竹内都子、『ドラえもん』でジャイアンのママ役に抜擢され19年。極秘だった声優オーディション「呼ばれたのは…」
お笑いコンビ・ピンクの電話としてだけではなく、俳優、リポーター、声優などさまざまなジャンルで活躍している“みやちゃん”こと竹内都子(たけうち・みやこ)さん。
1995年に交際11年を経て俳優・菅原大吉さんと結婚。夫婦でタッグを組んだ「夫婦印(めおとじるし)」プロデュースによる2人芝居をこれまでに3本上演。2人芝居『満月~平成親馬鹿物語~(改訂版)』(作・演出:水谷龍二)を2024年8月17日(土)の米沢公演をはじめ、全国5都市で上演することに。
2005年、アニメ『ドラえもん』シリーズ(テレビ朝日系)でジャイアンのママ役の声優に抜擢。2006年には『ドラマ30 家族善哉』(TBS系)で連続ドラマ初主演を果たし、連続テレビ小説『まんぷく』(NHK)、ドラマ10『燕は戻ってこない』(NHK)など話題作出演が続いている。
◆ジャイアンのママ役に
もともとお芝居がやりたかったという竹内さんは、ピンクの電話の結成翌年にはドラマに出演。2005年には、アニメ『ドラえもん』シリーズのジャイアンのママの声を担当することに。
――『ドラえもん』シリーズのジャイアンのママの声を担当されて、約20年になるのですね。
「はい。早いものですね。最初は『ドラえもんのオーディションを受けてください』って連絡が来たんです。でも、ドラえもんの声優のオーディションをするということは秘密で…ということだったから、呼ばれたのは夜中の1時くらいでした。『夜中の1時に行くの?』みたいな感じで(笑)。
そこで、『ドラえもん』のセリフをいくつか読んで。『今までのドラえもん的なしゃべり方でやってください』とか、『まったく違うあなただけのドラえもんでやってください』とか、『違うキャラクターでやってください』って言われて、いくつか撮って。だから、ドラえもんだけじゃなくて、声質でいろんな人を見ていたんだなという気はしました」
――ジャイアンのママの声、いいですよね。
「ありがとうございます。毎回一言とか二言、怒鳴りに行っています(笑)」
――声優のお仕事は前にもされたことがあるのですか。
「すごく昔に『夢のクレヨン王国』(テレビ朝日系)というアニメをよっちゃん(清水よし子)と2人でやっていました」
――画に合わせて声を…というのは難しそうですね。
「そうなんです。最初は本当に難しくて、今でもそうですけど、『夢のクレヨン王国』のときも、『アドリブで』と言われても意味がわからなかったです。
アドリブって何か言わなきゃいけないって思うじゃないですか、芸人さんとかは。『ドアを閉めるときにアドリブでください』って言われたら、『ただドアを閉めるだけなのに、アドリブで何をしゃべるんだろう?』とか思っていましたけど、本当にちょっとした音みたいなのをアドリブって言うんですよ。
だから、たとえば『ジャイママが荷物を移動させているのをアドリブでお願いします』って言われたら、台本にはなくても『シュッ!』というような音は入れるとか。それを声優界ではアドリブって言うなんてわからないですよね。
あと、道の向こうから来て、顔がだんだん出てくるというのがあるじゃないですか。でも、そのセリフはもうちょっと前からしゃべりはじめる…というようなことも、みんなうまいんですよね。
しゃべりはじめて、その尺が終わるぐらいでちゃんと終わっているんです。出てきてからしゃべっちゃうと間に合わないんですよね、終わりに。そういうのが難しいんです。早くしゃべればいいってものでもないし、早くしゃべりすぎると『パクっています』って言われるんですよ。それは早く上がったということで、きっちり合わせるのがなかなか難しい。
ジャイママって、登場が1カ月に1回とか2カ月に1回なんです。毎回やっていると慣れると思いますが、微妙にちょっと時間が空いて忘れた頃なので。
声優さんって、マイクが3本ぐらいあって、そこに全員いて自分の番になるとマイクの前に行ったり、違うマイクを選ぶときにはサブに目で合図して…とか、みんなアクロバットみたいになりながらやっている感じだったんです。
ジャイアンのママは、一言とか二言で、しかも息子と2人のシーンが多いから、そんなに大変じゃなかったんですけど、ひとりで何役もやっている人は本当にすごくて。『すごいなあ、声優さんって』って思っていたんですけど、コロナ禍になって、そういう風に全員が一緒に…というのはできなくなっちゃったんですよ。
