宮原知子、復活までの道のり。アメリカ大会での“ハートマーク”の意味【GPファイナル直前特集】
12月7日(木)から開催されているフィギュアスケートグランプリファイナル名古屋。
12月8日(金)には女子ショートが、9日(土)には女子フリーが行われるが、この舞台に怪我からの復活をして挑むのが、宮原知子選手(19歳)だ。
2014―15年シーズン、世界選手権の銀メダルをはじめ出場した全試合でメダルを獲得し、一気に日本の女王へと上り詰めた宮原。
翌シーズンは勢いそのままにグランプリファイナル初出場で銀メダルに輝き、2016年のファイナルも日本歴代最高得点を叩き出し2年連続となる銀メダルを獲得するなど、2018年平昌五輪の日本代表最有力候補と目されていた。
身長152cmとトップ選手の中では一際小柄な宮原。そんな彼女が世界と渡り合えるほど活躍できた要因は、「練習の虫」とも称されるほどの練習量だ。
ときに練習は1日10時間に及ぶこともあり、宮原自身も「練習でたくさんやっていたから“本番では絶対に大丈夫”と思えるので、練習は大事にしています」と話していたが、そんな人一倍の練習量が皮肉にも悲劇をもたらすことになる。
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昨年のグランプリファイナルの大会直前、股関節の痛みが発症した。
それでも気丈にリンクに立ち続けて世界一へあと一歩のところに迫って見せ、さらに2週間後の全日本選手権でも怪我を感じさせることなく3連覇を達成した宮原。
しかし、年が明けると医師から、「左股関節の疲労骨折」という診断が下される。平昌五輪まで残り1年と迫っているなかでの宣告だった。そして彼女は、平昌五輪の出場枠がかかった3月の世界選手権を欠場するという苦渋の決断を迫られることになる。
宮原を幼いころから指導する濱田美栄コーチは当時の状況について、「表情を見ていてかなり痛いだろうなというのが分かり、歩いてるのも痛そうだったので、とても出せる状態じゃなかったんです」と話していたが、日本のエースである自分が牽引しなければならない状況での欠場。宮原はこのときの気持ちを日記に、「何より心が折れてしまっていて、もう無理だった」「自分の弱さを見たような気がして何も考えたくなかった」と記していた。
そこからは1カ月以上もリンクに乗らず、リハビリに打ち込む日々。長い競技生活で初めての経験だった。
その後7月から、例年のスケジュールより2カ月遅れでカナダ・トロントでの海外合宿に入り、新たなプログラム作りや技術向上に急ピッチで臨むことになったが、長期に渡りリンクを離れていたことでジャンプの感覚にズレが生じてしまっていた。ひとつひとつのジャンプをコーチと確認しながら以前の感覚を呼び起こすという地道な作業が続く。
そうして苦難の夏を越え、2017年11月、グランプリシリーズの日本大会で昨年12月の全日本選手権以来11カ月ぶりの復帰戦を迎えた。
結果は、5位。宮原は、演技には満足いかない点もあったようだが、「できることはやったという気持ち。大会を重ねるごとに少しずつ上げていければいいと思う」と結果を振り返っていた。
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そして、復帰2戦目となったアメリカ大会。
現地入り後時差ボケからなかなか調子が上がらず、また練習の内容でも、5月にリンク復帰して以降たびたび見られてきた“助走に入りながら跳ぶのを止める”という消極的な姿が見られた宮原に、濱田コーチが廊下で“喝”を入れる姿も見られた。
この喝によって、「守っていると言われた。もっと積極的にいきたい」という気持ちになり吹っ切れた宮原。その後の練習から積極性を取り戻し、アメリカ大会では見事“優勝”という結果を手にしてみせた。
また、このアメリカ大会で宮原は、演技の後のキス・アンド・クライで初めての動作を見せる。ショートの後もフリーの後も、座った際に手で“ハートマーク”をつくりカメラにアピールしたのだ。
普段はあまりそういうことをしない宮原。珍しい場面となったが、これについて本人は、「復帰まで支えてくれた人への感謝をこめてやってみた」と一言。
スケート人生を左右するケガから復帰できたことの喜びも含まれているだろうその素敵な笑顔とハートマークは、日本中のフィギュアスケートファンに感動をもたらすこととなった。
今回のグランプリファイナル名古屋でも、彼女の“笑顔のハートマーク”が見られるのか。宮原知子の躍動から目が離せない。
※フィギュアスケート放送情報:「フィギュアスケートグランプリファイナル2017」(テレビ朝日系)
12月8日(金)よる7時~、女子ショート・男子フリー
12月9日(土)よる6時56分~、女子フリー
12月10日(日)よる6時57分〜、エキシビション
(7日・8日は一部地域で放送開始時間が異なります)