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名曲「恋人よ」のフレーズに刻まれた悲しみとは? 五輪真弓の素顔が明かされる!

聞かれる側と、聞く側“インタビュアー”の手に汗握る真剣勝負を完全収録した、新感覚のインタビュー番組『ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~』

4月30日(日)にBS朝日にて放送される同番組に、66歳の今も変わらぬ歌唱力で歌い続けているシンガー・ソングライター、五輪真弓が登場する。

©BS朝日

透明で伸びのある歌声と、独特の寂しげなメロディー、そしてミステリアスな雰囲気で一躍人気となり、女性シンガー・ソングライターのパイオニア的存在として活躍してきた彼女の辿ってきた運命とは?

 

◆デビューのきっかけはラジオ番組のオーディション

幼い頃から様々な音楽に影響を受けてきた五輪は、高校1年生のとき父に懇願して手に入れたギターを夢中で練習し、洋楽を弾き語りで歌うようになった。

それからしばらくして、卒業生を送る会でソロで歌うことになり、初めて人前で自分の声を披露したことで、喝采を浴びる喜びを知ったという。

これを機に、当時人気だったフォーク喫茶や米軍キャンプで歌い続け、19歳の時にラジオ番組のオーディションに合格したことをきっかけにプロデビューの話が舞い込む

すると五輪は、ただ歌うだけの歌手ではなく、シンガー・ソングライターとしてデビューするため、曲作りを始めたのであった。そして1972年、21歳のときに「少女」でデビューし、オリコン6位を記録した。

 

◆パリでの経験から生まれた名曲「恋人よ」

デビュー4年目にレコーディングのために訪れたパリでは、シャンソンの大人気歌手アダモのステージで歌うなど、半年ほど滞在した。このときの経験により、観衆に訴える曲作りに目覚めた五輪は究極の別れの曲を作りたいと考え、そうして誕生したのが名曲「恋人よ」だった。

美空ひばりをはじめ国内だけでも20人以上の歌手がカバーするなど、後世に残る名曲となった「恋人よ」。さらに、香港や台湾、韓国など海外でも人気歌手にカバーされ、大きな賞賛を浴びた。

その歌詞の一節には、ある親しい人が、突然亡くなった悲しみが刻まれているという裏話も…。その真相が明かされる。

◇◇◇

このほか、33歳の頃に訪れた転機とその後の人生についても語る。人生の転機とともに変化してきた、曲作りへの姿勢や熱い思いとは?

※番組情報:『ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~
2017年4月30日(日)、午後6:00~6:54、BS朝日