それで結局、スタジオも地下1階、2階、3階に分けて、ひとりずつ仕切りでブースを作って1個ずつのマイクでやるようになったので、それで助かりました。アクロバットみたいな動きをしなくても、私はこのマイクでやればいいんだって(笑)」
――今もそのままですか。
「いいえ、この間行ったら戻っていました。今は2班ぐらいに分けてはいますけど、仕切りとかアクリル板もなくなっていました。やっぱり録るほうも大変ですものね。1個1個別にスイッチャーをやらなきゃいけないし。こっちはまたちょっと大変なところに飛び込まなきゃいけないけど(笑)。
でも、私の場合は、声優と言っても、本当にみんなに笑われるぐらいの感じですよ。みんなが録り終わってから、『じゃあ、竹内さん、お願いします』って言われてスタジオに入って、すぐに終わったりするので(笑)」
――でも、とても印象的なキャラですね。
「そうですね。そんなにたくさんは出てないけど、ジャイママってインパクトあるキャラクターなのでありがたいです」
◆主人公の友だち役のはずが…
2006年、竹内さんは『ドラマ30 家族善哉』でドラマ初主演を果たす。このドラマは、16歳のときに夫(嶋大輔)と出会い、結婚・出産した主婦(竹内都子)が34歳になって一念発起し、中退せざるを得なかった高校を再び受験して合格。娘(赤松悠実)や息子(窪田正孝)と同じ高校に通いはじめたことから巻き起こる大騒動をハートフルに描いたもの。
――もともとお芝居がやりたかったということなので、ドラマ、舞台、映画に出演されるようになって理想の形になりましたね。
「そうですね。おかげさまでいろいろドラマとか舞台のお仕事をいただけるようになって、それは本当にありがたいです」
――『ドラマ30 家族善哉』も楽しく拝見させていただきました。
「ありがとうございます。うれしいです。あのドラマは、全40話だったんですね。昼ドラとかは大体そうですけど、台所のシーンだったら台所のシーンをずっと撮るから、(自分の中で)話が繋がっていかないんですよね。
たとえば、10話の台所のシーンを撮ったら、次は別の回の台所のシーンを撮ることになって。さっきまで仲がいいシーンを撮っていたのに、今度はいきなりケンカをしているシーンとかね。飛び飛びで撮るので、『これは何?秘密を言った後の話?前の話?』みたいな感じで、わからなくなっちゃったりしていました」
――台本は何冊くらいまとめてきていたのですか。
「7話分くらいだったと思います。台所のシーンをまとめて撮ったら、外のシーンはずっと残っているから、忘れた頃にこれを撮る…という感じで。本当にコンパクトに撮っていましたね」
――主演だと聞いたときはいかがでした?
「ビックリしました。初めは主演じゃなくて、主演の人の友だち役って言われていたんです。だから、どこで主演になったのかなんかわからないんですよ(笑)。『友だち役で出演が決まって良かったな』と思っていたときに、全然違う仕事でMBSに行ったら、ちょうどドラマ班のプロデューサーさんと出くわして。『よろしくお願いしますね、今度から。他の仕事もあると思いますし、主演だからちょっと大変かもしれませんが』って言われたんです。
『えっ?主演じゃないよな』って思ったんですけど、そこで、そのプロデューサーさんに『主演じゃないですよね?』って言えないし…。
そのプロデューサーさんと別れてから当時のマネジャーに『私が主演って言っていたよ』って言ったら、『そうみたいですね』って言うんですよ。何かよくわからないうちに主役になっていて(笑)。台本をもらったら主役になっていてビックリしました。
それから衣装合わせとかもあって、大阪で『朝だ!生です旅サラダ』(テレビ朝日系)という番組のリポーターもやっていたので、ずっと向こう(大阪)に3カ月間いることにして。スタジオの近くのホテルに泊まっていました。
だから逆にそれが良かったのかもしれないです。家にしょっちゅう帰っていると、やっぱり家のこともいろいろやることになるので、集中できないじゃないですか。
カンヅメになっているような状態だったので、3カ月間は1回もテレビをつけなかったです。テレビをつけちゃうと見てしまうし、時間がもったいないと思って、ずっとセリフを覚えたりしていました」
