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石丸謙二郎、お金持ち逃げされホームレスに…サーカスのアルバイトで転々と

『世界の車窓から』のナレーションでおなじみの俳優、石丸謙二郎さんは、釣り、フリークライミング、ウィンドサーフィン、登山、スキー、洞窟探検、ダンスなど、芸能界ナンバーワンと言っても過言ではないほど多趣味なアウトドア派。

家でゴロゴロしているなんてことは皆無。早朝に釣りに出かけ、そのあと登山やウィンドサーフィンということもザラにあると話す石丸さんにインタビュー。

◆石丸謙二郎、お金を持ち逃げされホームレス生活?

-趣味が広いですね-
「広すぎてね(笑)役者はね、役者だけやっていれば良いと僕も思ってるんですよ、本当はね。役者が役者以外のことをやるというのは、いかがなものだろうかと思う時代もあった。昔の役者を育てるときには必ずそう言って、僕も言われたものですよ。だから、18歳で東京に来て、それから3,4年はずっと山に登っていたんだけど、あるときパッとやめたの」

-やめちゃったんですか?-
「そう。『今、自分は役者になろうとしているよな、なのにこんなことをやっていて良いのか?』って思って。山は自分を開放する場所だから楽しい。でも、楽しいというのは自分が芝居をやって、そう感じなくてはいけないのであって、僕がある程度の役者になってからやるならともかく、まだ卵にもなっていない状態でほかの遊びをやったんじゃダメだなって。

これが、音楽や絵を描くということだったら感性を磨くというところで方向性が似ているから良いんだけど、山に登るというのはちょっと違ったんだよね。だから、ありとあらゆる遊びを打ち切って、芝居なら芝居1本でやろうと…。それが20歳くらいで、日大藝術学部に行ってたんだけど、大学も辞めちゃった」

-演劇学科でしたよね-
「そうです。だから大学に行けば、芝居の道へのルートがあるような気がしてたんだけど、これは違うなあと思って2年で退学。それもどこかに入るためにというわけじゃないんだよ、何もなくなっちゃっただけ。白紙みたいな状態にしちゃったんだよね」

-大学に通っているときは仕送りで生活ですか-
「そう。大分から出て来てね、親のすねかじり状態ですよ。だから大学を辞めて下宿もなくなっちゃった。でも、若いときってやたらとエネルギーがあるじゃないですか。体力とエネルギーだけはあったから、渋谷のホテルで住み込みのアルバイト、昼間にビルの掃除、夕方からは飲み屋で。寝るのは朝10時から午後1時までの3時間だけ。あとはずっと働いていましたね(笑)。そんな生活を2年ぐらいしていたかな」

-よくからだが続きましたね-
「お金を貯めてニューヨークに行こうと思っていたんですよ。それで、さあ行こうと思ったときに、当時1ドルが360円で、アメリカに行くにはビザが必要だったんですけど、その申請がものすごくややこしかったんですよ。『1万ドル見せなさい』みたいなことを言われたりしてね。そうすると360万円でしょう? 全然足りない。今で言えば1千万円以上になりますからね。

知り合いが『必ず儲かるから』と言うので、増やそうと思ってお金を預けたら持ち逃げされてしまって…。世間知らずの甘ちゃんだったんですね。みんなに送別会までしてもらったのに、行けなくなって、東京からいなくなっちゃったりしてましたね(笑)」

-その間はどこに?-
「その頃はサーカスのアルバイトもしていたので、あちこち転々としていましたね。家はないから公園で寝たりしたこともあったくらいでした」

◆知り合いのつてで…つかこうへい劇団に裏口入学?

