画修復の仕事が決まったが、それが幸太郎の差し金であることに気づく。自分の能力とは無関係に仕事が与えられることの苦悩。布勢が味わったプライドを傷つけられたことを、いま、ネルラが味わっている。これぞ因果応報。ただ、ネルラの場合は、幸太郎への感謝のほうが大きいかもしれないが。
すべてを終わらせるために行方をくらますネルラ。彼女を心配して懸命に探す幸太郎。ネルラの部屋のパソコンのパスワードを入力して(幸太郎の誕生日だった)、ネルラが消去した幸太郎宛てのメールから、ネルラが誰にも言えず抱え込んでいた秘密を知る。
黒川に頼んで警察のSSBC(※捜査支援分析センター、今クールのドラマ『大追跡』の舞台になった部署)を動かすとは幸太郎、無双である。
その頃、ネルラは絵画売買の現場に紛れ込み、自分の絵をあの裁ちばさみで破ろうとしていた。そこへ幸太郎が現れて……。
このときの幸太郎は真実を明らかにする職業人であることを投げ捨てている。贋作であることを隠し、布勢の手柄にして穏便に済ませようとネルラを説得するのだ。
逆にネルラは真実を隠蔽できない。一部始終を明るみにして絵も自分もこの世から消し去ろうとするネルラを幸太郎は「今を大切に力強く生きればいい」「君は股関節の女だろう!」と鼓舞する。
第1話でネルラが意味深に語った「股関節の女」の絵は最後まで出てこなかった。だが、“股関節を開くように生きる”という言葉が最後の最後で再び使用されたのだ。ネルラを生かすために。
股関節を開くような生き方とはなんだろう? それがこのドラマの最大の謎かもしれない。股関節は人間にとって大事なパーツである。ストレッチを行い強くしなやかに保ち続けることで心身ともに健康になる。イキイキと生きること。それが「しあわせ」に繋がっていく。
「だからもう一回結婚しよう。離婚したくなったらまた離婚すればいい。また追いかけて結婚しようって言うから」幸太郎のこのセリフに主題歌がうまくハマる。
どんな絵かも知らない絵のタイトルをずっと覚えている幸太郎は、ほんとうにネルラを愛しているのだと思う。いや、単に記憶力がやたらといいだけかもしれない。元サヤに戻った幸太郎とネルラ。鈴木家の食事会が復活したときも、それぞれの誕生日のメニューをちゃんと覚えていた。
考は幸太郎の誕生日に手の込んだ煮込みハンバーグを作る。でも幸太郎は煮込みじゃない素朴なハンバーグが好きらしいのだが、それを飲み込んで、煮込みハンバーグを喜んでみせる。こういう家庭の問答無用の温もりが幸太郎には慣れない。「やっぱりこの家は疲れる。家族は苦手だ」と心のなかでつぶやく。
たくさんの犯罪の裁判に関わってきて、人間のドロドロした欲望や悪意を見てきただろうから、善意しかない鈴木家に違和感を覚えるのも無理はない。家族の間では、理路整然と法律に則って物事を整理できない。
「マリッジ・サスペンス」というのは終わってみると言い得て妙だなと感じる。結婚生活、家族関係は意外と心理サスペンスに満ちている。相手の意をどこまで汲めるのか汲めないのか。常に緊張の糸が張り詰めている。ニコニコと笑いながら裁ちばさみを常に突きつけられているように。正解を間違えられない。そこまでしても一緒に生きていきたい人ってどういうことなのだろう。
幸太郎の場合は、ネルラという不思議な人物。人の心理に長けた幸太郎が唯一(?)操れない人物。そこにたまらない魅力があるのだろう。
ネルラの家族もまた、度し難い家族思い集団で、それも幸太郎には理解の範疇を超えているから面白く感じているのかもしれない。こうして奇妙な偶然の出会いから幸太郎は人生最大の難題・しあわせな大家族生活に身を投じていく。
このドラマは令和が舞台で、近代的なマンションのなかで4世帯が程よい距離感をもって暮らしているという現代性があった。新たな大家族ドラマの可能性を拓いたといえるだろう。
その一方で、昭和の視聴者に愛された、因習に縛られた大家族の悲劇を描くミステリーの要素も引き継いでいる。
ひと皮剥くと昭和のミステリー、横溝正史シリーズのような世界観でもあった。昭和の時代だったら岡山だとか、鈴木家のお墓のある舞鶴が舞台になっていただろう。閉塞的な社会のなかで、愛憎の果てに子どもが殺人を犯したことを家族で隠し続ける。なぜ、こんなことになってしまったのか、同情も伴う悲劇を探偵が胸を痛めながら解き明かすという構造である。
つまり、角度を少し変えれば、まだこういうミステリーも有効なのではないだろうか。脚本・大石静は昭和の大家族ミステリーを令和にアップデートしたともいえるだろう。
曲者を演じさせたらトップクラスの名優たちが集まって、濃密でスリリングな物語を見せてくれた。
最後の最後、もう一度、ふたりの幸せなベッドシーンになったときは、このうえもなく多幸感にあふれていた。とても洒落たドラマだったなあと思う。
幸太郎とネルラは並列に寝ているのではなく、絡み合うように寝ている。寛が「人生は糾える(あざなえる)縄のごとし」と言っていたように、夫婦はよりあわせた縄のように、いいことも悪いことも交互にねじり合いながら生きていく。
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※番組情報:『しあわせな結婚』