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津田寛治、大杉漣さんの人情味溢れる行動に感服「あんなに愛の深い人は本当にいない」

北野武監督の『ソナチネ』で映画デビュー後、数多くの映画やドラマ、舞台、アニメーション作品の声優、監督として幅広く活動を続けてきた津田寛治さん。今年2月に急逝した大杉漣さんも『ソナチネ』で北野監督に抜擢されたひとり。津田さんは大杉さんに感謝しても感謝しきれない恩を感じていた…。

30歳

 

◆大杉漣さんもたけしさんに出会うべくして出会った

-津田さんが北野武監督とともに感謝してもしきれないという方が大杉漣さん、2月に亡くなったときには驚きました-
「京都の現場で訃報を聞いたんですけど、信じられませんでした。何度も空を見上げて『寛ちゃん、大丈夫だよ』と言う大杉さんの声を探していました。大杉さんがいなければ、いま僕は俳優としてここにいることはできなかったと思います。何の恩返しもできなくて…ただただ残念です。戻って来て欲しい。悲しくてたまらないです」

-4月14日のお別れ会には1700人もの方々がいらっしゃいました-
「俳優や仕事仲間だけでなくバンドの方やファンの皆さんも参加されていたりするのを見て、本当にいろんな人たちに愛されていた方なんだなあと思いました。お別れ会で流れたVTR(過去の映像など)も大変よくできていて、僕の知らない大杉さんもたくさん見ることができた、愛情のこもった会でした」

-大杉漣さんも『ソナチネ』で北野監督に見出されました-
「大杉さんはオーディションに遅刻して行かれて、スタッフさんに『すみません。もう終わっちゃったんで、今回はなしで』って言われて、『すみません』って帰ろうとしたら窓際で外を見ながらたばこを吸っている人がいて、『あっ、ビートたけしさんだ。たけしさんを見られただけでも良かった』と思って帰ったら、大杉さんが受かっていたっていう…(笑)。外を見てたばこを吸っているのに、遅れてきた大杉さんを見ていたっていうね。ほとんど下を見てるんですけど、よく人を見てるんですよね。たけしさんって本当にすごいなあって思いました」

-大杉さんももともとは30秒ぐらいしか出番のない役だったそうですね-
「そうそう。大杉さんもあのとき、役がふくらんだんです」

-最後はたけしさんの盾になって銃で撃たれていました-
「そうですね。大杉さんが『津田君良かったね。僕ら(撮影で)沖縄に行けるんだよ』って言われて2人で喜び勇んで行きました。でも、(脚本では)最初は僕が爆死するときに大杉さんも一緒に死ぬ予定だったんですけど、急にたけしさんが大杉さんの手を引っ張って、『大杉さん、こっちに来よう』って連れて行っちゃったんです。

『えっ? 何で? 大杉さん、どこに行っちゃうの?』てビックリしてたんですけど、それで結局、最後の石垣のほうまで生き延びて…。大杉さんも本当に優しくてね。大杉さんもたけしさんと絶対に出会うべくして出会った方で…。大杉さんにもすごく良くしていただきました」

-大杉さんは「ソナチネ」のオーディションに落ちたら、田舎に帰って会社員になるつもりだったそうで、たけしさんが「こういう言い方をしたら何だけど、俺がソナチネで役者として生かして、アウトレイジ最終章で死なせたという感じがするんだよね」っておっしゃってました-

-たけしさん、大杉さんとも取材をさせていただいたことがありますが、お二人ともすてきな方ですね-

「ちょっと言葉にできないくらい…。去年『目黒シネマ』という映画館で、僕がチョイスする映画というので『ソナチネ』を選ばせていただいたときに、トークもやって欲しいってダメもとで大杉さんと渡辺哲さんに声をかけたらお二人とも来て下さって。それで大杉さんが『寛ちゃんね、ちょっと寛ちゃんに手紙を書いてくれた人がいるから読むね』って読んでくれて『ソナチネがフィルム上映されるのをうれしく思います』って始まったから、『あっ、ソナチネに出ている人だったら、森ちゃん(森下能幸)だな』なんて思ってたんですよ。(笑)

