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宮澤佐江、毎日必死だったAKB48時代。休みなく劇場、テレビ、女優業も…「当時の記憶があまりない」

2006年、AKB48に加入し、ボーイッシュで元気なキャラで人気を集めた宮澤佐江さん。

AKB48恒例の「選抜総選挙」ではメディア選抜の常連で、2013年には中国・上海のSNH48、2014年にはSKE48で活動し、2016年、AKBグループを卒業。AKBグループ時代から『恋空』(TBS系)、映画『高校デビュー』(英勉監督)、映画『ウルトラマンサーガ』(おかひでき監督)、地球ゴージャスプロデュース公演Vol.13『クザリアーナの翼』など、多くのドラマ、映画、舞台に出演。

2023年3月17日(金)に映画『犬、回転して、逃げる』(西垣匡基監督)が公開される宮澤佐江さんにインタビュー。

 

◆AKB48のオーディションにチャレンジ

東京で生まれ育った宮澤さんは、小さい頃からテレビを見るのが大好きで、いつしかアイドルになりたいと思うようになっていたという。

-お父さまが『ママとあそぼう!ピンポンパン』(フジテレビ系)の第3代お兄さんをされていたということなので、芸能界はそんなに遠い世界ではなかったのでは?-

「でも、私が生まれたときには、父はもう芸能界のお仕事をやっていなかったので、私は父がテレビに出たりしているのを見たことはなかったです」

-お父さまが芸能界でやってらしたことは、いつわかったのですか?-

「物心ついた頃、おじいちゃん、おばあちゃんの家に行ったときに、父がテレビに出ていたときのビデオを見せてくれて知りました」

-宮澤さんが、芸能界を目指したのは?-

「父のことを知る前からです。小さい頃からよくテレビを見ていてテレビっ子だったんです。ドラマや歌番組が大好きで、自然と『アイドルになりたい』と幼少期から思うようになりました」

-中学生のときにAKB48のオーディションに応募されたそうですね-

「そうです。オーディション雑誌で見つけてすぐに応募しました。AKBにしたのはたまたまですね。白いページに黒文字で、『秋葉原から出るアイドル 秋元康プロデュース』って、秋元康さんの白黒の写真が載っているだけの本当にシンプルな募集記事だったんです。

『なんじゃ?こりゃ』って思ったんですけど、母とか父からすると、おニャン子クラブとかすごいアイドルを作り出した生みの親だということもあり、私自身もお勉強ができるタイプの子どもではなかったので、受験とかを逃れるために、ちょっと一発オーディションを受けておきたいなぐらいのフワッとした気持ちで受けました(笑)」

-1回目ということは、まだ全然AKB48の形がないときですよね-

「そうです。だけど締め切りに間に合わなくて、『ああ、落ちたんだなあ』って思っていたら、ある日突然、『2期のオーディションに合格しているので、この日にオーディションの会場に来てください』というご連絡をいただいて、『えっ。忘れていた頃に?』って(笑)。

受験勉強真っ只中だったんですけど、受験勉強の参考書を持ちながら、すごい田舎っぺな感じでオーディションに参加しました(笑)」

-オーディションではどんなことをされたのですか?-

「ちょうどテレビ電話が世の中で生まれたばかりのときで、AKBとdocomoさんがコラボして、『テレビ電話オーディション』というのがあって、それが最初のオーディションでした」

-受かったと聞いたときは?-

「謎でした。電波状態が悪くて、オーディションしてくださるスタッフさんがたがテレビ電話に映っていたんですけど、何を言っているかわからなくて、『えっ?』『はい?』みたいな感じで(笑)。

ずーっとお互いに『ん?』『えっ?』って言いながらの質疑応答だったので、何が引っかかって何が良くて受かったのか、今でもまったくわからないです」

※宮澤佐江プロフィル
1990年8月13日生まれ。東京都出身。2006年、AKB48に加入。SNH48、SKE48などAKBグループで活躍。AKBグループ時代からドラマ、映画、舞台で活躍。2016年、AKBグループを卒業。『おっさんずラブ』(テレビ朝日系)、映画『ウルトラマンデッカー最終章 旅立ちの彼方へ…』(武居正能監督)、ミュージカル『王家の紋章』、ブロードウェイ・ミュージカル『ピーター・パン』など多くのドラマ、映画、舞台に出演。現在、ミュージカル『キングアーサー』が公演中。映画『犬、回転して、逃げる』が2023年3月17日(金)に公開される。

 

