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女優・高樹澪、40歳を境に体調に異変「本当に死の淵を見た」 痙攣、睡眠不足、離婚問題…「私の中で何かが壊れた」

サザンオールスターズが音楽を担当した映画『モーニング・ムーンは粗雑に』(渡辺正憲監督)のヒロイン役で女優デビューした高樹澪さん。

端正なルックスが話題を集め、デビュー翌年には『ダンスはうまく踊れない』が大ヒットを記録。歌手としても引っ張りだこに。映画『となりのボブ・マーリィ』(大鶴義丹監督)、映画『チルソクの夏』(佐々部清監督)、『ウルトラマンティガ』(TBS系)など多くの映画、テレビ、歌番組に出演。

多忙な日々を送っていたが、デビュー16年目の1997年に異変が。片側顔面痙攣(へんそくがんめんけいれん)を発症し、2004年に休業することに。

撮影:小澤忠恭

◆高級レストランのテーブルで暴れまくり

1995年、高樹さんは、映画『となりのボブ・マーリィ』(大鶴義丹監督)に出演。この映画は、浪人生活を送る青年・マサオミ(菊池健一郎)と、その隣に住むボブ・マーリィに似ている黒人青年(デイヴィッド・ボーエン)との奇妙な友情を描いたもの。高樹さんは、マサオミが通う予備校のワケありの講師役。マサオミと一夜をともにすることに…。

「結構ハチャメチャな感じの役でしたね。暴れちゃって。大鶴さんは、私の中にそういうちょっと変な部分があることを知っているのかなって(笑)」

-高そうなレストランでテーブルの上に上がって騒いだり、暴れまくったり…-

「あのお店はちゃんとしたレストランだったんです。だから、こんなことをしてもいいのかなって思いながらやっていました。もうお店の人の顔を見ることができず、撮影が終わっても目を合わさないようにして帰りました。お礼だけ伝えて(笑)」

-大鶴さんとは、もともとお仕事をされていたのですか-

「そうです。前にお会いしていて、『澪さんにこういうのをやってもらってもいいですか?』という話はしていました」

-原案・脚本・監督、すべて大鶴さんですものね-

「何でもできる方ですし、ちょっと得体の知れない役も似合うのは、お母さま(李麗仙さん)とお父さま(唐十郎さん)のすごいDNAを受け継いでいらっしゃるのですから今後も目が離せない方です」

-若いときは、好青年の役が多かったですけど、近年はかなり個性的なキャラもされていますね-

「そうですよね。テントのお芝居に出られたときに一回観に行ったのですが、そのときにはキレキレというか、そういう役もやってらっしゃいました」

1996年、高樹さんは『ウルトラマンティガ』で『ウルトラマン』シリーズ初の女性隊長イルマ・メグミを演じることに。

-イルマ・メグミ隊長、カッコ良かったですね-

「あれはすごかったですね。『ウルトラマンティガ』は52話あったんです。ウルトラマンで育った私にとって、本当にラッキーなすばらしいお仕事でした。

35歳のときに初めて隊長をさせてもらったんですけど、小林昭二さんもちょうど35歳のときに『ウルトラマン』で隊長をされているので、ちょっとリンクするなあと思いました。

ティガのとき、円谷の皆さんが最初は『髪の毛がすごく長くて、ヘルメットを取ると髪がバーッとなるような感じで』って言ってらっしゃったんですけど、『それはやるたびにメイクさんが大変だと思いますよ。だったらこういうバサバサの髪にしましょう。逆に、そのほうが動きがあって、アクションをやったときにカッコいいですよ』って提案して。『それいきましょう』みたいな感じで、あの髪型にさせてもらえました」

高樹さんは『ウルトラマンダイナ』や映画のウルトラシリーズにも5作品出演している。

 

◆顔面の痙攣が治まらず、事務所に「辞めます!」と電話

多忙な日々が続くなか、1997年頃から体調に異変が。右目の下がピクピクと痙攣するようになったが、最初はすぐに治まっていたという。

「忙しかったので、疲れだろうと。だから寝れば何とかなるって思っていたんですよね。でも、ストレスだったらしく、単純に人間関係だと思います。本当に40歳を境にしていろんなことが起こったので。

周りの人に自分とは違う思惑で動かれるというか…。それは『どうぞ、どうぞ』って思っているんですけど、自分では気づいていないんですね。実はそれがすごいストレスだったって。

