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東大卒業後、ダンスの道へ。エアダンサー・上西隆史が魅せる光と無重力のアートパフォーマンス「矛盾をどう越えていくか」

9月23日(土)、『ARTBAY TOKYOアートフェスティバル2023』でスペシャルステージ「SPECTRUM FUSION‐光と無重力のアートパフォーマンス‐」を開催するエアダンサーの上西隆史さん。

彼は鉄棒を使いながら空中を舞い、まるで宙に浮いているかのようなパフォーマンスを繰り広げるエアダンス(鉄棒ダンス)パフォーマンスユニット・AIRFOOTWORKSを率い、ダンスで無重力を表現する。

東京大学大学院を卒業後、WORLD ORDERを経て『ジャパンズ・ゴッド・タレント』へと歩を進めた異色のパフォーマー人生を紐解く。

◆上京してダンスをするために、東京大学へ

――上西さんが最初にダンスに興味を持ったのはいつ頃ですか。

高校生の頃です。当時はサッカー部だったんですけど、『スーパーチャンプル』(中京テレビ)というダンス番組を見て衝撃を受けました。自分の世代ではあの番組を見てダンサーになりたいと思った人って結構多いんですよ。

やりたいと思ったけどダンス部がなかったので、昼休みに友達と踊ったりして。大学に入ったら絶対にダンスをやろうと決めていました。

ストリートダンスのなかでも、結構マイナーな「ポップ」(※1960~1970年代にかけて形成された、身体を弾くように動かすダンス)とか「アニメーション」(※コマ送りやストップモーションのような、まさにアニメのような動きが特徴のダンス)といったジャンルが好きでした。

――それで、東京大学に進学されるわけですよね。ダンスをやるために東大を目指すというのは、あまり聞いたことがない気がします。

東京への憧れが謎に強かったんです。生まれたのは札幌の田舎で、ずっとここには何もない、キラキラした東京に行きたい、と思いながら大きくなったんですよ。

それもあって東京の大学に行きたいと親に話したら、北海道には国立の北大(北海道大学)があるんだし、東京に出るなら東大じゃないとダメって言われてしまって。譲歩しても、国立の医学部もしくはそれ以上じゃないと難しいと。

――いっきにハードルが上がったんですね(笑)。上京となると費用もかかりますもんね。

そうなんです。それで一浪して東京大学に入りました。そこからはダンスしかしてないくらいの大学生活です。めちゃくちゃ浮いてましたね。

――「T.U.Dancing Club WISH」(以下「WISH」)というサークルに所属されたんですよね。

はい。元々存在を知っていたので、「東大にはダンスサークルがある」っていうのが受験のモチベーションになってもいて。もうひとつのダンスサークルはジャズダンスで、WISHはストリートダンス寄りだったので、そちらに入りました。

――サークルではどんな活動を?

12月にある大きい公演に向けて練習するのがいちばん強いベクトルでした。ただ、個人的にはもっと外を向きたいと思ってたので、サークル単位じゃないダンスのイベントやダンスバトルにも出ていました。

自分が好きな「ポップ」もサークルのなかではマイナーで、自分の学年だとひとりしか踊ってる部員がいなかったんですよ。マイノリティだったんです。

そうなるとサークル内では立場が弱くて、踊る演目はみんなが好きなものに流れていく。それがあって外に行き始めたのもありますね。

――学生時代はサークルに所属しつつ、外部での活動も積極的にされていたと。

でも、自分たちがサークルを取り仕切る執行代のときは、ストーリー仕立ての公演のメインキャストになりました。やり遂げたあとはまたストリート寄りに戻って、1年留年をして、4年生をもう一回やって大学院に進学しました。

――東大でさらに大学院に進むというのもダンサーの経歴としては異色だと思いますが、そもそも入学の時点で工学部を選ばれていますよね。それはどうしてだったんですか?