◆AKB48もメンバーに「カメラ目線ができなくて…」

2006年4月1日、宮澤さんは「AKB48劇場」で公演デビュー。メジャーデビューシングル『会いたかった』で初めて選抜メンバーになり、怒涛(どとう)の日々を送ることに。

「AKBに受かってからは、あっという間にいろんなことを経験させてもらいました。『会いたかった』のレコーディングとか、とにかくバタバタで、何が起きているのかわかっていなかったです。仕事ということもわかっていなかったと思います、当時は」

-今日、お写真の撮影を見て、アイドルをされていた方は目線もポージングもキマるなあと思いました-

「私ポージングしていましたか? 良かった(笑)。自分ではわからないですけど、うれしいです。最初の頃は全然わからなくて、カメラ目線をしているつもりだけど、できていないみたいな写真が多すぎて研究したのを覚えています。

『どうしたらカメラ目線をしているように見えるんだろう?』っていうのをすごく研究しました。思っている以上にレンズの上を見るとカメラ目線になるんだとか。そういうのを出来上がりの写真を見ながら、よくやっていました」

-日々忙しくなっていくなかで、うまく順応していけました?-

「私は、アイドル時代の記憶があまりないですね。一緒にやっていたメンバーの子たちと懐かしい話をしはじめると鮮明に思い出すんですけど、結構フワッフワッとした記憶しかないので、毎日必死だったんだと思います」

-お休みはあったのですか?-

「なかったです。オリコンにシングルが入るまでの期間はテレビなどの仕事の量も多くはなかったはずなんですけど、毎日秋葉原の劇場に立つというのがコンセプトだったので、ものすごく忙しかったです」

2007年には、映画『伝染歌』に出演し、『第58回NHK紅白歌合戦』に初出場。2008年には『正しい王子のつくり方』(テレビ東京系)でドラマ初出演を果たし、同年、『恋空』にも出演。

「『伝染歌』に関しては、もともと私は出る予定ではなかったんですけど、ほかのメンバーの子が撮影に参加できなくなって、急遽出させてもらったという感じだったので、セリフもなくてエキストラのような出演でした。なので、あまり映画の作品に携(たずさ)わったという記憶はないです。

『正しい王子のつくり方』は、秋元才加ちゃんと一緒にオーディションに行って決まったというのをすごく覚えています。学園ドラマに出るというのは、テレビっ子だった自分からすると憧れの一つでもあったので、すごくうれしかったです」

-その後すぐ『恋空』ですか?-

「そうです。『恋空』、『愛の劇場 ラブレター』(TBS系)と続きました」

-『恋空』も女の子のグループの中でリーダーシップがあって、はつらつとしたイメージで宮澤さんと重なりました-

「本当ですか? そんなふうに観ていただいてありがとうございます」

-実生活ではなかなか学生生活をエンジョイする時間はなかったと思いますが、ドラマで擬似体験を楽しめたのでは?-

「そうですね。制服を着て、普段一緒にいるAKBのメンバーじゃない人たちと一緒にお仕事をするのは、やっぱり新鮮で楽しいし、刺激的で、違うライフスタイルを送れている気がしていました」

-女優さんにという思いは?-

「そうですね。歌と踊りが好きでアイドルになったけど、何かをきっかけにお芝居に興味をもって、ドラマに出たいって強く思いはじめていましたね、やっていくうちに」

-2009年にはファースト写真集『彼女』が発売されました。カンボジアで撮影されたのですね-

「はい。初めての海外がカンボジアでした。日本のアイドルとしては、すべてカンボジアで撮影した写真集は初めてだと言われました」

-カンボジアでの写真撮影はいかがでした?-

「当時は世界遺産というのを知らなかったので、そういうことに興味をもっている今、カンボジアに行ったらもっと感動しただろうなというのはすごいあります。

すごい場所で撮影したのに、そういうことが何もわかっていなかったです。ただ、虫がすごく多かったから、虫が怖すぎて途中で泣いちゃって(笑)。そんなシーンも写真集には入っています」

ファースト写真集『彼女』を発売してから2カ月後には、ファーストDVD『彼女』も発売された。

 

◆AKB48恒例の選抜総選挙は毎回ドキドキで…

2009年から2018年まで毎年行われていた、シングルの選抜メンバーをファン投票によって決定していたイベント「AKB48選抜総選挙」。宮澤さんは2009年、『AKB48 13thシングル選抜総選挙「神様に誓ってガチです」』でシングル選抜メンバーに選ばれて以降、選抜メンバー常連に。

