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根岸季衣、20歳で『ストリッパー物語』の主役に抜擢。短大中退後“上から目線”で戻った劇団で看板俳優に「イヤだったらすぐ辞めます」

20歳のとき、つかこうへいさんに『ストリッパー物語』の主役に抜擢されて以降、『蒲田行進曲』などで絶大な支持を集め、多くのつか作品に出演し看板俳優となった根岸季衣(ねぎし・としえ)さん。

1976年、『新・女囚さそり 701号』(小平裕監督)で映画デビュー。銀河テレビ小説『愛さずにいられない』(NHK)、『ふぞろいの林檎たち』(TBS系)、映画『時をかける少女』(大林宣彦監督)、映画『八月の狂詩曲(ラプソディー)』(黒澤明監督)、映画『ミッドナイトスワン』(内田英治監督)などに出演。

ミュージカル『ビリー・エリオット〜リトル・ダンサー〜』が東京建物Brillia HALLで公演中。映画『サユリ』(白石晃士監督)が新宿バルト9ほか全国公開中の根岸季衣さんにインタビュー。

 

◆つかこうへいさんとの出会い

東京で生まれ育った根岸さんは、幼稚園の学芸会で主役を演じたことがきっかけで芝居好きになったという。

「小さい頃からいろいろなことをやるのが大好きだったから、学芸会とかでやるツボを全部抑えちゃったっていうか。先生も扱いやすかったんでしょうね。他のお母さんからしてみれば、『何であの子ばかり?』という感じだったんですけど、そこら辺から味を占めちゃって(笑)。

本当は小学校から劇団とかに入りたかったんですけど、近くにないからやらせてもらえなくて。おまけに小学校のシステムとして、1回主役とかをやったらもうできないみたいな感じだったので、小学校時代は不遇でしたね。機会がなくてできなかったです。

それが中学になってダンスもやりたかったんですけど、近くにないからってやっぱりやらせてもらえなくて。高校になって、やっと高校のすぐそばにダンススタジオがあったので、ダンスを習いはじめました」

――つかこうへいさんと出会ったのは?

「大学(桐朋学園大学短期大学部演劇専攻)にいるときですね。19歳でした。つかさんの芝居のチケットをもらったんだけど、学校の学園祭があるから行けなかったんです。でも、本番は見に行けないけど、ちょっと稽古を見たいなと思って、早稲田の6号館で稽古をしていたから見に行ったのが最初です」

――そのときはどうでした?

「亡くなっちゃったけど三浦洋一と平田満と、あと『つかこうへい正伝-1968-1982-』(新潮社)という本を書いた長谷川康夫とか、みんな同じ19歳だったんですけど、腹筋している人はいるし、踊っている人はいるし…何だかわけのわからないアスレチッククラブみたいな状態で。『これはなんだろうな?』みたいな感じでした(笑)。

やっぱり全然違いましたからね。普段大学でやっている演劇とまるで違っていたので、ちょっと衝撃でした。

それで見ていたら、つかさんに『君、寒いだろ。踊んなさい』って言われたので、『そうですか』みたいな感じで(笑)。一番得意なところだったので、ワーッて踊っていたら、当時ハイセイコーという馬がちょうど出ていた頃だったので、『何かハイセイコーみたいなのが来たぞ』みたいな感じで(笑)。そういう出会い方で恵まれていましたよね」

――それからつかさんのところに行くように?

「はい。『じゃあ、今度稽古があるから来ないか』みたいな感じで稽古に行くようになって。大学でやっていたのと全然違うから新鮮でしたね、本当に。

セリフの紙なんかを整理して持っていると、『そんなことをやっているからお前らはうまくならねえんだよ!』とかって言われて。つかさんは、“口立て”(くちだて=脚本がなく、その場で口頭の打ち合わせで芝居を作っていく)の世界でしたからね。『高い授業料払って、ろくなこと覚えてこねえな。ムダ金使いやがって。その分俺によこせ!』って言っていましたよ。口が悪いから(笑)」

外部の舞台に出演するようになった根岸さんだったが、桐朋学園の演劇部では学校以外での外部出演が禁じられていたため、「嵯峨小夏」という名前で出演していたという。

「がさつでしたからね。『ガサツな子』から嵯峨小夏という名前にしたんです。結局、大学は中退してしまいました」

――根岸さんは、つかさんの世界にすぐなじめました?

