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大西信満、故・若松孝二監督の映画でスタートした“役者としての第2章”。監督の別荘を破壊する苛烈な現場「あの緊張感は忘れられない」

初主演映画『赤目四十八瀧心中未遂』(荒戸源次郎監督)で第58回毎日映画コンクールスポニチグランプリ新人賞などを受賞し、注目を集めた大西信満さん。

2008年に公開された映画『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)』で初めて若松孝二監督作品に出演して以降、『キャタピラー』、『11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち』、『海燕ホテル・ブルー』、遺作となった『千年の愉楽』まで全5作に出演。晩年の若松監督作品に欠かせない俳優に。

◆若松孝二監督との初タッグで…

映画『赤目四十八瀧心中未遂』の主演俳優でありながら、撮影後も公開準備に奔走していた大西さん。大森立嗣監督の『ゲルマニウムの夜』にも裏方として関わった後、俳優業に専念するために映画製作会社ではない芸能事務所に所属することにしたという。

「『赤目』から数年経って、制作チームの中で俳優をやり続けることには、ちょっと自分の中で葛藤みたいなのが出てきたんですよね。それで芸能事務所に入って俳優に専念することにして、一発目のオーディションが若松監督の『実録・あさま山荘への道程(みち)』で、やらせてもらうことになって役者としての第2章が始まったという感じです」

2008年に公開された映画『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)』は、連合赤軍側の立場から、彼らの生き様を描こうとした作品。若松孝二監督が自宅を抵当に入れて製作費を捻出した低予算映画。宮城県にあった監督自身の別荘をあさま山荘のロケセットとして使用し、解体までおこなって撮影したことも話題に。

「若松監督とは(原田)芳雄さんのところで面識はあったので、オーディションに行ったときに、『君、芳雄さんのところの…』というのはありました。また若松監督は荒戸(源次郎)さんとの関係で、『赤目』の現場にも陣中見舞いに来てくれたりしていましたし、覚えていてくれて。だからといって、それで決まるほど甘くないと思っていたので、決まったときはすごくうれしかったです」

――撮影は大変だったでしょうね。

「もちろん大変な現場でしたけど、自分としては、芳雄さんだったり、荒戸さんだったりとか、ずっとそういういわゆる昭和の映画人の方々に囲まれてやってきたなかで、ある程度はその気質みたいなものは肌感覚でわかっていたし、その耐性が比較的あったというか(笑)。

とくに自分には当たりが強かったので、もちろん全然平気ではないんだけど、おそらく若松監督には、『こいつは大丈夫だろう』っていう、どこかそういう腹の括(くく)り方みたいなのができるやつと思われていた部分はあったでしょうね。

今振り返っても苛烈で厳しい現場でしたが、そういうのとリンクしない役じゃないというか。これが明るい好青年みたいな役だったら、ちょっとそれはきついなと思ったかもしれないけど、そうじゃない。

思想や行為の是非は別として、生命を賭して革命のために戦った人の役なので、どこかでそれは役にもプラスに作用するなと。それも含めて演出という部分だと思っていたので。

若松監督が私財を投げ打ってまでこれを撮ろうとしている執念や覚悟が全員に伝わっていたし、ものすごい緊張感のなか、当時を知らない役者たちをどうやって現実の彼らが抱いた激情に駆られるまでの極限状態に導くか。そんな感じで追い込まれて。

そんな状況のなか、井浦新さんをはじめ俳優部同士もどんどん結束が固まって、本当の意味での同志になっていくような一体感が自然と生まれてきて。本当にすごい経験をさせてもらいました。

荒戸さんもそうだし、芳雄さんに付き人として付いているときに出会った他のいろんな監督の現場でも、大きな意味での演出ってそういうことかなと僕はどこかで理解しているところがあって」

――そういうこともあってのスクリーンから伝わってくる緊迫感だったのでしょうね。大西さんは、あさま山荘の立てこもり犯のひとりでしたが、撮影はいかがでした?

