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高橋惠子、高校へ行かず女優業に専念した10代。コロナ禍で念願のフランス語学校へ「学生生活が送りたかった」

15歳でデビューし、『太陽にほえろ!』(日本テレビ系)、映画『ラブレター』(東陽一監督)など多くのドラマ、映画に出演し、『TATOO<刺青>あり』で高橋伴明監督と出会い結婚した高橋惠子さん。

1988年に伴明監督と再びタッグを組み、“Jホラー映画の原点”と称される映画『DOOR』が35年の月日を経てデジタルリマスター版で公開中。

ストーカーという言葉もスプラッタームービーという言葉もCGもなかった35年前に作られたとは思えないリアルな映像、ストーリー展開は圧巻。

©エイジェント21、ディレクターズカンパニー

※映画『DOOR デジタルリマスター版』
新宿K’s cinemaにて公開中
配給:アウトサイド
監督:高橋伴明
出演:高橋惠子 堤大二郎 下元史朗 米津拓人
主婦VSストーカーのスーパーバイオレンス。夫と息子と3人でマンションに暮らしている靖子(高橋惠子)は、毎日かかってくるいたずら電話やしつこいセールスマンの勧誘に神経質になっていた。ある日、ドアチェーンの間からパンフレットを強引に差し込んで来たセールスマン(堤大二郎)に恐怖を感じた靖子は、彼の指をドアで思い切り挟んでしまう。それがきっかけで執拗(しつよう)な嫌がらせが続くように…。

◆テレビ番組で社交ダンス選手権に挑戦

2007年、高橋さんは映画『ふみ子の海』(近藤明男監督)に出演。この映画は、視覚障害者教育に人生をささげた実在の女性・粟津キヨさんをモデルにした小説をもとに、彼女の少女時代を描いたもの。

高橋さんは、全盲の笹山あんま屋の主人・笹山タカを演じ、毎日映画コンクール女優助演賞を受賞した。

「目の不自由な役で難しかったです。東北に週3日ずつ通って撮影したんですけど、あの作品も印象に残っていますね。

ちょうどあの映画を撮っているとき、『シャル・ウィ・ダンス?~オールスター社交ダンス選手権』(日本テレビ系)という番組があったんです。プロのダンサーの方と組んで社交ダンスで勝ち抜いていくという番組で、なぜかどんどん勝ち抜いていって、勝ち抜くと次の週も出るんですよ。

出ることが決まったら、次は何をやろうかってなって、衣装を決めたりして、1週間後ですから練習する日にちが3日ぐらいしかないんです。それでこっちでそのダンスの練習をやって、それから向こうに行って(映画の)撮影していました。撮影の休憩中に踊りの振りを動画で撮って送ったりしたこともありましたね(笑)」

-かなりハードスケジュールだったのですね-

「そう。正反対のことをやっていました。だから大変というか、たしかに寒いときに夏の場面を撮って寒かったりとか、色々ありましたけど、そのときにはそっちに集中して、こっちではサンバとか踊っていましたからね。全然違う(笑)。気分が切り替わって良かったです。そういうのがおもしろいですね。結局、最後で2位になって、ちょっと残念というのはあったんですけど」

-いいところまで行ったんですね-

「そうなんです。それでペアを組んでいた先生に『初めてじゃないでしょう?』って言われたんですけど、初めてだったんですよね。でも、嫌いじゃないですね、踊るということが」

-お仕事を選ぶ判断基準は?-

「大体直感で決めます。でも、会社もやっているので、経営していく上でやっておかないと回っていかないというのでやる場合もありますけれども」

2011年には、映画『ホームカミング』(飯島敏宏監督)に出演。高橋さんは、定年退職を迎え、少子高齢化が進んだ町で仲間たちとともに町おこしのお祭復活運動を開始する主人公・鴇田和昭(高田純次)を支える妻・摩智を演じた。

-やんちゃな夫を支えるすてきな奥さんでした-

「高田純次さんが(映画)初主演だったんですよね。しょっちゅうしゃべっていたんですけど楽しい方で。

高田さんは口からでまかせが得意じゃないですか。でも、私はとても本当のことを真実味がある感じで言うから、『組んだら絶対にだませるよね』って。嘘っぽい、でも本当かもって(笑)。そうやって冗談を言っていました。とても楽しかったです」

 