バイト先も一緒だったので『劇場に来られないから手紙をくれたんだ』って思っていたら、最後に『監督、北野武』って聞いて、『えーっ!?』って…。本当に何て言うか、『ソナチネ』でデビューさせていただいて、長い時間を経て、ああいうすてきな映画館の壇上で、お手紙をいただいたというのがね、僕ももう言葉にできないくらい感無量でした。『よくここまで来たね』って、たけしさんに言っていただいたような気がして…。それをまた大杉さんに朗読していただいてというのが、自分の人生のなかでも忘れられない舞台あいさつになりました」

 

◆津田寛治「大杉漣さんのおかげで色々な監督との出会いが…」

-お二人とも「ソナチネ」をきっかけに俳優として大きく羽ばたいたということもあって、大杉さんも津田さんのことを気にかけてらしたでしょうね-
「大杉さんに『ソナチネ』の現場で『僕は竹中直人監督の無能の人とかも好きなんですよ』って言ったら、『僕は無能の人に出ていたから、竹中さんをよく知ってるからさ、今度紹介するよ』って。その場の社交辞令だとしても良い人だなって思っていたら、本当に『津田君、あした僕TMCに竹中さんに会いに行くんだけど、良かったら来る?』って言ってくれて、そのおかげで僕は竹中監督の『119』という映画に、そのあと出られたんです。

本当に大杉さんに感謝してもしきれないって思っていて、このご恩をいつか返そうと思っていたら、また大杉さんから僕の6畳一間の風呂もトイレもないようなアパートに電話がかかって来て、『大杉です。寛ちゃん元気? いやあ、今、日本映画界はね、若い監督がどんどんすごいのが出て来ているよ。あのさ、SABUって知ってる?』って言うので『もちろん知ってますよ。弾丸ランナーですよね?』って言ったら、『その舞台あいさつがあるから、寛ちゃんおいで、紹介してあげるよ』とかって言って、それでまた紹介していただいて、SABU監督の映画にも出られるようになって…。

『あとね、黒沢清っていうすごい監督がいるよ。寛ちゃん、彼も紹介してあげるから』って。『何でこんなによくしてくれるんだろう? 僕のことを気に入ってくれてるのかな?』って思ったら、大杉さんは僕だけじゃなく、若い俳優みんなにそうしていたんですね。それでご自身が独立されたときに、若い俳優さん、伸び悩んでいる俳優さんをたくさん入れて、彼らに仕事がくるようにって、ギャラも安ければ、そんなにやりたくない仕事でも、『彼らを出してくれるなら俺はやります』って言ってやってたんですよね、後期は。あんなに愛の深い人は本当にいないなあって思います」

-そうですね。大杉さんのことを悪く言う人は誰一人いませんからね-

「いないですね、大杉さんに関しては。みんなね、『漣くん、漣くん』って呼んでいる若い女優さんもたくさんいて(笑)。大杉さんご自身が自分のことを『漣くん』って言っていたから…。『漣くんが立つのは、ここで良いの?』なんて言ってましたね(笑)。一緒に時代劇に出たときに、『今の漣くんOK?』なんてやってました(笑)」

-本当にカッコ良かったですよね-

「カッコ良かったです。すばらしい俳優。本当にね、大杉さんがいたおかげで日本の若い俳優は、良い背中を見せてもらって、ちゃんと迷うことなく日本映画のために歩めるんじゃないかなって。ああいう背中をちゃんと見せてもらうと、若い俳優も自分のことを俳優という仕事をやっている、ひとりのちゃんとした働いている人間なんだって思えますね。大杉さんみたいな方がいらしてくれると」

-津田さんも大作だけでなく、低予算の作品にも出演されていて、大杉さんの精神が受け継がれている感じがします-

「そうですね。ありますね。大杉さんとかね。岸部一徳さんにしても本当に電車で来ますからね。『この後、中華屋に行こうよ』なんて、また京王線に乗って(笑)。背が高いからみんな見てるんですけど、『いやあ、きょうも大変だったね』なんて言いながらね。でも、ああいう背中を見ているから、やっぱり、『映画俳優たる者は電車なんか乗っちゃいけない』とか、そういう風に思わなくて済んだんですね。

