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亡き友に悲願の金メダルを…1000mで銀の小平奈緒、得意の500mに挑む

©テレビ朝日

平昌五輪スピードスケート女子1000mで、小平奈緒(31)が銀メダルを獲得した。銅メダルの高木美帆(23)とともに、個人戦では日本女子初のダブル表彰台を達成した。18日の最終種目500mは、W杯で24連勝中の得意種目。今度こそ金メダルと期待が高まる。

今は亡きスケート仲間の思いを胸に、平昌のリンクに立っている。2005年2月、長野・北部中の頃から大会や選抜合宿で一緒だった境勇也さんが、大会に向かう途中の交通事故で死去した。18歳の若さだった。境さんは名門の北海道・釧路北陽高に進み、世界ジュニア選手権でも優勝するなど、将来の五輪メダルを期待された逸材だった。

小平は同年齢で、練習熱心な境さんと意気投合。いつも競うように、遅くまで練習していた。突然、この世を去ったリンクの相棒が語っていた五輪の夢を背負い、2010年バンクーバー大会に初出場。帰国後、実家を訪れて仏前に団体パシュートの銀メダルを報告した。境さんの一周忌に両親がスケート仲間に贈ったガラス製のペーパーウェート(重し)を、今も大事に使っているという。

今年1月には、信州大の同級生でソチ五輪にも一緒に出場した住吉都さん(享年30)の訃報を聞いた。先月24日の結団式、壮行会では、「大学の4年間、一番近くで一緒にやってきた仲間が、こういった形になってしまい、私自身信じられない思いがあります」と語り、涙を流した。

住吉さんが昨年末の五輪代表選考会で敗れると、年明けに食事をしたという。小平は2014年ソチ五輪の500mで5位に終わり、単身オランダで武者修行して再起。住吉さんは心身ともに強くなった経験談をニコニコしながら聞いて、前向きになっていたという。それだけに突然の死が信じられなかった。

結団式の前日に故人の実家で線香を上げ、別れを告げた。「私は住吉から、すごくスケートに一生懸命な姿を学んだ。その姿が頭から離れない。住吉の人生の分まで生きることはできないですけど、ご家族から『都の分までスケートを頑張って』と言ってもらった。平昌五輪でしっかりと自分の力を出して、スケートが好きな気持ちを、みなさんに見てもらいたい」と決意を述べた。小平にとって、平昌のレースは「弔い合戦」でもある。

所属する松本市の相沢病院には、「恩返し」の快走を誓っている。大学4年の2008年、右足首を負傷してシーズンを棒に振り、所属先が決まらず悩んでいた時、治療に通っていた同病院が手を差し伸べてくれた。

職員として採用され、競技に専念できる環境を用意してもらった。遠征は出張扱い、用具代や渡航費などサポート費用は年間1000万円以上になる。小平は病院を訪れるたびに、病室を回って入院患者を励まし、交流を深めている。逆に「あなたの活躍で元気をもらっている」と熱い声援を受けることも。

4年前のソチでは悔し涙を流したが、平昌では1500mの6位に始まり、世界記録を持つ1000mは銀メダルで笑顔の表彰台。同病院の相沢孝夫理事長(70)は「とにかく納得の滑りで最後の500mを締めくくってほしい」と願った。

日本選手団の主将も務めて、エースの風格を漂わせる小平の金メダル・スマイルを見たい。

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