キックボクシング史に残る新たな伝説。“基本”への愚直さがもたらした壮絶逆転劇
7月15日(日)に放送されたテレビ朝日のスポーツ情報番組『Get Sports』では、キックボクサー・江幡塁選手について特集した。
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1991年1月、茨城県土浦市に生を受けた双子の兄弟がいる。やがて兄弟は共にキックボクサーとなり、圧倒的な攻撃力でKOを量産。フライ級・スーパーバンタム級というそれぞれの階級で“日本最強”と称されるまでの存在となった。
兄・睦(むつき)と、弟・塁(るい)の江幡兄弟だ。
そして2018年6月、弟・塁に格闘家としての人生を左右するような一戦が訪れた。若さと勢いで台頭し、脚光を浴びる男との“日本最強決定戦”。「自分が一番強いんだということを証明したい。強くなりたくて始めたキックボクシングだから」――そんな想いで臨んだ大一番の結末は…。
◆“基本”を愚直なまでに信じて
江幡兄弟が所属するのは、東京・代官山の伊原ジム。
ある日、江幡塁は伊原信一会長とのマンツーマン練習を行っていた。地味ながらも、厳しく濃密な時間。会長が繰り返し注意していたのは、キックボクシングの基本である“身体のバランス”についてだ。
「基本があってこそ、次に繋がるもの。自分で言うのもおかしいけど、僕はそこに拘ります」と語る伊原会長。彼は、日本中がキックボクシング・ブームに沸いた1970年代、沢村忠らと共にその名を轟かせた名選手である。指導者に転じてからは、基本を重視しそれを徹底して繰り返す方針を貫いている。
その下で、キャリア10年を超えた塁。今も会長からパンチの基本である“ストレートの打ち方”について注意を受ける。
「基本がいちばん難しい。会長とトレーニングしていると目覚めます。やっぱり常に立ち返るのは、そこですから」――27歳の塁は、昔ながらのスタイル、基本の大切さを愚直なまでに信じ、日本キックボクシング界のトップを走ってきた。
◆台頭する“新世代の才能”
近年のキックボクシング界では、“新世代”と称される才能が台頭。華やかなファイトスタイルで脚光を浴びている。
その1人が、19歳の那須川天心(なすかわ・てんしん)だ。デビュー以来無敗を誇り、キックボクシングの範疇を越え、総合格闘技でも活躍している。
さらに、22歳の小笠原瑛作(おがさわら・えいさく)。自慢のスピードを武器に連戦連勝し、現在2本の世界王者ベルトを巻き、端正な容姿でも人気を集めている。
階級は、2人とも塁と同じスーパーバンタム級(※およそ体重55kgの階級)。彼らは“3 強”と呼ばれ、その直接対決が待望されてきた。
そんななか、“3強”同士の初めての直接対決となる江幡塁と小笠原瑛作の一戦が遂に実現することとなった。
基本に忠実な正統派スタイルの塁に対し、ド派手な攻撃を売りとし、時には変則的な技さえ繰り出す小笠原。全くスタイルの違う2人が雌雄を決する、“日本最強決定戦”である。
◆大切な人へ。届けたい想い
格闘家として大きな節目ともなる決戦を前に、塁は兄・睦と共にある場所へ報告に向かった。それは、昨年9月に亡くなった祖父・育男さんのもとだ。
育男さんは、孫たちが幼い頃からスポーツの楽しさを教えてきた。彼らがキックボクサーとしてデビューしてからは、趣味のカメラの腕前を活かして兄弟の闘いぶりを写真に記録。ファインダー越しに活躍を見届けることを、何よりの喜びとしていた。
2016年に取材した際、我々の取材にも応じてくれた育男さん。このとき既にガンを患っていたが、孫たちの存在について穏やかな笑顔を交え語ってくれている。
「退院して4日か5日で、後楽園へ写真撮りに行ったんですよ。ものすごく体調悪かったけど、あいつらが世紀の一戦やっているのに、今、帰るワケには行かないと思って、頑張って撮って。やっぱりファイト満々でやっている姿を見たら嬉しかった。彼らが頑張っているのに、自分が頑張らなくちゃと思いましたよ」
このときの映像を、今回初めて目にした江幡兄弟。塁は、「おじいちゃん、こういう話を僕らには面と向かって話さなかったので…」と口にする。
誰よりも活躍を願ってくれていた祖父のためにも――塁は、勝利への想いをより強くしていた。