「あれは季節をまたいでいるんですね。山岳ベースを集中的に撮って、3カ月ぐらい雪が降るのを待って、その後にあさま山荘に見立てた若松監督の別荘の撮影が入って。山岳ベースでもかなり過酷でしたが、そこからさらに緊迫するというか。若松監督の別荘を破壊するってこともあったし。

最初に自分が先頭で、ドアを銃床で壊して中に入るんですけど、画に自分は映ってないから、ちゃんと破壊させるのが重要で。そういう画だからというので思いっきりガチャンってやったら、若松監督が『お前、雑にやりやがって』ってすごい怒って(笑)。山荘パートは本当に厳しかったです」

――ご自分の別荘をあさま山荘に見立てて壊すなんてすごいなと思いました。

「壊してしまえばやり直しもできないし、とくに放水のシーンは段取りとかもできないわけで。地元の消防署から放水車が来てやったのですが、そんな狙ったところに水が行くわけでもないし。

爆竹とかの火薬類も、もちろん免許を持った安全管理者が現場にいたけど、正確な軌道までは読めないし、どこに何が飛んでくるかわからない。

何が割れるかわからないし、何が落ちてくるかわからないんですよ。『とにかく集中しろ!』って言われて、現場の全員が神経を研ぎ澄まして。あのヒリヒリするような緊張感は忘れられません。

実際には大きい鉄球であさま山荘が破壊される映像が有名ですけど、予算的にそんな撮影はできない。外の画を撮れないわけですよ。現場ではシャベルカーみたいな重機でやったのですが、中にいるといきなり『ドン』って衝撃がきて、どこにどう破片が飛んでくるかわからない。

そこで段取りをするにも限界があるし、予測不能な状況のなかでいかにみんなを集中させるかですよね。

誰よりも安全管理に心を砕いていたのは若松監督だから、『ボケッとしていたらケガするぞ!とにかく集中しろ!』って言われて。役者はみんなもう目がギラギラして、過呼吸を起こすんじゃないかというような状態で撮影に臨んでいた感じです」

――出来上がった作品ご覧になっていかがでした?

「自分のことはさておいて、すごい映画だなって思いました。初見では必ず自分の粗(あら)ばかり目が行ってしまいがちですが、それを超えるぐらい作品の熱量があって。本当にすごい映画が撮れたなってうれしかったですよね、この作品に関しては」

◆四肢を失って戦争から戻った難役

2010年、大西さんは、若松監督の映画『キャタピラー』に出演。第2回TAMA映画賞最優秀新進男優賞を受賞した。大西さんが演じたのは、第二次世界大戦中、顔は焼けただれ言葉を発することもできず、四肢を失って戦争から戻った久蔵。妻・シゲ子(寺島しのぶ)は戸惑いながらも、多くの勲章を得て“生ける軍神”として崇められる久蔵の際限のない食欲と性欲に悩まされることに…。

「『キャタピラー』は、連合赤軍があまりにも強烈だったので、そんなに現場は大変だった印象がなくて。もちろん肉体的には大変な部分がありましたけど、前作の連合赤軍は群衆劇だし、史実で当事者が生存しているわけで。

それを映画として製作することに対して、当然よく思わない人もいる状況のなかでやっていましたから、なおさらその緊張感というか、中途半端なことはできないという思いがありました。

でも、『キャタピラー』に関しては、フィクションではあるけど、戦争という重たいテーマだし、描かれている世界も壮絶だったので、すごい緊張感はあったんですけど、史実で群像劇である連合赤軍とは全然違って、寺島しのぶさんとふたりきりの淡々としているけど激しいやり取りでしたからね。連合赤軍とは対照的に、静かな緊張感のなかで撮影した印象です。

あと、四肢も失い、言葉もしゃべることができないという設定なので、表現の方法が限定的で。だから結局、目と、あとは呻き声や身体の動きで伝えるしかないんですよね」

――目の表現力というか、目ヂカラがすごくて印象的でした。

「伝える術(すべ)がそれしかないですからね。それしかやりようがないというか。『キャタピラー』に関しては、こんなことを言ったら何ですけど、セリフを覚える必要がない分、あらゆる感覚を研ぎ澄ませて集中してできたというか。