ハッキリ言えば良かったのに、小さいときから、自分の思いを表現しちゃいけないと教育されていて。子役ってそういうところがあるんですよね。私は、そういうなかで育っちゃっているので、大人になってからも『イエス、ノー』の『ノー』がはっきり言えなくて、『イエス』しか言えなかったんです。

仕事に関しても『イエス』。結婚していたときも『違うな』って思っても、『イエス』って。それで12年も生活しちゃったものですから、取り返しはつかないですよね。それは相手にも悪いし、自分にも良くないというか。そんな自分に気づいてから離婚まで4年かかりました。苦しかったです。

当時は忙しくしていたことが本当にありがたくて。ただ、イエスマンだったから、自分の内側の声に耳を傾けていなかった自分の責任だと思います。

家に帰ったら帰ったで、また大変な状況だったので。どこにも落ち着くところがないなあって。結局ホテルをとって一人でそこにいることになるんですけど、顔の痙攣の不安、体調の悪さ、離婚問題…いろんなことが重なってしまって、本当に死の淵を見ました、2、3回は。

自分の頭の中では、そんなことをしてはいけないってわかっているのに、からだが勝手にプラットホームから出そうになるんです。『何するの?やめて。今押そうとした?』って。『全員じゃないけど、生きていたらそういうことも1回か2回はあるよ』って言う人もいましたけど、私はとりあえず踏みとどまれて良かったなあって思います」

しかし、顔面の痙攣の頻度は増し、睡眠不足にも悩まされるようになる。1999年に離婚が成立。治療のため、鍼や気功にも通ってみたが、効果はなかったという。撮影中に不自然なまばたきが出ないように精一杯目を見開くことが常になるが、仕事は絶えず、2002年には、日韓合作映画『チルソクの夏』(佐々部清監督)に出演。

この映画は、日本人の女子高校生と韓国人の男子高校生との淡い恋の行方を描いたもの。高樹さんは、大人になった主役(遠藤郁子役)を演じた。

「チルソクのときも本当に申し訳なくて…。あのときはドラマの撮影とスケジュールが重なっていて、さらに疲れていて痩せてガリガリでした。38キロくらいしかなかったんじゃないかな。痙攣はひどくなる一方だったし…苦しかったです」

-仕事で迷惑をかけてしまうという思いも強かったでしょうね-

「そうなんです。それはすごく大きかったです。チルソクの(陸上競技)大会のシーンも何度も撮ることになってしまって。あれはエキストラの方が何百人もいたんですけど、その方たちが1日中ずっと声援をおくっていなくちゃいけなくなってしまって…。暑かったし、本当に申し訳なかったです」

-佐々部監督は高樹さんの体調に気がついていたのですか-

「わかっていたんです。何も聞かれませんでしたけど、ただ、『ちょっと左側からの角度にしようか』という感じで、何も言わない。その優しさってすごいですよね。だから、なおさらのこと全部報いていかないといけないと思いました。

今まで私生活のなかや周りでつらく感じていた分、佐々部監督とか現場でものすごくあたたかいものをいただいたので、救われたというか。本当に命の恩人に近いです」

その後も何とかだましだまし仕事は続けていたが、一向に痙攣は治まらず、さらに頻度は増していく。高樹さんは、自分のせいで撮影スタッフなど周囲に迷惑をかけられないと思い詰めるようになっていったという。

「自分には女優を続ける資格がないんじゃないか。もう無理だって思いました。私の中で何かが壊れたんです。これは事務所を辞めないといけないって思って、社長に『辞めます』って電話で伝えました」

高樹さんは、「女優・高樹澪」と決別すべく、別の町に転居し、携帯電話も解約。指輪やネックレスなど貴金属類もすべて売り払い処分したという。

 

◆病名が「片側顔面痙攣(へんそくがんめんけいれん)」と判明

2006年、高樹さんは知人の勧めで脳神経外科を受診。医師から「片側顔面痙攣」という病名を告げられる。

「ずっと精神的なものが原因だと思っていて心療内科に通って『うつ』だと言われたりしていたんですけど、初めて脳神経外科に行って病名がわかったんですよね。

脳幹にある顔面をつかさどる神経と動脈が癒着していて、ドクンドクンという血の流れが神経に当たって痙攣を起こしていたのだと。

それで、頭蓋骨を開けて、その当たっている神経と血管を剥離(はくり)させて、その間に緩衝材となる髄膜を入れる手術を受ければ治まると言われたんですけど、成功率70パーセントで30パーセントは命の危険があるというので、なかなかすぐにという気にはならなくて。間の悪いことに、ちょうどその手術をして亡くなった人の話を聞いちゃったりしたので怖くて」

