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我が家のテーブルに居座り、私の感情を揺さぶってくるアイツら<アナコラム・本間智恵>

<テレビ朝日・本間智恵アナウンサーコラム>

息をするように本を買ってしまう。

本を買うことに対するハードルがやけに低い私。脊髄反射でポチッと通販。電子書籍より紙の書籍派なので、我が家のテーブルにはどんどん本が積みあがり、今日も元気に「積ん読」が進行している。

本を読んでいるとえらいねと言われることがあるが、私としてはただ好きなことをしているだけである。読む本は小説が7割くらいで、あとはエッセイや勉強のための本。最近はめっきり少なくなってしまったけれど漫画も少々。

私は読書欲にむらがあるので、読みたいときはのめりこんで何冊も一気に読むが、1か月で1冊も読まないときもある。そのくらいの付き合い方だから、続くのかもしれない。

私たちがまだ子供の頃の90年代はそう娯楽も多くなく、ちょっとした時間を埋めるには、絵を描くか、本を読むか、くらいだったように思う(我が家にはゲーム機がなかった)。

本の虫と呼べるほどの読書量ではなかったと思うが、それでもバスと電車に乗って通学していた小学生の頃から帰り道に本を読んでいた記憶があり、乱視が強いのはその習慣のせいもあるだろう。

本の中でも小説を読むのが好きな理由は、現実とは別の世界を疑似体験し、没頭できるから。

その意味では、映画やドラマなども大好きな私だが、文章のみに頼る読書においては、想像力を働かせて登場人物の風貌や情景などを自分好みに思い描く自由がある。情報が少ないからこその、行間を読む楽しさ、味わい方があると思う。

◆『夜に星を放つ』と『おいしいごはんが食べられますように』

読む本の選び方は色々だ。好きな作家の新作をチェックしたり、友人に読んだ本を尋ねたり、ニッチなキュレーションをしている書店を覗いてみたり。

少し前には、文学賞の最高峰とされる芥川賞と直木賞を受賞した2冊を押さえておこうと手に取った。純文学か娯楽作かなど、それぞれ違う選考方法であるとわかっていても、今回は特に感情の揺さぶられ方が全く違って面白かった。

まず読んだのは、直木賞を受賞した窪美澄さんの『夜に星を放つ』だ。

誰もが多かれ少なかれ生きていく上で傷ついていくのであって、そんな傷ついた人たちに優しく寄り添ってくれる本。窪さんの作品はいくつか読んだことがあったけれど、今回はより読みやすい印象で、すっきりした5つの短編が、星座のように連なる短編集だった。

数日かけて少しずつ読み進め、さわやかな気持ちで今日が進められるな、と深呼吸して読了した。

一方で、芥川賞を受賞した高瀬準子さんの『おいしいごはんが食べられますように』は、とにかく、ずっと不穏な空気が流れ、一向に「いい人」が出てこない本。なんなら、「おいしいごはん」も出てこない。

登場人物の行動にいちいちむかむかするし、不快で、吐きそうになって、ずっと眉間に皺を寄せながら、しかし貪るように数時間で読んだ。変に思うかもしれないが、これは誉め言葉なのである。

この『夜に星を放つ』と『おいしいごはんが食べられますように』という毛色の違う2作を続けて読んだのだが、後者を読んでいたときの私は圧倒的に高瀬さんの泥を飲みたかった!と思ったのだった。

目をそむけたくなるような人間の嫌なところをここまで正直に、しかし淡々とした筆致で書かれると、「爽快な不快」というアンビバレンスが生まれるのか……と唸った。

登場人物のひとりである二谷が、お湯を入れたばかりの乾燥ほうれん草の入ったカップスープを台所の流しに捨てたところで、私はなかなかに泣いた。

◆「書かなくてはいけない読書感想文」は嫌いだったけど…

今は誰でも情報を発信する時代だから、文章に触れる機会自体は増えているけれど、長いものは好まれなくなっているとも聞く。確かに活字が好きな自分であっても、スマホ画面は2、3回スクロールしたら飽きてしまうときがある。

今子育てをしている友人たちから、子供が本を読んでくれないという嘆きを聞くことも多い。文章への耐性とは別の話で、今ではドキドキハラハラするのが嫌だという若い世代も多く、映画などでも先に内容を把握しておきたい人もいるとか。

確かに、緊張感いっぱいで事件だらけの人生を現実として生きるのは大変だろうけど、フィクションの中でなら思う存分振り回されてみたいな、と私は思う。

自分以外の人生を覗いて、感情を揺さぶられる体験をしたくなるのだ。ジェットコースターに乗って心臓がひゅぅっとする感覚を味わうのが好きなように。

そんな風に楽しんでいるうちに、物事をとらえるときの解像度が高まったり、他者への想像力を働かせることができたり、表現力が豊かになったりしたら、嬉しい限りだ。

そして、かつて課題で出された「書かなくてはいけない読書感想文」は嫌いだったけれど、今、読書を通して感じたことをつらつらと書き残したり話したりするのは好きだ。

特に、友人との「何読んだ?」「どうだった?」という会話は、読書後の楽しみである。誰かの抱いた感想が、自分のそれと似ていても、正反対でも、それぞれ興味深い。感想を通して、他者と自分の属性、感性の違いを知るのも、これまた楽しいのである。

先日、読んだ本の感想をシェアしあった友人は令和を生きるティーンエイジャーだったので、私とはかなり違う印象を受けたとわかり、わくわくした。

「昭和っぽい設定」「友達との距離の取り方に違和感がある」などの指摘があり、いわゆるZ世代の彼女の視点にはひっかかったようだ。

その本の筆者と私は同じミレニアル世代だから自然に読んでしまったのかと気づき、世代ごとの大枠の傾向が見て取れるような気がして、勉強になる。違いを知るのは、面白い。最近になってそう思えた。

読書の気持ち良さを知った私は、嵩を増す「積ん読」の山を見て、たくさんあって困ったなぁなんて言う顔も実は笑っている。本を積み上げて、切り崩して、その分私はいろいろな世界を飛び回る。

次は何を読もうかな。

<文/本間智恵、撮影/矢島悠子