『普通に生きている人間を演じるんだから、普通に生きなきゃダメだ』って思えるようになったから、電車を使って現場には行くし、地方に行っても普通に銭湯に入りに行ったりとか、普通の人が普通に暮らしている場所で生きることができています。俳優というのは別に芸能人じゃないんだからみたいなことを先輩がたが教えてくれたというのはありますね」

 

◆津田寛治、北野武監督への売り込みでメチャクチャ怒られた!

-北野監督作品には『ソナチネ』の後も出演されています-

「ありがたいですね。でも、『キッズリターン』のときに『よし、この戦法で行け』と思って、また『オフィス北野』にプロフィルを持って行ったら、キャスティングの人にメチャクチャ怒られて(笑)。『こうやってお前、何でもかんでも監督に直談判みたいにして来られたら、ほかのやつもみんなマネをするだろう? お前、監督のことをちゃんと考えているのか? 自分のことしか考えてないだろう。お前が出れば北野作品が良い映画になるってわけじゃないんだぞ。今回はもうないから帰れ』って言われて…」

-そんなことまで言われたんですか-

「すごく怒られました。でも、本当にそうだよなあって思って帰って、カフェでおとなしく皿を洗っていたら、その怒ったキャスティングの方が、ちょっとかわいそうだと思ったみたいで『津田君さ、あした空いてる?』って来たんですよ(笑)。

『もしあした空いていたら中華料理屋のシーンでさ、オヤジとヤクザが会話している背景が寂しいなと思ったときに、店員として出てもらいたいんだけど。でも監督が寂しくないとか、絵として成立していたらないよ。ただ、監督がオヤジひとりだと、ちょっと寂しいなと思ったときに、背景にちょっといるぐらい。セリフとかも何もないけど、それでも良かったら、来る?』って。それで『是非!ありがとうございます』って言ったんですけど『でも、監督としゃべっちゃダメだぞ。しゃべったらお前、また増える可能性があるから』って言われて(笑)。

でも、やっぱり現場で監督がいらしたときにあいさつもしないわけにはいかないじゃないですか。みんな総立ちになって『おはようございます』ってやってるから。僕も監督のところに行って『おはようございます』って言ったら『あれっ、あんちゃん来てたの?来るなら来るって言ってよ』って言って、カメラマンの人に『あのさ、このあんちゃんのアップ、ひとつ増やして』って、まるでお小遣いをくれるみたいに(笑)。

『ありがとうございます』って言って、皿洗っているところのアップを撮っていたら、『うーん、あんちゃん、ラーメン屋っていうより、やっぱりヤクザだな』って言って(笑)。ラーメン屋の息子がヤクザの世界に入るという設定になったんです。そのときに初めて、北野組で僕はカズオという役名までいただいて。偶然なんですけど、カズオというのは僕の亡くなった父の名前でもあったので、それもうれしかったですね。

あれもそういった意味で本当に『今回はお前、もう絶対にないから』と言われていたにも関わらず、役名までいただくくらい大きい役にしていただいて、それもまた本当に普通は有り得ない話なんですけどね」

―「絶対にないと」言っていたキャスティングの方は何か言ってました?-

「喜んでくれました。『良かったなあ、津田君。良かったなあ』って。良い人だったんですね(笑)。たけしさんご自身がああいう方だから、やっぱりそういう良い人が周りに集まって来られるんだなあっていうのは感じますね。みんな本当に分け隔てなく、人に対して、ちゃんと自分のことのように考える人が多かったので、その愛に助けられたなあというのはありますね」

自分が出演した作品とスタッフ、キャストの名前をおぼえておくために、日付と名前を入れて台本はすべて取ってある津田さん。自室の壁面に取り付けられた本棚にはあふれんばかりに台本が並び、誠実な人柄を感じさせる。次回後編では、主演映画「名前」の撮影秘話を紹介。(津島令子)