-ずっと激しい痙攣に悩まされていたわけですよね-

「はい。横になってもベッドが動いちゃうくらい痙攣していました。寝られないから薬をいっぱい飲んで。多分私は何も食べないでずっとお水だけ飲んでいたんですね。猫ちゃんにはご飯をあげていたんですけど。

あるとき、庭の水仙の花が山のように咲いていたので手入れをしていたら、家の隣に住んでいた看護師さんが私を見て『これはやばい』と思ったらしくて、『ちょっとご飯を食べにきません?』って声をかけてくださったんです。それで、お茶だったらということでお邪魔させていただいて。

ケーキも出してくれたんですけど、ずっと何も食べていなかったので、口がバキバキって固まっちゃっていました(笑)。それで、カウントしてみたら21日間、水以外何も口にしていなかったんです。そのときにはまだ病名がわかっていなかったんですけど、危なかったです。

脳神経外科の先生に診てもらえば、わりとすぐにわかった話なんですけどね。『年齢も年齢だし、結構大手術になるから早めにやったほうがいいよ』って言ってくれる友だちがたまたまいて。

その友だちの従姉妹が、やっぱりものすごい手術をしたんですって。『脳の中に大きな腫瘍ができて、頭をパカーンと開いて手術をしたんだけど、意外に簡単なのよ。今生きているし』って言われて、一度診てもらおうかなと思って脳神経外科に行って病名がわかったんです」

-そして手術をすることに-

「はい。命を落とす危険もあるって言われていたんですね。実際にそういう方もいらしたということなので。

ただ、医学は本当に日進月歩で、少し前まではできなかった手術が今はできるようになったりしているじゃないですか。だからそういう意味では良いタイミングで、手術をしていただけたのかなって思います。『もっと早くても良かったよ』とは言われたんですけど、そうは言っても怖さもありましたし。

うちの母は、先生が『30パーセントは死の確率が…』って言った時点で、『そんな危険な手術。受けるのをやめなさいっ!!』って手術の先生の前なのにめちゃくちゃ怒っていましたけど(笑)。

手術は5時間かかりましたけど、その間手術室の前で父と義理の姉が祈るように待っていてくれて。私は愛されているんだなぁって。10年近く悩んだ痙攣は術後すぐに消えました。手術のとき、先生に後遺症が出るかもしれないって言われていたんですけど、それも全然なくて。先生がすごく上手だったんだと思います」

10年間苦しめられた顔面の痙攣が解消した高樹さん。事務所に辞めると伝えた後、ラーメン屋、パチンコ屋、交通警備員などさまざまアルバイトをしていたという。2009年、女優業に復帰。私生活では2013年に再婚。挙式は行っていなかったが、2016年の舞台『桂由美物語』の中でシビルウエディングという本当の結婚式もあげた。

次回は、アルバイト生活、復帰、再婚、2023年6月23日(金)に公開される映画『アトのセカイ』も紹介。(津島令子)

2023 SEIGI

※映画『アトのセカイ』
2023年6月23日(金)より池袋シネマ・ロサにて1週間限定ロードショー(ほか全国順次公開)
配給:グランピクス
監督:天野裕充
出演:土田卓弥 石崎なつみ 永嶋柊吾 三浦和也 川添野愛 高樹澪
恩師の死をきっかけに高校時代の仲間が集まった通夜振る舞いの席で、内に秘めていたそれぞれの思いが吹き出す。巷では未知のウイルスが蔓延していく。そして彼らは現実に気付くことに…。

※mio+sara『高樹澪と吉村沙羅と歌仲間』
2023年6月24日(土)
賢島ホテルベイガーデン
17:00開場 18:00開演
事務所の後輩【吉村沙羅】の地元である三重県志摩市にある賢島ホテルベイガーデンで、三重県出身のゲストとおいしい料理・お酒を楽しみながらのトーク&ライブ。日常から少し離れて、賢島の穏やかな自然と皆さまとともに、これからの明るい未来に乾杯!