たぶん理系的な思考とか、物事を組み上げていく作業とか、単純にものを作ったりするのが好きだった、という部分はあったんだと思います。

それに、ダンスをやりたくて大学に行くと決めたときに、親に説明するときに「技術者になる」とか「ロボット工学が好き」みたいなことのほうが言いやすかったんですよね。実際そちらの分野は嫌いじゃないんですけど、本当にやりたいことかって言われるとめちゃくちゃ曖昧で。

――本当はダンサーになりたいわけですもんね。

いや、今ほど「ダンサー」という職業が存在していなかったし、仕事としてダンサーになりたいかというと、そこもまたふわっとしていたんです。なので、大学院に進んだのもなんとなくみたいなところがあったんですよね。ピーターパン症候群というか、モラトリアムですね、完全に。

将来どうしたらいいかわからないし、それを打ち消すというか、見ないようにするというか。それでダンスに打ち込んでいたところもありますね。

◆大学を出てWORLD ORDERに所属。プロの道へ

――就職活動を意識することもなく?

はい。卒業のタイミングではもうダンス活動をがっつりやっていて、いろんな大会で優勝していたので、WORLD ORDERのサポートダンサーに声をかけられました。メンバーの後輩に同年代の人がいて、その繋がりで加入したんです。そこからはプロフェッショナルダンサーとしての活動が始まります。

――WORLD ORDERといえば、2009年に結成された、須藤元気さん率いるダンスパフォーマンスチーム。スーツ姿で統率のとれたダンスが一躍話題になりました。上西さんはどんな立ち位置で参加されていたのでしょう。

バックダンサーとして参加していました。なぜか須藤さんに気に入ってもらえていたみたいで、コアメンバーにひとり加入させたいという時に自分が選ばれて。そこからは正規メンバーになって、制作にもコミットするようになりました。

◆トレーニングにハマって見つけた、鉄棒を使ったエアダンス

――WORLD ORDERから 2018年に独立したのは、どんなきっかけだったんですか?

2014年か2015年くらいにライブで腰を痛めてしまって、リハビリからトレーニングを始めたんですよ。実はダンサーってトレーニングから入る人ってあまりいないんです。そこでトレーニングにハマって、色々なやり方を見ていたときに鉄棒でパントマイムをしている人を見たんですね。

これをダンスにしたら絶対楽しいエンターテインメントになると思って、そこから鉄棒を使ったパフォーマンスを始めました。探り探りですぐ形にはならなかったんですが、目処が立ったのが2018年というところですね。

――長らく在籍した場所を離れるのは不安ではなかったですか?

同じ場所に長くいると思考も凝り固まってきますし、できることも限られてくるなという感覚はありました。

良くも悪くも、WORLD ORDERへの加入は「入りたいです!」と手を挙げて入ったわけじゃなくて、気づいたら呼んでもらって、気に入ってもらえて、もう自分のポジションが用意されていて、頑張れば認めてもらえるっていうすごく恵まれた状態だったんですよね。

そういった現状に対して、自分のなかで罪悪感があったのかもしれません。だから、先は見えないけど、やってみよう、突っ込んでみようっていう思いが強まったような気がします。

できるかわからないけど、鉄棒でのパフォーマンスは自分が見つけたものだし、存在自体が新しいし、挑戦でもある。見切り発車してみたかったんだと思います。

――鉄棒を使ったダンスは今は「エアダンス」と呼んでらっしゃいますが、当時からこの名前だったんですか?

当時、鉄棒を使った「バーダンス」と言われるものがあったんです。それはエアロビクスに近いテイストで、リズムもビートでハイッ、ハイッ、ハイッ、ハイッ、みたいなシンプルな動きのみ。そこと差別化したいなとは思っていました。

ニュージャンルだし、新しい表現だと強調したかったので、色々考えて「エアダンス」にしたんです。

当時、興味を持ってる知人に声をかけて、3人くらいでパフォーマンスユニット「AIRFOOTWORKS」を立ち上げました。

◆無重力という表現と、内なるモチベーション

――そこからはいろんな場所でダンスパフォーマンスを披露されていくわけですよね。

はい。ただ、独立してから数年で、心境の変化もすごくありました。もともとはゴリゴリのエンターテインメントを目指してたんです。ただコロナに入って、できることがガクンと減ってしまって。2018年に独立して、2019年になる直前までメディアに出て、ワーッと盛り上がっていたところだったんです。

大掛かりな新車イベントでパフォーマンスをやる話も決まっていて、ここからは上がっていくだけだと思っていたらドンッとコロナになった。すべての案件がなくなり、メンバーも抜けていって。そのときに、映像表現も含めていろんなことをやってみたくなったんです。

