マキタスポーツ、芸人の仕事が上向いた40代。『アウトレイジ』の超過激シーン出演も「役者をやるつもりはなかった」
1998年、28歳のときに浅草キッド主催のライブ「浅草お兄さん会」に出演し、ピン芸人としてデビューしたマキタスポーツさん。
今やミュージシャン、俳優、文筆家、小説家などさまざまな肩書を持ち、幅広い分野で才能を発揮しているマルチタレントとして知られているが、当初はなかなか思うようにはいかなかったという。
◆まったく仕事がなかったとき、映画『アウトレイジ』に出演することに
ピン芸人としてデビューする前にもバンド活動やさまざまな活動をしていたというマキタさん。2010年に公開された北野武監督の映画『アウトレイジ』に出演することに。
-デビューは28歳のときですか-
「一応僕の中ではピン芸人としてスタートしたのが28歳なので、デビューはそこにしています。実はその前にも僕は、なんだかんだやっているんですけどね」
-ミュージシャンと芸人さん両方でというスタンスではじめられましたが、俳優という選択肢は?-
「あまりなかったですね。すごい人気者になればそういうお話もあるだろうとは思いましたけどね。そういう前例はいっぱいあるじゃないですか。そうなったら、『じゃあ出ようか』みたいなのもありかなと思っていましたけど、そうならなかったですけどね、全然(笑)。
なかなかそういう状態にならないうちに、ようやく仕事が上向きになりはじめたのが、40歳くらいからなんですよ」
-40歳というと、北野武監督の『アウトレイジ』に出演されていましたね-
「いやいや、あの頃はまったく仕事がなかったです。『アウトレイジ』は、出させていただきましたが、僕はそのときは全然役者をやろう、やれるとは思っていませんでしたからね。
僕はたけしさんが大好きなゆえに、たけしさんの作品とか、たけしさんに迂闊(うかつ)に近づいてはダメだと思っていたタイプなんですよ。
だから僕はたけしさんとは師匠と弟子という契(ちぎ)りを交わしてないですし、『殿』とは呼ばないんです。殿と呼ぶのは、師匠と弟子の契りを交わした人たちなので。一時期、同じ事務所(オフィス北野)に縁もあって入ることになりましたけどね」
-マキタさんの出演シーンはかなり過激でしたね-
「そうですね。椎名桔平さんに菜箸を耳に突き刺されて、手の指は包丁で切り飛ばされていますしね。あのときに役者をやるつもりはなくて、たけしさんの事務所の若手として使っていただいたという経緯があっただけです。
それ自体もありがたい話ですけど、むしろ当時の社長は敏感なプロデューサーだったので、たけしさんのところの若手芸人とかを安易に使いたくない人だったんですよ。だから僕を使うことに反対だったんです。
ところが、キャスティングの方が『マキタさんとかどうですか?』って言ったとき、たけしさんが『いいじゃない、マキタで』って言ってくださったことで出られたんです」
◆芸人としてこれからというときに映画のオファーが
マキタさんは、2010年以降、『R-1ぐらんぷり2011』(フジテレビ系)で準決勝進出、『中居正広の金曜日のスマたちへ(※当時)』(TBS系)、『オールスター芸能人歌がうまい王座決定戦スペシャル』(フジテレビ系)で優勝を飾るなど、人気番組に出演することに。
2012年、マキタさんは、映画『苦役列車』(山下敦弘監督)に出演。
この映画は、日雇い労働者として働きながら、明日のない暮らしを送る19歳の主人公・北町貫多(森山未來)のひねくれた青春を描いたもの。マキタさんは、荷役労働先で働く北町の先輩で歌手志望の高橋岩男役。高橋は、仕事中に大ケガをしてしまい、働けなくなってしまう。
「僕の中では、2011年ぐらいからようやく仕事が上向きになって、だんだん露出も増えてきて、『さあ、これからだ、芸人として自分が目指す方向で頑張ろう』と思っていた矢先に、当時のマネジャーが、『これマキタさんが絶対にやったほうがいい役ですから』って『苦役列車』の仕事を持ってきたわけですよ。
でも、僕はむしろ邪魔だなと思ったんです。だって、ようやく芸人としていい感じになってきたときに、芥川賞作品かなんかわからないけど、読んだことがないから、そんな貝を拾っている労働者で、歌手になりたいんだみたいなことを言っているオジサン役だと聞いて、それイヤだなあって(笑)。
『どれぐらい拘束されるの?』とか生意気なことばかり言っていたんですよ。それで、『やりたくない』って断ったんだけど、マネジャーが『これは絶対にやったほうがいいです』って言うから、『じゃあ条件をつける。曲を作らせてくれたらいいよ』って言ったんです。
そうしたら『一応掛け合ってみます』って向こうに話をしたら、『曲を作らせてくれるって言いました』って言うので、『じゃあ、しょうがない、出るか』って(笑)。それぐらい僕は生意気な態度で出たんですよ」
-劇中の『俺は悪くない』という曲ですね。実際撮影が始まっていかがでした?-