一時はいくつものアルバイトをかけもちながらフラフラしていたという石丸さん。アルバイト先のひとつが、渋谷パルコパート2があったところの近く。そこで芝居の稽古をしていたのが、つかこうへいさんだった。

「友人がつかこうへいさんの芝居に出ていたので、稽古をのぞきに行って、見ているうちに出ることになっちゃってね(笑)。完全に裏口入学ですよ。3000人ぐらいオーディションに来ていましたから」

-つかさんの劇団は狭き門で有名でしたからね-
「そうなんですよ。僕なんかが入るところじゃないと思っていたけど、何か面白そうだというのと、僕は男としては珍しく踊れる、ダンスができる人だったので、そのときはつかさんがちょうどミュージカルを作っていたから出ることになったんです」

-踊りは大学に入ってからですか?-
「そうです。ダンスは面白かったから、1週間のうち6日習いに行ってたんです。18歳から21歳ぐらいまでの3年間、日本舞踊、タップダンス、クラシック、ジャズ。特にタップダンスは気に入りましてね、かなり一生懸命やりました」

-もともと身体能力がかなり高かったみたいですね-
「子どもの頃から山を走り回って『将来はターザンになりたい』って言ってたし、頭を使うよりもからだを動かすほうが合ってるんでしょうね。つかさんにも言われましたもん。『お前はしゃべるな。お前の馬みたいな体力は、舞台でピョンピョン飛び跳ねていればそれで良い』って(笑)。

でも、子どもの頃は野球部にも入ってたんですけど、からだが小さかったから、運動部としてはダメなんですよ。バットが重いしね。僕は心臓も悪い時期があったんですよ。弁膜症で、1年ぐらい『走ってもいけない、お日さまにあたってもいけない』と先生に言われていた時期があって…」

-そんなことがあったんですか-
「病院に行って薬をもらったりして、『歩いちゃいけない、プールにも行っちゃいけない』って言われていたんだけど、言われる通りにしていたら、つまらないじゃないですか。もともとターザンになりたかったのに。勉強がものすごくできるんだったら良いけど、中途半端にしか頭も良くないし…。

だから、もう倒れてもいいやと思って、暴れていたの。プールに行って泳いでもいたしね。しょっちゅう倒れたりもしていたけど、そんなことを続けているうちに倒れることもなくなったし、自然治癒力が働いたんじゃないかと思う」

-でもお医者さんの診断はふつう守ったほうが良いですよね-
「そうですね。でも、そのあと倒れたことがないし。多分、2,3年の間に自分で治しちゃったんじゃないかな。大きくなってからだったら無理だけど、まだ成長期だったから、うまくいったんだと思う。中学2年から高校にかけてだったからね。僕の場合は弁膜症と言っても、中期までいかないぐらいだったということもあるでしょうね」

-それで今も色々なスポーツもされていて-
「だからわからないものですよね。その頃の友だちは僕が元気なのが信じられない。『あの病弱な色白の石丸君だろう? 運動会にも出られず勉強だけしていたのに、いったいどうしちゃったの?』って言うわけですよ(笑)。でも、つかさんの稽古も激しくて、体力的にもかなりきつかったから、それをやっているうちに健康優良児みたいなからだになっちゃったんだね(笑)。

つかさんは昔のレコード盤に針をポンと置いて、音楽がだいたい3分間ぐらい流れますよね。その間は『ずっと踊ってろ』とか、『ジャンプしてろ』と言うんですよ。それで音楽が終わるとポンとまた針を戻す。それを10回やったら30分間でしょう? その間中、ずっと飛び跳ねている体力って、大変なんですよ。それを1時間くらいやるんです(笑)。テープだったら巻き戻す時間があるんだけど、レコードだと1秒もかからずに戻るから、それは体力がつきますよ。1日10時間くらいやるんですから」

-かなりハードですが、全然バテずにこなせたんですか?-
「こなせましたね。心臓も良くなったんじゃないですか(笑)」

◆石丸謙二郎、50歳で『SASUKE』に挑戦!