どの現場でも、どんなにしっかり準備して、どんなに完璧にセリフを覚えたつもりでも、役者ってどこかで『明日このセリフがちゃんと言えるかな』という不安は何年やっていてもあるものなんですけど、『キャタピラー』に関しては、そういうのはなかったので。

だから、本当にただただ集中して、その時代のことや役の背景だけしっかり落とし込んで、言葉にしたら安易だけど、『なりきる』というか。そのなかで『実際にこういう状況だったらどうする?』って、役に向かうんじゃなく、100パーセント自分の内面に向かうというやり方をしたので、それはまた全然違った集中力というか、自然と没入していけました」

――撮影は非常にアナログ的だったそうですね。

「はい。ほとんどCGなどは使わずに、(手足を)縛って、隠して撮っていました。前から撮るカットは手を後ろに縛って、足も縛って、裏から撮るときは逆にして。肩をひねらせて動くしかないので、そういう部分での大変さはもちろんありましたけど。ただ、それは僕というよりかは、撮影部が工夫して、バレないような角度を探していて大変だったと思います。

自分としては、その状態のなかで、身体中が擦り傷や内出血だらけだけど、そんなことも気にならないぐらい集中して撮っていました。しかも撮影日数が2週間もなかったと思うので、気持ちが途切れることもなく。

あと、連赤もそうでしたが、地方ロケというのも大きかったですね。一気に撮っちゃう作品というのは、気持ちが非日常のまま最後まで走れる感じというのかな。しかも田舎で娯楽もないから、ひたすら集中できたという感じです」

――寺島さんとは『赤目』でもご一緒されていて2度目の共演でしたね。

「はい。それは大きかったですね。もし、初対面の人とあの夫婦役で…となると、それはちょっと難しかったかもしれませんね。でも、多分それも全部計算済みでの若松監督のキャスティングだったと思います」

――若松監督の作品がずっと続きましたが、そうなる感じはありました?

「いや、お酒を飲んでいるときに、『次はこんな映画を考えているんだ』とか、いろんな話が出ることはありましたけど、でも、それは全部酒の席でのことなので、話半分に聞いているぐらいの感じですよね。それを全部真に受けていたら大変というか、自分が必ず呼ばれる保証なんてないので。

それは僕だけじゃなくて、みんなもやっぱり半信半疑というか、話半分で聞いていたと思います。若松監督だけじゃなく、どんな監督と飲んでいたってそういうものなので」

◆「どんな小さな劇場でも舞台挨拶に」

若松監督は、2012年、『11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち』、2012年、『海燕ホテル・ブルー』、2013年、遺作となった『千年の愉楽』と立て続けに映画を製作。大西さんは、そのすべての作品に出演している。

『11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち』は、作家として頂点を極めながら1970年11月25日に防衛庁内で衝撃的な自決を遂げた三島由紀夫と仲間たちの魂の軌跡を描いたもの。大西さんは、三島由紀夫が結成した民間防衛組織「楯の会」の隊員・倉持清役を演じた。

「若松監督の現場では、常に何かに対する怒りのようなエネルギーが独特の緊張感をもたらしていました。三島は連赤とは逆方向の思想に殉じた人の映画ですが、側にいて感じたのは、若松監督は思想の左右とかじゃなく、生命を懸けて行動した人の無念の思いに対する鎮魂碑を刻むつもりで撮っているのかなって」

その直後に撮影された『海燕ホテル・ブルー』は、前3作とはまったく違うテイストの作品。刑務所の中でなぶり殺しにされた仲間の復讐を誓い、出所してきた幸男(地曵豪)は、7年前に自分を裏切った洋次(廣末哲万)に落とし前をつけるため、海燕ホテルを訪れる。そこでミステリアスな美女(片山瞳)と出会い、夢か現実か曖昧な情念の世界に…という展開。大西さんは、女に魅了され殺人まで犯す、怪しげな警察官を演じた。