◆23年ぶりの主演映画で海外の映画祭へ

2012年、高橋さんは映画『カミハテ商店』(山本起也監督)に主演。『花物語』(堀川弘通監督)以来、23年ぶりとなる主演作で高橋さんが演じたのは、自殺の名所となってしまった断崖絶壁の近くにたたずむ一軒の古い商店を営む初老の女性・千代。自殺者は人生の最後に千代が焼いたパンを食べて崖から身を投げ、千代は彼らが崖の上に残した靴を持ち帰る日々を送っていたが…。

「あれは、京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)映画学科の映画製作プロジェクト『北白川派』の製作で、卒業生が書いた本なんですよ。そこで夫が教えさせていただいていて、私も講師として1日行かせてもらったことがあって。

あの映画は、講師として参加しているんです。女優じゃなくて。それは規定があるのかな? 女優としての出演料ではない、講師料みたいな感じでした(笑)。

学生の授業の一環で、スタッフが半分以上学生。要所要所、ポイントにプロが入っているという感じで、それもちょっとおもしろい経験でした。なかなかできないことなので」

-高橋さんが演じた主人公は、最初は絶望をまとったような女性でした-

「そうですね。あれは難しかったです、あの役は。胃が痛くなりました。老け役でね。セリフが少なくて表情や動きで表現するシーンが多かったので難しかったです。

最後にバスから降りて来る女性を出迎えるときの顔はどういう顔をすればいいんだろうってずっと考えていました」

-最初のほうはほとんど「無」ですものね-

「『無』です。ひとりで自分の店に来てコッペパンと牛乳を頼んだ人が食べたあと、自殺することがわかっているのに何も言わない。止めることもしない。あれはすごい印象に残っていますね。

最初、自殺した人が残した靴を取りに行って、それを持って帰るというシーンがあって、それが撮影の初日だったのかな? それでやってみたら、『もっとゆっくり歩いてください』って言われたんですね。

自分ではゆっくり歩いているつもりだったんですけど、もっとゆっくりと言われたのが印象的でよく覚えています。『えっ?こんなにゆっくり?』って思ったんですけど。

でも、それがやっぱりあの作品全体のトーンというか、何とも言えない、あの女性の抱えているものが彼女の歩くスピードに現れていて、たしかにこのくらいゆっくりでちょうどいいなあって。出来上がった作品を観て思いました」

-高橋さんは、「おおさかシネマフェスティバル2013」で主演女優賞を受賞されました-

「そうですね。あの作品では、カルロヴィ・ヴァリ国際映画祭とカザフスタンの映画祭にも行ったんです。カザフスタンって荒涼とした場所なのかと思ったら、全然そうじゃなかったです。緑の多いきれいな街でした。海外の映画祭も楽しいですよね。いろんな国の俳優さんや監督さんとお会いできますし」

-映画をご覧になったお客さんの反応は?-

「国境を越えて、伝わるものが伝わるんだなあって。すごかったのはスタンディングオベーション。うれしかったです」

2016年には、長年の女優人生と山路ふみ子文化財団主催の「名画特別上映会」に多大な貢献を果たした活動が高く評価され、第40回山路ふみ子映画賞文化財団特別賞を受賞した。

 

◆コロナ禍でフランス語の学校へ

若い頃からフランス文学が好きで、フランソワーズ・サガンやマルグリット・デュラスの小説を読んでいた高橋さんは、フランス語の勉強をしているという。

「コロナ禍で舞台が延期になったり、中止になったりして、今までにない自分の時間ができたので、一昨年から1年間、『アテネ・フランセ』(老舗のフランス語学校)にフランス語を習いに行きました。

実は、17歳のときにも同じ学校に通ったことがあるんです。高校に行かずに女優に専念したので、学校というものへの憧れもあったんでしょうね。学生生活が送りたかったんだと思います。でも、仕事が忙しくてそのときには5日くらいしか行けなかったので、気になっていたんですよね。

それで、一昨年は1年間通ったんですけど、去年はまた忙しくなってしまって行けなくて。いろいろなコースがあるので、私は本当に初級、しゃべって聞いてというコース。

年代も同じくらいの人から若い人までお友だちができたのも良かったですね。若い20代の方とかもクラスメイトとしてわからないところを教えてくれるんですよ。それまで仕事以外でそういうお付き合いがなかったので、そういうのも楽しかったですね。

