金メダル最有力、スピードスケート高木姉妹。五輪同時出場までの“光と影”の歴史
2月4日(日)に放送されたテレビ朝日のスポーツ情報番組『Get Sports』では、平昌オリンピック・女子スピードスケート代表選手の高木菜那・美帆姉妹について特集した。
◆いま日本で最も熱い2人
平昌五輪・女子スピードスケート代表、高木菜那・美帆姉妹。彼女たちは、去年11月から12月にかけ、スピードスケート・ワールドカップの女子チームパシュート(団体追い抜き)で、なんと3度にわたって世界新記録を叩き出した。
この種目は1チーム3人で構成され、2つのチームがメインストレートとバックストレートの中央から対極に分かれ同時にスタート。女子はコースを6周(男子は8周)し、3人目の選手がゴールしたタイムが速い方の勝利。2006年のトリノ大会から五輪で採用されている。
現在、このチームパシュート日本代表メンバーは、佐藤綾乃、菊池彩花、そして高木菜那・美帆姉妹の4人。なかでも高木姉妹は、3度の世界新記録レースの全てに出場するという、正に日本チームの屋台骨となっているのだ。
まもなく開幕する平昌五輪の金メダル最有力候補と目されている彼女たち。だが、ここまでの8年間、2人は互いにオリンピックの“光と影”を経験していた。
◆高木姉妹が経験したオリンピックの“光と影”
2009年12月、翌年開催のバンクーバー五輪代表選考会。妹・高木美帆は、女子スピードスケート1500mで優勝を果たし、冬季五輪史上最年少の15歳でオリンピック代表となった。そんな“スーパー中学生”の誕生に当時大騒ぎとなったことを記憶している人も少なくないだろう。
その五輪を1ヶ月余後に控えた2010年のお正月、取材カメラは高木美帆に向けられた。
このとき、美帆の後ろにいた少女に記者は、「そちらは妹さんですか?」と声をかける。すぐさま「姉です。よく間違えられます」と返したのが、当時17歳の姉・菜那だった。妹より9cm低い身長155 cmの小柄な体格のため、よく妹と間違われていたという姉の菜那。「美帆にはいつもいじめられているんですよ」と無邪気に笑いながら語ってくれた。
北海道・帯広市に生まれた2歳違いの菜那と美帆は、幼い頃から仲良しでやんちゃな姉妹。ダンス教室へ通ったり、スケートを楽しんだり、何をするにもずっと一緒だった。
2人にとって忘れられないのが、“陸(おか)リンク”と呼ばれていた場所だ。運動場に氷を張った手作りのリンクである。いわば、スケーター高木姉妹の原点だった。
そして、陸リンクからオリンピックのリンクへと羽ばたこうとしていた妹に対し、当時姉はこんなメールを送る。
「美帆は今、バンクーバーの女神なんだぞ!! 奇跡おこしてこい! どんなことがあっても、ななちん、味方だから…。みほ~ 大好きだぁー」
それに対し、妹は…
「わかってるよ。まぁ何とかなるっしょ! とりあえず楽しんでくるから。でわ、いってきー」
迎えたバンクーバー五輪。美帆は1000mで35位、1500mで23位と成績は残せなかったものの、オリンピックという大きな経験を得る。一方で菜那は、初めてのオリンピックを観客席から見守っていた。「凄いなぁ。自分も成長して、ここで滑られたらいいなぁ」。
◇
その後、美帆は姉と同じ高校に進学。1年間だけ同じスケート部で過ごすが、卒業後、姉は実業団に進み、妹は大学へ。2人の道は大きく分かれていく。
大学生になった美帆は、以前の活躍がウソのように不調へと陥り、国内大会の表彰台にすら上れない日々。一方の菜那は、一気に国内トップ選手へと着実に成長を遂げていく。今度は、美帆が姉の優勝を祝福する側に回っていた。
そして、2人にとって二度目のオリンピック代表選考会が訪れる。