――ハードな作品が3本続いて、その後が、『海燕ホテル・ブルー』。ちょっと異色でした。

「そうですね。あれは全然違いましたね。この作品に関しては、原作はあるんですけども、脚本の改訂を重ねていくなかで原作とはだいぶ変わってきて、自分の役なんかは多分原作になかったんじゃないかな。だから自由に彩りを加えるように人間関係の中に割って入って…というところでやっていたような気がします」

――女に惑わされ殺人まで犯す、うさん臭い警察官というのが新鮮でした。

「若松監督が前々から酒の席などで『海燕ホテル・ブルー』をやりたいと話していたんです。盟友である原作の船戸(与一)さんから『好きにやっていいよ』と以前から言われていたそうで、男3人がひとりの女を巡って壮絶な殺し合いをする話にしたいって。『すぐに頭で考えるな。理屈じゃないんだ、映画ってもっと自由なんだよ』って、よく言っていました」

若松監督は、交通事故による多発性外傷で、2012年10月17日に76歳で亡くなり、『千年の愉楽』が遺作となった。紀州の小さな路地で生まれ、女たちに圧倒的な愉楽を与えながら、命の火を燃やし尽くして死んでいく美しい中本の男たち。彼らの生き死にを見つめ続けた路地の産婆・オリュウ(寺島しのぶ)の脳裏に、はかなくも激しい彼らの生きざまが蘇る…。

「僕は、『千年の愉楽』のときは、ケガをしていたんですよね。別の作品で足の半月板を損傷して手術して2週間後ぐらいに『千年の愉楽』が撮影開始だったので、『自分は松葉杖がないと歩けないし地方には行けないから、今回は無理です』って言ったら、『じゃあ東京で歩かなくていい役を用意するから』って言ってもらえて。『だったら大丈夫です。お願いします』って言ったんです。

でも、現場に行ったら『あっち歩いて』って言われて(笑)。現場入ると頭の中が全部映画のことになるから、忘れてしまったんでしょうね。『いやいや、歩かないって言ったのに』って内心思ったけど、結局なんとか歩けました(笑)。何かと思い返すといろんなことがあって、おもしろかったですね」

――若松監督は、小さな試写室でのマスコミ試写にも時間の許す限りいらしてご挨拶されていましたね。

「そうですね。全国各地に舞台挨拶で行きましたし、一緒に海外の映画祭にも行きました。『声をかけていただければ、どんなに小さな劇場でも行く』というのが若松監督の信念。自分の口できちんとご挨拶をするという姿勢を叩き込まれました」

若松監督の思いが愛した俳優たちに受け継がれている。次回は、大西さんが原作を読んで映画化を熱望して実現した『さよなら渓谷』、柴犬の飼い主である中年男性3人が繰り広げるユニークな会話劇を描く『柴公園』、現在公開中の映画『東京ランドマーク』(林知亜季監督)の撮影エピソードなども紹介。(津島令子)

©Engawa Films Project 2024

※映画『東京ランドマーク』
新宿K’s cinemaにて公開中
2024年7月6日(土)より名古屋シネマスコーレ、大阪第七藝術劇場にて公開予定
配給:Engawa Films Project
監督:林知亜季
出演:藤原季節 義山真司 鈴木セイナ 浅沼ファティ 石原滉也 大西信満 ほか

2008年に柾賢志、毎熊克哉、佐藤考哲、林知亜季の4人で結成された映像製作ユニット「Engawa Films Project」が手がけた初長編作品。コンビニのアルバイトで生活をするミノル(藤原季節)の家にいつものように遊びにきたタケ(義山真司)は、家出をした少女(鈴木セイナ)をミノルが匿っていたことを知る。少女の名前は桜子。タケは未成年である桜子を早く家に帰そうとするが、桜子は帰るそぶりを見せない。ミノルが桜子を匿う理由は何なのか。なぜ桜子は家出をしているのか。3人の不思議な関係が始まる…。