◆決戦へ。見出した“小笠原対策”
刻一刻と迫る決戦のとき。塁は、伊原会長と共に徹底的に己の肉体を追い込んでいく。
その一方、自宅での読書も大切なルーティンと位置付けていた。書棚には、幅広いジャンルの本が並ぶ。
なかでも何度も読み返しているというのが、入門当時に伊原会長から贈られたという剣豪・宮本武蔵の本。「刀も強く握らないっていうんですよ。軽く小指の方を浮かせるとか。そんな力の抜き方とか、勝つための精神の整え方とか、学べることがたくさんあるんです」と塁は語る。
巌流島で、強敵・佐々木小次郎と伝説の死闘を繰り広げ、勝利した宮本武蔵のように――肉体だけでなく、精神面での鍛錬も怠らない。
そして塁は、具体的な小笠原対策も練っていた。
兄・睦がサウスポースタイルの小笠原役となって行うスパーリング。睦が、小笠原特有の大きなモーションからのパンチやキックを放ち、塁はそれを見極め反撃していく。
このスパーリングの狙いを、睦はこう明かす。
「小笠原選手はもともと右利きの選手ですが、それを敢えて左利きのスタイル(右手を前にした構え方)にしているんですね。だから前に出ている右のほうが強いんです。それを活かすために、少し身体を開いて構えているのが特徴。そこから大きくバンチを打つ、大きくキックを蹴り出すので、そこを細かくストレートで打ち抜くというのをやっています」
変則的なサウスポースタイルから、大きなモーションで攻めてくる小笠原。そのときに生じる、身体の中心線に出来る僅かな隙。それを見逃さず、コンパクトな攻撃で仕留める。これこそ、2人が見出した“小笠原攻略法”だった。
決戦を目前に控え、塁はこんなことを口にしている。
「今は、派手なスタイルの選手はいても、基本通りに戦う選手というのは少なくなっています。そのなかで、キックボクシングの基本っていうのを見せられるんじゃないかと」
塁の、そして兄弟の歩みが正しかったことを証明する。その格好の舞台が迫っていた。
◆壮絶な結末を迎えた“日本最強決定戦”
6月、格闘技の聖地、東京・後楽園ホール。キックボクサー・江幡塁が迎えた“日本最強決定戦”。
出番直前、控室では伊原会長が塁に最後のチェックを行う。ここでも確認したのは、基本であるストレートだった。
そして遂に、3分・5ラウンドで行われる決戦のゴングが鳴り響いた。
試合序盤、塁の右ハイキックが小笠原をかすめ、すかさずワンツーから左パンチ。間が空いたところで、塁の右ひじが相手の顔面にヒット。「ナイス、ナイス」とセコンドの睦からも声が上がる。
しかしその後、小笠原の繰り出した右フックに塁は吹き飛ばされ、尻もちをついてしまう。ここはスリップと判定されダウンこそ取られなかったものの、流れは小笠原に。
いきなり激しい攻防となった第1ラウンドだが、場内に発表されたジャッジ3人による途中採点は、29対30で小笠原を支持。
続く第2ラウンド。勢いに乗る小笠原は、強烈な左パンチで再び塁を吹き飛ばす。さらに得意のバックハンドブローが飛び出るなど、塁は防戦一方だ。
このラウンド、ジャッジの採点は27対30と、3人とも小笠原を支持した。一気に窮地へと立たされた塁。セコンドの睦と伊原会長にも厳しい表情が浮かぶ。
そして第3ラウンド。小笠原が強烈な左ローキック。塁もパンチの連打で返すが、小笠原は左のミドルキックを連発。
これが効いたのか、後退する塁。そこで前へと出て、右フックを繰り出す小笠原。それが空を切った瞬間、中心にできた僅かな隙に、塁は渾身のストレートを叩き込む。
自らのアゴを打ち抜く強烈なカウンターに、仰向けに倒れる小笠原…。ここでレフェリーが両手を振り、“日本最強”が決した。
正に、兄・睦と練った小笠原対策がズバリ的中した展開。最後は、伊原会長と培ってきた右ストレートがモノを言った。
入門以来、積み重ねてきた基本の正しさを信じ、大一番でも貫き通した意地とプライド。兄弟で力を合わせ、天国の祖父にも勝利を捧げることが出来た。
壮絶な逆転劇となった“日本最強決定戦”。それはキックボクシング史に刻まれし、新たな伝説となった。<制作:Get Sports>
※番組情報:『Get Sports』
毎週日曜日深夜1時25分より放送中、テレビ朝日系(※一部地域を除く)