妹に負けたくない一心で努力を重ねてきた姉・菜那は、見事にソチ五輪の切符を掴み、「やっと妹のライバルになれた」と喜びを見せる。対する妹の美帆は、まさかの落選。「どこかで、オリンピックイヤーというものを甘く見ていた。何とかなるって思っていた部分があった」と肩を落とす。
4年前とは完全に立場が逆転。代表選手発表の場で笑顔を見せる姉を、悔しそうに見つめる妹の姿があった。
そして2人は、4年前と同様に互いにメールを送り合う。
「今まで、美帆のオマケでガンバレ~って感じかと思っていたけど、皆、応援してくれていることに泣きそうになった」と姉。
妹は、「私の方が成績のいい時だって、グレずにずっと応援してくれたじゃん。ずっと頑張ってきたんじゃん。次は私の番。立場は逆転しちゃったけど、私は私なりに頑張るからさ」と返した。
迎えた姉のソチ五輪の試合を、日本で静かに応援していた妹。しかし姉は、1500mで32位、期待されたチームパシュートでも4位。目標としていたオリンピックのメダルを持ち帰ることは出来なかった。
「次は絶対メダルを」と誓った姉。「次の平昌に向け、高め合っていければ」と語った妹。こうして2 人は、互いにオリンピックの“光と影”を経験した。
◆平昌オリンピックへ懸ける、姉妹それぞれの想い
ソチから2年、そして平昌まで2年に迫った、とある日。別々に練習を行っている2人が久々に顔をそろえた。そこで2人同時に発せられたのは…。
「2人で一緒にオリンピックに行きたい、行こうねなんて気持ちは…全くないです」
これまで互い違いに出場したオリンピックへ、今度こそ姉妹一緒にと強く感じているであろうと思っていた周囲を驚かせるような、意外な言葉。
「今までずっと、ライバルにも、美帆にも負けたくないという想いでやってきたし、オリンピックというひとつの目標のために自分はやっている」と語る姉。「私は誰かに負けたくないって言うより、情けないレースをしたくないと思っている」と語る妹。それぞれが、自分の目標を達成するのに精一杯だというのだ。
そんな性格も考え方も正反対な姉妹が、2016年シーズンに入り練習を共にすることになる。それまで練習のベースを実業団に置いてきた姉・菜那が、妹・美帆と同じナショナルチームへ入ることになったのだ。
他人に対して闘争心を剥き出しにする負けず嫌いな姉と、他人ではなく自分に集中するという妹が、高校時代以来、実に久しぶりにそろって練習する日々を送る。こうして切磋琢磨していった2人は、共にさらなる成長を見せていく。
妹・美帆が個人でワールドカップ初優勝を飾るなど一気に世界のトップへと躍り出ると、2人がメンバーとなったチームパシュートでもワールドカップを制し、共に表彰台へ上る大活躍を見せるようになったのだ。
練習を一緒にするようになってから、2人に何か変化はあったのか? 「一緒にやっているからこそ、自分に何が足りないか気づかせてくれることはある」と、姉妹は異口同音に語ってくれた。
一緒に過ごすことで、互いに認め合い、刺激し合う2人。美帆はこうも語る。
「姉と一緒に表彰台に上りたいとか、そんなドラマチックなこと、考えたこともないです。そんな仲良しこよしな関係じゃない。お互いにライバル視できて、協力もし合えるような関係なんだろうなぁ」
◆故郷へと帰った高木姉妹 そこで交わされた言葉
平昌五輪シーズン開幕を目前にした去年6月のオフ。高木姉妹の姿は、故郷の北海道・帯広にあった。
2人は想い出の場所を訪れる。共に通っていたダンス教室、よく寄り道をしていたお店…。そして、幼い頃スケートに親しんだ原点でもある、あの“陸リンク”の跡地へ。そこで、姉妹2人きりで話し始めた。
姉:「私はずっとオリンピックを一番の目標にして頑張ってきた」
妹:「私がオリンピックを目指して頑張ろうと思ったのは、ソチが終わってからかな」