「イヤでしたね(笑)。だって、僕は登場シーン、結構ロングの画で、自分が撮られているのか、撮られていないのか、よくわからないところでお芝居をさせられているから、不安でしょうがなかったです。
あと、覚えたセリフを言うようなこととかも、あまりちゃんとやったことがないので、めちゃくちゃ緊張しました」
-それでも撮影は、わりとスムーズに進んだのですか?-
「いやあ、NG出しましたね。僕がケガをして、スナックで森山未來くんが会社からおおせつかった見舞金、要は手切金ですよね。それを持って来て、『手打ちね』みたいなことを言われるシーンがあるんですね。
未來くんは、ただ伝達役みたいなことで来ているんですけど、僕はそれに絶望して暴れて…というシーンは何テイクもやりましたね。
そのあとヤケクソになって歌を歌って…というシーンなんですけど、歌うシーンに早く行きたかったですね。歌のほうが楽なので。
その前の未來くんとのセリフで微妙な心のやりとりをしなくちゃいけないのが、山下監督に何回かダメ出しをされて追い詰められました。自分的には何がおもしろいのかわからなかったので。
僕はフラワーロック体質なので、ウケる方向にしか心と体を持っていった記憶がないから、微妙な心のやりとりみたいなことが苦手なんですよね。
その微妙な心のやりとりが詰まっているセリフの重要さというか、それが全然理解できなかったから、何回も監督に『それだとちょっと違っちゃうんですよ』みたいなことを言われて、『何でこの人はこんなことを言うんだろう?』ってずっと思っていました(笑)。だから、何の達成感も得られないまま、現場が終わったという感じでしたね」
-完成した作品をご覧になったときはいかがでした?-
「なんか恥ずかしいやら、まともには観られなかったですね。作品全体をちゃんと観るということがなかなかできなくて、自分のシーンがいつ来るかとハラハラするし(笑)。
もちろん最後まで観ていますよ。今となってはだいぶ時間が経っているから冷静になって観られると思うんですけど、それでも冷静になってはきちんと観れないですもん(笑)」
マキタさんは『苦役列車』で第55回ブルーリボン賞新人賞&第22回東京スポーツ映画大賞新人賞を受賞。俳優として広く知られることに。
-演技力が高く評価されて賞も受賞されました-
「照れくさかったですね。自分としては、たとえば、歯を抜いたり、髪の毛を剃ったりとか、20kgくらい減量とか30kgくらい太って…というようなことをやったら、多分達成感があったかもしれないけど、そうじゃないですしね。
ただ、そのまま体を持っていって、なんとなく労働者の格好をして、それで歌を歌って、『やれやれ困ったな』って言っているうちに終わっちゃったので(笑)。
それがブルーリボンの新人賞。賞をいただいたときには僕は43歳になっていましたからね。だから新人なのかなんなのかよくわからなかったですよ。うれしいというより、くすぐったい気分でした」
『苦役列車』に出演したときはまだアルバイトをしていたというマキタさんだが、翌年には『この世で俺/僕だけ』(BSジャパン)に池松壮亮さんとW主演。『忍びの国』(中村義洋監督)、『きのう何食べた?』(テレビ東京系)など話題作に次々と出演。芸人、ミュージシャン、文筆家としても引っ張りだこの状態に。
次回は2022年3月に発売された自伝的小説『雌伏三十年』、10月28日(金)より全国にて順次公開される映画『MONDAYS/このタイムループ、上司に気づかせないと終わらない』(竹林亮監督)の撮影エピソード、話題を集めた「10分どん兵衛」も紹介。(津島令子)
ヘアメイク:永瀬多壱(VANITES)
スタイリスト:小林洋治郎(Yolken)
ジャケット/FACTOTUM/Sian PR
シャツ/remember/Sian PR
ベレー帽/MAISON Birth/Sian PR
※映画『MONDAYS/このタイムループ、上司に気づかせないと終わらない』
2022年10月14日(金)より東京・渋谷シネクイント、大阪・TOHOシネマズ梅田、名古屋・センチュリーシネマ先行公開
2022年10月28日(金)より全国にて順次公開
配給:PARCO
監督:竹林亮
出演:円井わん マキタスポーツ 長村航希 三河悠冴 八木光太郎 髙野春樹 島田桃依 池田良 しゅはまはるみ
小さなオフィスを舞台に、社員全員が同じ一週間を繰り返していくという“新感覚オフィス・タイムループ・ムービー”。月曜日の朝。プレゼン資料の準備で忙しい中、吉川朱海(円井わん)は、後輩2人組から「僕たち、同じ一週間を繰り返しています!」と報告を受ける。タイムループ脱出の鍵を握る部長永久(マキタスポーツ)は、そのことにまったく気がつかず…。
※『雌伏三十年』
著者:マキタスポーツ
発行:文藝春秋
芸人・ミュージシャン・文筆家・俳優としてマルチな才能を発揮しているマキタスポーツの自伝的小説。1988年、山梨から野望を抱いて上京した臼井圭次郎は、紆余曲折の末に仲間とバンドを結成するが、なかなか売れずバンドは空中分解。おまけに女性関係や家族間のトラブルも…。