せっかくやったので、もうちょっとまたやりたいなあとは思っているんですけど、なかなかこの時間を作るのが難しくて。週2回、4時間くらいやりますので、映画のロケとか舞台で地方に行っちゃうと、コンスタントに行くのが難しいところですけど」

-フランス留学もしてみたいとおっしゃっていましたね-

「そう。でも、家族もいるし、なかなかね。今は夫と2人暮らしですけど、食事を担当していますし。それを諦めてもらえれば叶うかもしれないですけど(笑)」

愛犬・ノアちゃんと(本人提供)

-高橋さんは前からワンちゃんを飼ってらっしゃいましたね-

「はい。以前はラブラドールレトリーバーを飼っていたんですけど、その子を見送ったあと、夫がまた犬を迎えたいと言って。娘に2人とも高齢なので大型犬より中型犬がいいのではないかとアドバイスされて、ビーグル犬を迎えてノアという名前を付けました。前の犬と同じ名前なんです。やっぱり癒(いや)しになります。とてもいいですよね。

朝6時にはノアの散歩に出ています。1時間くらいかな。今は寒いですよね、息も白いし。散歩をしながら色々瞑想というほどのものではないけれど、自分自身と周りの景色、秋だったら枯葉が落ちて色が変わってというのを感じて。

家の庭にしだれ梅の木があるんですけど、それも少し色づいた蕾がつきはじめてきて。そうやって、自然というのは刻々と変わっているんですよね。そういうのもよく見るようにしています」

-そのしだれ梅があるからお引っ越しされるのをやめたとか-

「そうです。紅しだれなんですけど、主人の母が『紅しだれがいいよ』って言ったので、それを庭に植えたんですね。最初はヒョロッとしていたのに、30年も経つと見事にしだれて。

母も亡くなり、子どもたちも家を出て夫婦ふたり暮らしになったので、家を手放そうとしたんですけど、『売るには更地にしてください』と言われたので、それを切っちゃうのはちょっと耐えられなくて手放すのをやめました」

-化粧品のプロデュースなど実業家としても活動されていますね-

「実業家というか、自分のなかでは、何か新しいというか、自分がやりたかったこととかをしてみようかなと。化粧品も形になったので、今年は、私は多分そっちのほうで動くんじゃないかな。

今年はまったく舞台が入ってないんです。初めて優作さんの舞台に出たのが18で、それから舞台をやるまでだいぶ間が空いて。途中で降板したこともあったので、舞台に復活できたのが42歳だったんです。すごく空いているんですけど、それから年に2、3本はやっていたのに今年はゼロ。

こんなことは初めてです。コロナで延期になったとかはありましたけど、まったく入ってないっていうのはなかったんです。コロナ禍でもやっていましたので」

-ミュージカル『HOPE』に主演されたのは2021年でしたものね-

「そうです。入場制限は終わっていましたけどコロナ禍でした。映像のお仕事は入っていますけど、これは映像のほうに少し向くのか、新しいことを始めるときかなって。事業のほうを少しちゃんと軌道に乗せていくというのもありますけど、30代くらいの頃から日本文化を海外に伝えたいって思っていたんです。

やっぱり日本人の精神性の高さというか、美意識とか、すごいなあと思っていたので、それを自分が身に付けて、そして伝えたいなというのはあります。

着物ってたしかに大変なんですよ。着物を着て車の運転も大変だろうし。でも、着物はなくしたくないなと思うんですよね。そういうのをまず、自分が身に付けて学んで、伝えられたらいいなあと思います」

-それを世界に発信していこうと?-

「はい。せめて日本だけでもいいんですけど、どんどんそういうものが薄くなってきているというか、着物を着る機会も人も減ってきているので、もうちょっと着物の魅力を知ってもらう良い方法はないかなと思ったりはします」

-色々なことに意欲的でハツラツとしてらっしゃいますね-

「気持ちだけはね(笑)。朝陽を浴びるとか、深呼吸をするとか、自然の息吹を感じるって大切なことなんですよ。住んでいるところに緑が多いので、それが健康の秘訣でもありますね」

取材現場にスーッとひとりでいらした高橋さん。映画やドラマの撮影現場にもマネジャーさんが必要なとき以外はひとりで電車に乗って行かれているそう。自然体で微笑みながら話す姿が美しい。(津島令子)