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高橋惠子、“舞台初日に海外失そう”の真実を赤裸々に語る。自殺未遂への後悔も

いま一番聞きたいあの人の言葉を心の奥底から引き出すインタビュー番組『ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~』(BS朝日)。

10月28日(土)に放送される同番組に、女優・高橋惠子が登場。自殺未遂や海外への失そうなど、世間を騒がせたその波瀾万丈な人生に、編集者の舘野晴彦が迫る。

©BS朝日

◆スターの道をゆきながら引退を考えた

1970年、中学を卒業した高橋は大映に入社。3カ月間のレッスンを受け、関根恵子の名で『高校生ブルース』に主演しデビューを飾る。大胆なヌードシーンもあったが、当時の心境は穏やかではなかったという。

その後も映画『おさな妻』『高校生心中 純愛』など、大映『レモンセックス』シリーズに1年半で7本出演。スター扱いされ、過酷なスケジュールをこなすなか、15歳の少女は女優という職業に疑問を感じていた。

このとき、引退を考えるも、女優を続けるきっかけを作ったのは、一人の映画監督との出会いだった。彼女が女優を辞めなかったわけとは?

◆「脱ぐ女優」と呼ばれ、苦悩の末に自殺未遂

1972年、東宝に移籍し刑事ドラマ『太陽にほえろ!』に出演。石原裕次郎、松田優作、萩原健一といったスターたちと共演を果たした。

1973年には、映画『朝やけの詩』に出演。映画に話題性を作るため、湖を裸で泳ぐシーンが追加された。ストーリーとは関係のないシーンをメディアは大きく取り上げ、“脱ぐ女優”の印象が強くなっていった

「自分は脱ぐだけの女優じゃないのに…」そんな感情と世間のイメージとの間で苦悩し、睡眠薬を飲んで自殺未遂を起こしてしまう。一命を取り留めたものの、女優業は休業せざるを得なかった。当時の心境、自殺未遂への後悔の思いとは。

◆“愛の逃避行”の真相

その後、岐阜県飛騨高山で2年間の療養生活を経て、1979年に女優復帰の場として自ら舞台出演を決める。

しかし、舞台初日に若手作家とともに海外へ失そう、両親からは捜索願が出されたうえマスコミには“愛の逃避行”と報じられ、世間を騒がせる大騒動となった。なぜそんな事態を起こしてしまったのか?

そして日本に帰国しようと思った理由とは? “愛の逃避行”の真相を赤裸々に語る。

1982年、結婚をきっかけに高橋惠子に改名。一体、関根恵子という女優は、そのときどきで何を見てきたのか? そして「関根恵子」という女優人生を「高橋惠子」はどのように感じているのだろうか?

※番組情報:『ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~
2017年10月28日(土)午後6:00~午後6:54、BS朝日