「それはやっぱり罵倒もされるし、だんだんいじけてくる自分が何かイヤだなと思って。叱られてばかりだし、こんなにつらい思いをするならもう芝居を辞めようって思いました。もっと働いたら働いただけ評価される世界に行きたいなと思って、『保育園に行きます。幼稚園の先生になります』って一度辞めたんです」

※根岸季衣(ねぎし・としえ)プロフィル
1954年2月3日生まれ。東京都出身。1975年、つかこうへいさんに『ストリッパー物語』の主役に抜擢され、圧倒的な存在感で注目を集める。大林宣彦監督の映画には、『時をかける少女』以降、遺作となった『海辺の映画館―キネマの玉手箱』まで27作品に出演。映画『夢』(黒澤明監督)、映画『スイート・マイホーム』(齊藤工監督)、連続テレビ小説『まれ』(NHK)、『366日』(フジテレビ系)、『お別れホスピタル』(NHK)などに出演。ミュージカル『ビリー・エリオット〜リトル・ダンサー〜』が公演中。映画『サユリ』が全国公開中。

 

◆『ストリッパー物語』の主演に

つかこうへいさんの事務所を辞めた根岸さんは、幼稚園の先生になるために別の短大に入り直したという。

「そもそもはアルバイトで保育園を手伝っていたら、子どもと接しているのがすごく楽しくなっちゃって。園長先生にも『あなたは保母になるために生まれてきた』とかって言われて、すっかりその気になっちゃったんですよね(笑)。

ちゃんと(先生の)資格も取ろうと思って、短大にまた入ったんです。幼稚園の資格も全部取れる結構厳しいところに入っちゃったので大変でした。つかさんは、どうせひと月もしたら戻ってくるだろうって思っていたみたいですけど、半年ぐらい続いたのかな。その半年間はつかさんのところに1回も顔を出してなかったんです。

でも、保育園に勤めていたときは良かったんですけど、座学になるとやっぱりおもしろくなくて。それで何かグダグダしているときに、『また来い』みたいな感じになって、結局、短大をまた辞めて。ふたつ中退することになってしまいました。

それで、結局やることになったんですけど、また稽古をやるってなったときには、ちょっと強気でしたね。『イヤだったら私はすぐ辞めますから』みたいなちょっと居丈高な態度で、上から目線で戻ったみたいな感じで(笑)。

でも、それが良かったんですよね、きっと。必死で『ここで頑張らなきゃ!』とか、『何が何でもやるんだ!』というのではなくて、イヤになったら辞めるみたいな感じだったのが良かったのかなって思います。『ここは絶対に辞めない』みたいな人たちが結構多かったので」

――それで、すぐに『ストリッパー物語』ですか。

「そうです。それで『ストリッパー物語』の稽古に入りました。もうその前につかさんは準備していたんですよね、稽古していた頃に。そういう踊りみたいなことは私じゃなくて、むしろ平田(満)くんのほうが全然うまくてね。ちょっと色っぽく踊ったりするんですよ。だから『何でお前はできねえんだ?』って言われていました。そんな感じでやっていましたね。

彼(平田満)は本当に生え抜きだから、そういう意味では踊りがうまいというか。つかさんが何を求めているか、的確に表現できるのはやっぱり平田くんが一番でしたからね。つかさんのところでは、何の公演をするかというわけじゃない稽古期間が前に結構あって、そういうなかで『ストリッパー物語』の構想はあったんでしょうね。

でも、つかさんの場合は、本当に作っていくうちに、どんどんどんどん変わっていって、結局最後には初めにやっていたのとまったく連携がないみたいなことがよくありましたね(笑)」

――『ストリッパー物語』の主演でと聞いたときは、どう思われました?