姉:「ソチは出られると思っていた?」
妹:「何とかなるとは思っていた。それまで何とかなってきたから。でも特別な場所っていう想いはあったし、オリンピックがあるから、スケートとちゃんと向き合おうって思うようになった。でも、やることは変わらないかな」
姉:「オリンピックイヤーって、いろいろ焦らない?」
妹:「いろいろ不安になるよね。ちょっとでも巧くいかないと、凄くショックみたいな。去年までは、こんな感じじゃなかったなぁって思う」
かつては、オリンピックへの道のりを甘く見ていたところもあったと語る妹・美帆。いま、そのオリンピックと正面から向き合うようになったからこそ生まれた、不安。
妹に負けたくないという気持ちを原動力にしてきたと語る姉・菜那。オリンピックへの想いが強くなってきたいまだからこそ感じる、焦り。
4年前までとは違う想いを胸に平昌へ挑もうとする2人が、そこにいた。
◆「姉だからこそ、苦しいポジションも任せられる」
チームパシュートの強さを支える、高木姉妹。
冒頭でも説明した通り、女子チームパシュートは1チーム3人でコースを6周するタイムを競う。その際に重要なポイントが、先頭を滑る選手の交代にある。縦一列で滑るのが基本隊形のこの種目では、最も風の抵抗を受ける先頭の選手は順次交代していくのだ。
日本にとっては、チーム内でいちばんのスピードを誇る妹・美帆へかかる期待は大きい。実際、美帆が先頭を引っ張る回数を測ると、6周中、レース冒頭の1.75周、そしてラストの1.75周を任されている。半分以上が美帆の担当となっているのだ。
しかし、ナショナルチームのデータ分析を行うスタッフは、カギは姉の菜那が握っていると指摘する。
疲労が溜まるレース中盤の4周目を先頭で滑り、体力を消耗した後にいちばん後ろに回り、体力を温存し、ラストスパートをかける妹・美帆のスピードについていかなければならないポジションを担う菜那。
最後の選手のゴールがチームのタイムとなるだけに、その働きは重責とも言えるものだ。
この点について、菜那はこう話す。
「自分の仕事をしてから最後の2周をこなすのは苦しいですけど、とにかく妹に負けたくないモチベーションがありますから、隊形から離れたら自分の中で何かが崩れちゃうので、絶対、離れないと思って。とにかくスピードを落とさずに、妹へ渡せればと思っています」
対して妹・美帆は、「姉だからこそ、苦しいポジションも任せられると思っています」と一言。日本の女子チームパシュートの強さは、ライバル同士でもある姉妹の対抗心と信頼が支えていると言っても過言ではない。
◆姉妹そろって、いざ平昌の大舞台へ
互いに様々なことを感じてきた8年間。一緒に闘ってきた8年間。
そんな歳月を経て、いま思うお互いのこと。
姉:「妹がいなかったら、私はスケートを続けていなかったと思う。オリンピックに対する想いや考え方が違っても、目標としている場所は同じだと思います。美帆が妹で良かったナ」
妹:「辛い時、悲しい時はありますけど、そのときは妹の立場を存分に利用して…。マァ、いいお姉ちゃんだと思います」
高木菜那25歳、高木美帆23歳。初めて姉妹2人がそろって迎えるオリンピックが、もうまもなく開幕する。
菜那は5000m(2月16日)・マススタート(2月24日)、美帆は3000m(2月10日)・1500m(2月12日)・1000m(2月14日)に出場が予定されている。そして、姉妹そろって世界記録ホルダーとして金メダルへと挑むチームパシュートは、2月19日に行われる。
高木姉妹2人が、共に飛びっきりの笑顔で平昌オリンピックを終えることを願って――。<制作:Get Sports>
※番組情報:『Get Sports』
毎週日曜日夜25時10分より放送中、テレビ朝日系(※一部地域を除く)