エンタメのスゴ技だけじゃなくて、自分の伝えたいこと、感じていることを、パフォーマンスにのせてアーティスティックに表現することにフォーカスするようになっていきました。

――そもそも鉄棒でパフォーマンスというと、どうしてもエンタメ性が強く出ますもんね。

そうです。盛り上げる、“爆湧き”させる、そんなザ・エンターテインメントは今でも大好きです。そういう演目は今もありますしね。でも、エンタメにアーティスト性を加えていくマインドは、コロナ禍を経て出てきたものだと思います。

――上西さんにとってはコロナ禍で動きが止まったことが、かなり大きかったんですね。

コロナ以外にも「世の中ってなんでこんなに?」って思うことって多いんですよ。やっぱり自分はずっとマイノリティなんだと思っています。守られる立場ではないというか。ずっと世の中をマジョリティではない角度から見てきた気がするんですけど、見てるだけじゃなくて何か表現できないかなと思うことがあって。

まだ行き着いてないんですけど、思っていることを形で出すのは、その時期にやり始めましたね。

――AIRFOOTWORKSのエアダンスは常に空中に浮いているようなパフォーマンスが魅力で、「無重力」がひとつのキーになっていると思うんです。

そうですね。お客さんが無重力を見たときのインパクトってすごく強いし、エンタメとしての破壊力も抜群にありますね。

――そこには「世の中ってなんでこんなに?」と思う、世間に抗う気持ちも反映されているのでしょうか。

ああ、それはインナーのモチベーションとしてすごく強いかもしれないです。観客の皆さんが自分たちのダンスに無重力を感じているときって、こっち側はめちゃくちゃ頑張ってるんですよ(笑)。でもそれをまるでたいして頑張ってないように見せているという。

無重力の世界って、そういう矛盾があるんです。その矛盾をどう越えていくかっていうのは、自分のなかのテーマ性としてすごく強いと思います。

――(エアダンスは)一見すると軽々やっているように見えますもんね。

実際、慣れると簡単にできるようになってくるんですけど、結局その過程にある積み重ねは必要になってくるんです。“無重力の後ろにあるもの”というのは、たぶん伝わるんじゃないかなあと思ってるんですよね。

演目の最後のほうになってくると、きっと辛そうだなと思う瞬間があるんですよ。お客さんが感情移入する瞬間があって、一緒に手に汗握りながらドンッてフィナーレを迎える瞬間がある。それもある種の魅力かもしれないです。

ここまで来るのにどれだけの努力をしたんだろうっていうバックグラウンドが結果的に見えて、無意識レベルで感じてもらえるというか。言語化するのが難しくて、気持ちいいとも、エモいとも違うんですけど、あの空間を一緒に体感できることが、なんともいえないんです。

 

◆父親から学んだ「生き様」

――色々とお話を聞いていて、上西さんは自問自答のなかで生きてるタイプの方なのではないかと感じました。

もう一人の自分が囁いて…みたいなことまではないですけど、「これでいいのか」っていう葛藤はしょっちゅうありますね。

――東大の大学院まで出ていて、楽に生きようと思えばいくらでも楽ができた人生だったんじゃないかなと思うんです。でもそのなかでダンスを選んで追求されている。迷いながらも選びとっていってますよね。それはどういう感覚なのかなと。

そうですね、周りには官僚になった人もいるし、“人生の成功者”みたいな人もけっこういますから、自分もそういう道があったかもしれないなあとは思いますね。でも、若い頃のピーターパン症候群的な感覚を卒業した頃から意識してるのは、生き様ですかね。

――生き様ですか。

はい。父親がガンで亡くなったんです。父は鉄道関係の会社に勤めるサラリーマンだったんですけど、いつも大変なことを引き受けるような人だったんですよ。何かあると電話が来て、夜中でもちょっと行ってくるって。50歳を過ぎて体力も落ちてるおじさんがフラフラになって帰ってきて。

役職的にも出世できる立場にいたのに、出世もしなかった。息子の自分は、もうちょっとうまく生きていけばいいのにってずっと思ってたんです。そうしたら、働きすぎたところもあったのかもしれません、還暦前に亡くなってしまって。

無念な人生なのかなとも思ったんですけど、父親の周りを見ていると、すっごく慕われてたのがわかったんですよ。そこで、あ、これ、死ぬときは生き様しかもっていけないなと気づいたんです。それで、じゃあ自分がどう生きたいか、どうしたいか、そういうことにのみフォーカスするようになったように思います。

――生き様だと気づいたのは社会に出てからですか?

