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演歌歌手・三山ひろし、家計助けた中学時代。そして25歳での覚悟の上京物語

いま一番聞きたいあの人の言葉を心の奥底から引き出すインタビュー番組『ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~』(BS朝日)。

©BS朝日

3月10日(土)に放送される同番組には、今年デビュー10年目を迎える歌手・三山ひろしが登場する。

学生時代は新聞配達で家計を助け、高校卒業後に就職。その後どのように歌手を目指し、夢をかなえたのか?

 

◆「売れるまでは絶対に帰らない!」25歳で上京を決意

小学生のときに両親が離婚し、祖父母・母・弟の5人で暮らしていた三山。貧しい家計を母親が女手一つで支えた。

三山は、中学1年で新聞配達を始め、家計を助けるようになる。心の支えになったのは、祖母が好きな「演歌」だったそうだ。3歳から演歌を歌っていた三山は、いつしか演歌歌手になることを夢見るようになる。

高校卒業後はガソリンスタンドに就職。その頃、祖母から詩吟をすすめられ、詩吟教室に通い始める。すると数多くの賞をもらうようになり、詩吟の師匠になる道を薦められる。しかし、「詩吟よりも演歌!」と最後の後押しをしてくれたのも祖母だった。

三山はNHKのど自慢に応募すると、審査に合格してチャンピオン大会に出場する。「やはり僕には演歌なんだ」「売れるまでは、絶対に高知には帰らない!」と上京を決意したのは、25歳のときだったという。

上京後、知人の紹介でウエイターとして働いていたが、実はその店のオーナーは歌手の松前ひろ子だった。三山は、松前とその夫で作曲家の中村典正に弟子入り。そして2007年、日本クラウン創立45周年新人オーディションで「準グランプリ」を受賞。2009年には『人恋酒場』でデビューする。「これで故郷に帰れる、母親の顔がみれる」と涙ながらに三山は語った。

現在は演歌界のホープと目され、紅白歌合戦には2015年から3年連続出場。高音には清潔感、低音には安心感と活力がある三山の歌声は、活力をビタミンに例えて「ビタミンボイス」と呼ばれている。

そんな活躍目覚ましい三山に、タレント・エッセイストの小島慶子が迫る。

※番組情報:『ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~
2018年3月10日(土)午後6:00~午後6:54、BS朝日