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桂歌丸逝去の翌日の収録。林家木久扇が歌丸への思い、声を失った時の心境を語る

いま一番聞きたいあの人の言葉を心の奥底から引き出すインタビュー番組『ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~』(BS朝日)。

©BS朝日

8月11日(土)に放送される同番組には、国民的番組『笑点』の最年長、落語家・林家木久扇が登場。

芸歴は間もなく60年。『笑点』メンバーのなかで最も付き合いが長かったのが、2018年7月2日に逝去した桂歌丸だ。気心の知れた間柄であった。

実は木久扇もこれまでに2度がんを患っており、喉頭がんを患った際は、噺家の命である声を一時的に失ったことも。くしくも収録は、歌丸が逝去した翌日。今、木久扇は何を語るのか。注目の1時間だ。

 

◆初高座の思い出から、逝去した桂歌丸への思いまで

落語家・林家木久扇は1937年10月19日に東京・日本橋で生まれた。実家は雑貨問屋で、とても裕福な暮らしを送っていたが、1945年の東京大空襲で家が焼け落ち貧しい生活に一変。

落語家になる前、実は意外な職業に就いていたという木久扇が高校卒業後に働き始めたのは、食品メーカーの「森永乳業」。さらには、当時ヒットしていた漫画『かっぱ天国』の作者・清水崑の門下となり、漫画家デビューも果たすほどだった。そんな木久扇が、いかにして落語家になったのか。

1960年、22歳で三代目・桂三木助に入門するが、半年後に三木助が他界し、八代目・林家正蔵の元へ移る。初めての高座では、与えられた持ち時間が少なく、前代未聞の行動に出たという。その驚きの行動とは…?

そして1969年、32歳のときに国民的娯楽番組『笑点』のレギュラーメンバーに。今や最古参かつ最年長である木久扇は、まもなく出演50年に突入する。

『笑点』の知られざる舞台裏から、先日逝去した桂歌丸への思い。さらには、胃がん・咽頭がんと2度もがんを患い、声を一時的に失ったときの心境。そして、木久扇流のがんとの向き合い方まで、赤裸々に語ってくれた。

インタビューは、東京・日比谷にある帝国ホテルで行われた。2007年、息子に自らの芸名を譲り、落語界初の親子ダブル襲名を行った記念すべき場所で、木久扇が存分に語る。

※番組情報:『ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~
2018年8月11日(土)午後6:00~午後6:55、BS朝日(※放送休止の場合あり)