そうです。WORLD ORDERをやっている途中くらいですね。独立を決めたのもそれが大きかったです。良く生きても悪く生きても結局死ぬし、だったら良く生きておかないと、って。最後死ぬ時に後悔が残ったら嫌だし、得をする人生より、自分がカッコいいって思う生き方をしたいなと思ったんですよね。

――お父さんはダンスのことはなんと仰ってたんですか?

「遊んでばっかりいないでちゃんと働けよ」って感じで、ピアスを開けたときも「うーん」って(笑)。そこは普通の頑固おやじでした。やっぱり死んでからカッコいいと思ったのはもったいなかったなと思いますね。生前に気づけてたらよかったですけど。

◆『ARTBAY TOKYO』でのパフォーマンスの見どころ

――『ARTBAY TOKYO』では「SPECTRUM FUSION‐光と無重力のアートパフォーマンス‐」を披露されます。今回の見どころは?

今はアートとエンタメが分離し過ぎてる気がするんですよ。だからアートをエンタメ的に楽しめるものってあるんだよ、それがエアダンスだよ、ということが示せれば、AIRFOOTWORKSが出演した意義がいちばん伝わるんじゃないかなと思っています。

各演目ごとに楽しんでほしいですが、全体を通して楽しめるアートになっていると思うので、その楽しさが伝わったらいいなと思っています。

――新たにパフォーマンスを作っていらっしゃると思うんですが、制作ではどんな工程を踏むんですか?

構成を考えるためにネタを集めるタイプじゃないんです。最初から勉強しにいく姿勢が苦手なので、制作のために映画や演劇を見るとか、どこかに足を運ぶ、みたいなことはなくて。見に行くならただ見たい(笑)。

でも、行った先で「これどうなってるんだろう」と思うことはすごく多いです。今(※取材を行った8月下旬)はもうそろそろ考えないとなあと思いつつ、ギリギリまで粘りたいところです。夢の中で演目を考えてます(笑)。

――屋外のシンボルプロムナード公園(石と光の広場)でパフォーマンスされるというのも、ストリートダンスをやってこられた上西さんからすると大きいですよね。

そうですね。オープンスペースで、誰でも見られる、触れられるというのは魅力のひとつかなと思います。ぜひ近くでAIRFOOTWORKSのパフォーマンスを体験していただきたいです。

<文:飯田ネオ 写真:大森大祐>

※上西隆史
じょうにし・たかし|1986年、北海道生まれ。東京大学大学院在学中、ダンスパフォーマンスグループ「WORLD ORDER」に振付師兼パフォーマーとして加入。2018年に独立し、世界初のエアダンス(鉄棒ダンス)ユニット「AIRFOOTWORKS」を結成。映像作家としても多くのビデオ作品を手掛ける。2021年10月、初の単独公演「CUBISM」を開催。2023年2月、「Japan’s Got Talent」シーズン1に出場。

※SPECTRUM FUSION‐光と無重力のアートパフォーマンス‐

『ARTBAY TOKYO アートフェスティバル2023』内のプログラムとして実施
日程:9月23日(土)19:00〜
会場:シンボルプロムナード公園(石と光の広場)

コンテナに囲まれた特別なアート空間で、エアダンス(鉄棒ダンス)で世界を魅了するパフォーマーが一夜限りのスペシャルステージを開催。世界中でショーをおこなってきた上西隆史が、所属ユニット「AIRFOOTWORKS」のメンバーと共に、観客を幻想的な世界へと誘います。光と音、そして映像演出が組み合わさることでその表現が拡張し、未来の芸術表現を体感できる傑作として観客を魅了します。
(天候等により変更や中⽌となる場合がございます)

※なお、今回アートフェスティバルで披露する上西隆史さんのパフォーマンスについて、その制作の舞台裏を、9月21日(木)深夜0時45分放送の『そだてれび』内で紹介することが決定。ぜひ、お見逃しなく。
テレビ朝日『そだてれび』公式サイト