-選抜総選挙は何度かテレビで拝見させていただきましたが、見ているだけで心臓がバクバクします-

「そうですよね、本当に(笑)。倒れる子もいますからね。あの期間は、私たちは何もできないんです。選挙活動ということに対しては、決められていたことが結構多くて、自分に投票してくださいというワードも使っちゃいけなかったんですよね。なので、自分が頑張ったというよりも、本当にファンの方のほうが大変だったと思います」

-選挙期間は皆さんピリピリしているという感じですか?-

「うちのグループは本当にみんな仲がいいので、ピリピリするということもとくになく、みんなで過ごしていたという感じです」

-発表までかなりドキドキするでしょうね-

「そうですね。途中で中間発表が入ったりするし、そこから開票イベントまでの期間でファンの方々が頑張ってくださって、中間発表よりも上の順位になるのか下になるのかというのは、私自身もドキドキでした。毎回どれくらいかというのは本当に予想できてなかったです。頑張ってくれたファンの方のことを思うと、胸が痛くなります。本当に感謝しています」

-秋葉原の劇場、テレビ番組、歌番組にライブもあって、さらに映画やドラマもということで、かなりハードスケジュールだったと思いますが-

「そうですね。でも、グループの中でもちょっとずつ人気とともに仕事の量が違っていました。私は選抜メンバーにありがたく入らせてもらっていても、前列メンバーではなく、3列目ぐらいに常にいたような感じの立ち位置だったんですよね。

前列メンバーの仕事の量はすごかったですね。本当に彼女たちは、毎日寝る時間もなかったと思います。それに比べると、自分なんかは全然平気だという感じだったので、自分より仕事をして大変な思いをしているメンバーがいたから、元気に頑張れていたというところはありました」

2012年には、映画『ウルトラマンサーガ』に出演。負けず嫌いな戦闘班メンバーで、戦闘のときは先陣を切って突っ込むサワを演じた。赤いスカジャンを羽織り、紫色の鉢巻を頭に巻いた凛々しい姿が印象的だった。

-特撮に出演すると聞いたときは?-

「芸能界のことを何も知らずに10代の頃から入ってしまったので、『ウルトラマンサーガ』に出た頃は、すごいことなんだろうけど、それがわからなくなってきた時期だったのかもしれないです。ウルトラマンを見ていた世代でもなかったので、『ウルトラマンに出られるんだ、わーい』みたいな感覚で(笑)。

先日まで『ウルトラマンデッカー』(テレビ東京系)という作品に出させてもらっていたんですけど、そのスタッフさんの中に、サーガを観て円谷に入って仕事をしているという方がいて、『ああ、そういう人がいてくれたんだなあ』って、すごくうれしかったです」

-『ウルトラマンサーガ』を観ていた方が宮澤さんと一緒に仕事をされていたわけですものね-

「はい。それで、今回一緒に仕事ができてすごくうれしいかったという思いを伝えてくれて。『あのとき、やって良かったんだなあ』って、振り返ってすごく思いました」

映画『ウルトラマンサーガ』が公開された2012年、宮澤さんは、中国・上海のSNH48に移籍することになるが、初っ端(しょっぱな)から問題が勃発。日本と中国の情勢から中国で活動するためのビザが発行されず、数カ月間宙ぶらりんの状態に陥ってしまう。

2014年にはSKE48のチームSの新リーダーに就任。そして2016年、AKB48グループを卒業することに。次回はその経緯、岸谷五朗さんと寺脇康文さんとの出会いなども紹介。(津島令子)

ヘアメイク:伊藤里香
スタイリスト:藤井エヴィ

©2023 映画「犬、回転して、逃げる」製作委員会

※映画『犬、回転して、逃げる』
2023年3月17日(金)よりシネ・リーブル池袋、シネ・リーブル梅田ほか全国順次公開
配給:アイエス・フィールド
脚本・監督:西垣匡基
出演:長妻怜央(7ORDER) 宮澤佐江 なだぎ武 中村歌昇 三戸杏琉 小坂涼太郎 ワタリ119 仁科亜季子/登坂淳一

泥棒という裏稼業を持つカフェ店員の青年・木梨栄木(長妻怜央)。次のターゲットは、1日でも早く世界が終わることを願っている婦人警官の眉村ゆずき(宮澤佐江)。しかし、彼女の部屋で、「ずっとお前を見ているからな」という手紙を見つけて驚く。数日後、木梨がこよなく愛する愛犬の豆柴・天然くんが部屋から姿を消してしまい、盗まれたと思い込み、失意のどん底に。さらに街では相次ぐ爆弾予告事件、小学生の誘拐騒動が勃発し、予想外の展開に…。

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