-遊びを再開したのは?-
「37歳のとき。そろそろ遊びをやっても良いんじゃないかなと思って。もともとが九州の山奥で山の中を走り回っていて、海に行って泳いだり、魚を釣ったり…あんなに面白いことはなかったなあと思っていたものを全部封印していたわけだから、もう我慢できない。

それで、山に登りたいんだけど、汗っかきだから、何か汗をかかないようなスポーツがないかなあと思っていたら、ウィンドサーフィンというものがある。どうせ水にジャバジャバしているんだから、汗をかいているのがわからない。こりゃあ良いなと思って始めたら、やみつきになって…。

その頃には周りがもうみんなうまくて、どうやって追いつき追い越せるかなあと思ってたら、レースというものがあることがわかったんです。レースに出ると救護船が出ていて助けてくれるから遭難する危険もない。それでしょっちゅうレースに登録して出るようになったら、やっぱり自分の能力以上の海に出るからうまくなるんですよ。それで、優勝するようになって、そのうちアマチュアの全国大会で3位ぐらいまでになったの」

-すごいですね-
「ウィンドサーフィンって、ものすごくスピードが出るんですよ。時速50㎞も60㎞も出てみんなレースをやっているわけですよ。そのなかで年齢関係なく、追いつき追い越せだったから、プロのレースにも出ようって。ゴルフのプロアマみたいなレースに出るようになったら、プロが40人くらいいるなかで、僕が13位になったんです。それがもう50歳ぐらいのときだから、やればできるんだなあって。

スピード記録にも挑戦して、時速73.71キロという日本で3位の記録は61歳のときにつくりました」

-からだが進化し続けていますね-
「そう。それでその頃から『SASUKE』に出るようになったんです」

※『SASUKE』=TBS系列で不定期に放送されているスポーツエンターテインメント番組。出場者はさまざまな障害物をクリアしていかなければならない。石丸さんはこれまで16回出場している。

-『SASUKE』に出られたときはビックリしました。肉体派というよりインテリのイメージでしたから-
「そういう役が多かったからね(笑)。だから『SASUKE』に出るまでは、ウィンドサーフィンをやっていることも黙っていたんですよ。やっぱり役者は役者だけやっていたほうが良いというのがあるから。マラソンや自転車だと偉いとと言われるけど、ウィンドサーフィンだと遊んでるって見られるでしょう? 僕ら5,6時間、海の上に出て、ものすごく大変なんですけど、遊びには変わりない。だから『遊んでる』って言われたら『はい、遊んでます』って(笑)。

それなら何でもやれば良いじゃないかって、47歳ぐらいのときにはフリークライミングの大会にも出るようになって、国体予選にも出たんですよ。そして封印していた登山も50歳ぐらいになってから復活させて、あちこち山に登るようになって、60歳からはスキーも始めました」

-1日に遊びのかけもちもあるそうですね-
「一番忙しいときは、午前中魚釣りに行って、そのあと山登りに行ってウィンドサーフィンに行って、夜は魚をさばいてみんなにご馳走したりね。友だちにご飯を食べさせるのも好きだから。それで、それから車に乗ってキャンプに行くとかね。なんか全部複合して遊びたいんですよ(笑)。

そのかわり、仕事はちゃんとしますよ。もともと好きで始めた芝居だから、時間を全部芝居に取られても、そんなストレスがたまるわけでもない。たとえば3ヵ月間、舞台をやると、その間はどこにも行かないけど、それはそれで楽しいから」

仕事も遊びも精力的にこなしている石丸さん。「『SASUKE』はおとなのターザンごっこだから絶対に出たいと思っていたんです。1回目は局からのオファーではなく、自分で応募した一般応募でした」と話す。『SASUKE』にはこれまで16回出場。今後も挑戦する気満々。

次回後編では、32年目を迎えた『世界の車窓から』の秘話、ターザンになりたかった少年時代、高校時代に生活していた100畳の自室、健康の秘訣を紹介。(津島令子)

世界の車窓から
テレビ朝日系にて毎週月曜日と火曜日、23:10から放送(一部地域をのぞく)
ナレーション:石丸謙二郎