「主演でと言っても、あまりそういう感じがなかったです。稽古していておもしろいからやるけど…みたいな、すごく強気な態度でしたね。結局、つかさんもその分結構気を遣ってくれたし」

――“つかブーム”になって演劇界に多大な影響を与えました。『ストリッパー物語』を見て演劇を始めた方も多いですね。辰巳琢郎さんも衝撃を受けたとおっしゃっていました。

「年齢的にはあまり変わらないんですよ。みんな学生で、こっちも20歳くらいだから年齢的には同じくらいなんだけど、『ストリッパー物語を見て演劇を始めた』と言ってくれる人は結構いますね」

1980年、舞台『蒲田行進曲』(作・演出:つかこうへい)の初演でヒロイン・小夏役に。根岸さんの最初の芸名「嵯峨小夏」から“小夏”という役名になったという。

 

◆女囚役でスクリーンデビュー

『ストリッパー物語』の翌年、1976年には『新・女囚さそり 701号』で映画デビュー。この作品は、大物政治家の秘書をしていた姉をスキャンダルの口封じのために殺され、自身も暴行された上、濡れ衣を着せられて刑務所に入ることになった女子大生・松島ナミ(多岐川裕美)の復讐劇を描いたもの。根岸さんは、ナミが収監された後、別の刑務所から移って来た一匹狼タイプで札付きのワル・榊千沙役を演じた。

「『眠れ蜜』(岩佐壽彌監督)というドキュメントみたいな短編と並行して撮っていました。この間テレビで偶然『新・女囚さそり 701号』をやっていて、すごく久しぶりに見ました」

――根岸さんの存在感がすごく印象的でした。

「ありがとうございます」

1980年、銀河テレビ小説『愛さずにいられない』(NHK)でテレビドラマ初主演。(川谷拓三さんとW主演)。根岸さんが演じたのは、定時制高校の新任教師・小坂麗子。母・富江(賀原夏子)とふたりで暮らし、工務店で働きながら定時制高校に通っている落合勝利(川谷拓三)は、新任教師の麗子と出会い、36歳にして初めて愛に目覚めていく…という展開。

――定時制高校の新任教師役で、川谷拓三さん演じる生徒に好きになられて。

「はい。あのドラマが忘れられないって言ってくださる方が結構多いんですよね」

――ドラマ初主演ということでプレッシャーはありました?

「そうでもなかったです。すごく早く1年以上前に台本をいただいていたんです。全20話全部。ジェームス三木さんもNHKに書くのが初めてだったので、すごく早く書きあげてらして撮影が始まる前に全部読んでいたんです。だからリハーサルに入る前に全部セリフが入っていたので、撮影もわりとスムーズにいきました」

――舞台から映像にというのは、ご自身としてはいかがでした?

「本読みというのは、ちょっと苦手でしたね。つかさんは全部“口立て”だったから、いきなり立ちたいという感じで。本を持っていてもいいかな。でも、なるべく立つときにはもう本は持たないというのがやっぱりベストだなとは思っているんですけど。

本読みを長くやるというのはどうも苦手ですね。でも、今はもうテレビも全然そんな余裕がなくなっちゃって、逆に残念な気もしますね。リハーサルとかやらないで現場でどんどん段取りをやってすぐに撮るみたいな形になっちゃっているので、やっぱり違いますよね」

根岸さんは、圧倒的な存在感と緩急自在のたしかな演技力で注目を集め、話題作に次々に出演。1983年に放送された『ふぞろいの林檎たち』では、病弱で義母から疎まれている兄嫁の心情を繊細に体現。大林宣彦監督、黒澤明監督など名だたる監督の作品への出演も多い。

次回は撮影エピソード、大林監督と黒澤監督とのエピソード、撮影裏話なども紹介。(津島令子)

ヘアメイク:熊田美和子
スタイリスト:渋谷美喜

©2024『サユリ』製作委員会/押切蓮介/幻冬舎コミックス

※映画『サユリ』全国公開中
配給:ショウゲート
監督:白石晃士
出演:南出凌嘉、根岸季衣、近藤華、梶原善、占部房子、きたろう、森田想、猪股怜生

ホラー漫画の異才・押切蓮介×ホラー映画の鬼才・白石晃士の最恐タッグが実現! 念願だった夢のマイホームへと引っ越した神木家。しかし、次々と不可解な現象が勃発し、家族がひとりずつ死んでいく。神木家を恐怖のどん底に突き落とすのは、この家に棲みつく少女の霊“サユリ”だった。そして中学3年生の則雄(南出凌嘉)は祖母(根岸季衣)とともにサユリへの復讐戦に挑むことに…。