――劇中では高校生の制服を着用されていましたが、竹内さんの高校では制服はなかったそうですね。
「はい。高校は制服ではなかったんですけど、コントではしょっちゅう着ていました(笑)。うちの高校は制服じゃないけど、一応標準服っていうのがあるんですよ。ブレザーとベストとスカート。それをセットで持っておけば、私服で何か着るものがないというときには楽なんだなって思いました。毎日着ていく服を考えなくていいので。
でも、自由な高校ではありましたけど、それでもよく怒られていました。タイトスカートはどうのこうのとか言われていたから『自由ちゃうやんか』って(笑)」
――主演で40話撮り終わった後は、燃え尽き症候群みたいにならなかったですか。
「本当にそうですよね。何か感無量でした。やっぱりしばらく余韻があったというか。本当にいい勉強をさせていただいたし、自分の中では財産だなと思っています」
――ドラマ、映画、舞台もたくさん出てらっしゃいますね。
「そうですね。でも、あんなにベタで、ずっと長い期間やるということはなかなかないので、それは本当にありがたかったです」
――舞台と映像、ご自身の中ではどんな感じですか。
「どっちも好きです。やっぱり舞台だと、何度も何度も稽古をするから練り込みが深く、どんどん役を掘り下げていけるじゃないですか。それで、ドラマはわりと一瞬だったりするし、自分の中ではいろいろ稽古していったつもりでも、現場に行ったら全然違うみたいなこともいくらでもあるんですよね。
臨機応変に対応するということができないと、なかなか難しいものがあるじゃないですか。でも、舞台をやっていくと、その辺を自分で考えていろいろ作れるようになってくるという気がします。
昔、尊敬する先輩に『あんた偉いよ。あんたはダメ出しされてもさ、ダメ出しされたところを直してくるだけじゃなくて、何かお土産持ってくるもんね。やっぱり役者は言われたところを直すだけじゃ何も成長ないじゃん』って言われたことがあるんです。
それを言われてから、稽古には言われたことだけじゃなく、何かお土産を持っていこうと心がけています。そう考えると、動きとか、言い方、表情…いろいろバリエーションが増えていくじゃないですか。
それで、そういうことを繰り返していると、たとえばドラマのときに急に変更になったりしても対応できるようになった気がします。そこだけじゃなくてプラスアルファで、ちょっと他のところもアレンジを考えられるようになった気がします、自分の中では。
自分ひとりで一生懸命やっても相手がどうやってくるのか、何かアドリブみたいなことで言ってくる人もいるし、がっつりセリフのままの人もいるし。でも、それをどう受けて投げ返すのか、いろんなバリエーションがないとおもしろみがないし…というのは考えています」
さまざまなチャレンジを続けている竹内さん。『グランマの憂鬱』(フジテレビ系)、『燕は戻ってこない』などに出演。YouTubeチャンネル「みやちゃんねる」では、得意な料理の腕前を活かしてお勧めのお酒のアテ料理の動画などを配信。
次回は撮影エピソード、2024年8月17日(土)から全国5都市で上演する「夫婦(めおと)印」プロデュース『満月~平成親馬鹿物語~(改訂版)』も紹介。(津島令子)
菅原大吉・竹内都子夫妻の演劇ユニット「夫婦(めおと)印」プロデュース
『満月~平成親馬鹿物語~(改訂版)』
作・演出:水谷龍二
出演:菅原大吉 竹内都子
小さな居酒屋を営む小粋な女将(竹内都子)のもとへ、きまじめそうなサラリーマン(菅原大吉)がやって来る。「お宅の息子が、うちの娘をそそのかして駆け落ちをした!」攻め立てる男に、世慣れた女将の反撃は…。
2024年8月17日(土)山形 米沢公演「伝国の杜置賜文化ホール」
2024年8月19日(月)高知公演「高知県立美術館ホール」
2024年8月21日(水)大阪 高槻公演「高槻城公園芸術文化劇場 北館中ホール」
2024年8月22日(木)大阪 高槻公演「高槻城公園芸術文化劇場 北館中ホール」
2024年8月31日(土)岩手 一関公演「一関文化センター 中ホール」
2024年9月1日(日)岩手 盛岡公演「盛岡劇場 メインホール」
公演問い合わせ専用番号 TEL 03-5797-5502(平日12:00~18:00)
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