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板谷由夏、突然の映画デビューのきっかけは“イタリア語会話” 驚きのオファーの連鎖で「私が…映画に出る?」

高校3年生のときにティーンズ雑誌『PeeWee』の専属読者モデルとして活動をはじめ、1999年、映画『avec mon mari』(大谷健太郎監督)で女優デビューした板谷由夏さん。

映画『運命じゃない人』(内田けんじ監督)、映画『欲望』(篠原哲雄監督)、『ホタルノヒカリ』シリーズ(日本テレビ系)など多くの映画、ドラマに出演。2007年から11年間、『NEWS ZERO』(日本テレビ系)でキャスターをつとめ、2015年には自身のアパレルブランド「SINME(シンメ)」を立ち上げるなど幅広い分野で活躍。2022年10月8日(土)には主演映画『夜明けまでバス停で』(高橋伴明監督)の公開が控えている板谷由夏さんにインタビュー。

 

◆ファッションの道に進みたくて雑誌の専属読者モデルに

福岡県で生まれた板谷さんは、小さい頃から父親の仕事の都合で引っ越しが多く、転校してばかりだったという。

「父が転勤族で、1年~1年半経つとまた次のところに引っ越しをするという生活だったので、転校ばかりしていました。ちょっと馴染(なじ)むと引っ越しちゃうんです。そういう意味では私のベースを作ったのはその転校時代なのかなと思います」

-芸能界に入りたいと思ったのはいつ頃からですか-

「芸能界には興味がなかったんですけど、ファッションが好きだったので、雑誌に携わりたくて、16歳くらいからモデルをやりたいと思っていました。ちょうどその頃スーパーモデルブームだったんですよね。

それで読者モデルに応募したりしていたのが17歳ぐらいからだと思うんですけど、まさか自分が芝居をするなんてまったく思っていなかったです。

最初は『PeeWee』という雑誌の専属読者モデルでした。撮影は東京だったので、週末にひとりで空港に行って飛行機で東京に通うという生活が、高3のときから始まりました」

-高校を卒業したら上京してモデル活動をとはならなかったのですか-

「うちの母が地元で短大まで行きなさいという人だったので、ひとまず短大まで行って、卒業してから上京しました」

1995年、板谷さんは、博多華丸さんとおたこぷーさんと「SOUTH END×YUKA」というユニットを組み、シングル曲『SO.TA.I』をリリース。

「20歳でまだ学生だったんですけど、音楽系の事務所に所属していたのでご当地モノをやるときに、『うちの事務所に福岡の子がいる。やりなさい』ってなって。やるか、やらないかということもなく、スルスルッとやることになっていました(笑)」

-とても可愛いらしい声が印象的でした-

「恥ずかしい(笑)。難しいし『モデルをするために上京したのに、なんでご当地ラップをやっているんだ?』という思いはありました」

-CDになったときはいかがでした?-

「『えーっ?!』という感じがずっと続いていたような気がします。やりたかったことではないのに、流れに任せていたらこんなことになっちゃうんだって、おもしろがっていた気がします」

※板谷由夏プロフィル
1975年6月22日生まれ。福岡県出身。映画『avec mon mari』で女優デビュー以降、『パーフェクトラブ!』(フジテレビ系)、『同窓生~人は、三度、恋をする~』(TBS系)、『やすらぎの刻~道』(テレビ朝日系)、映画『運命じゃない人』、『アウトレイジ』(北野武監督)、『SUNNY 強い気持ち・強い愛』(大根仁監督)などドラマ、映画に多数出演。11年間『NEWS ZERO』のキャスターをつとめ、自身のブランド「SINME(シンメ)」でデザイナーとしても活躍。2022年10月8日(土)に『欲望』以来17年ぶりとなる主演映画『夜明けまでバス停で』が公開される。

 

◆モデルからテレビ番組、そして映画へ

短大卒業後、上京して本格的に芸能活動をはじめた板谷さんは、『イタリア語会話』(NHK)に出演することに。

「番組のディレクターの方が雑誌を見て『やりませんか?』と声をかけてくださって『イタリア語会話』に出演することになったんです。

それで、『イタリア語会話』を見ていた大谷(健太郎)監督が、『自分が当て書きしている女性はNHKのアナウンサーなんだろうか?』って最初思ったらしいんですけど、問い合わせをしてくれて、その話が私のところに来たんです」

-映画『avec mon mari』ですね。そのことを聞いたときはいかがでした?-

「びっくりしました。芝居のオーディションも受けに行ったことがないのに『私が映画に出る?』って。でも、基本的にやったことがないことはやってみようという性格なので、ひとまずやってみようと思って飛び込んでみたんですけど、すごく楽しくて。

お芝居がというのではなく、映画作りをすることにハッとしちゃって。みんなで一つの映画を1カ月くらいかけて作るということに。私はファッションの仕事をやりたいと思っていたけど、俳優部として映画作りに関わりたいと思うようになりました」

-すごいですよね。雑誌を見た方がテレビ番組に、そしてその番組を見た大谷監督が映画に…ものすごく良い形に展開して-

「そうですよね。みんなたまたま見てくれていて本当に良かったなあって思います」

-大谷監督にとっては初めての長編映画でしたが、自分のカンでキャスティングというのもすごいですね。作品もおもしろかったです-

「はい。おもしろかったと思います。私も先日久しぶりに観たんですけどおもしろかった。良くできているなあって思いました」

※映画『avec mon mari』は、二組の夫婦の複雑にこんがらがった人間関係を描いたもの。板谷さんは、気が強く家事はまったくダメだが、出版社で雑誌編集の仕事をバリバリこなしているキャリアウーマン・美都子役。結婚3年目、優しくて家事は何でもこなせるが、仕事がないフリーカメラマンの夫が浮気をしていると思い込み、家から追い出してしまう…。板谷さんは、この作品で第21回ヨコハマ映画祭最優秀新人賞を受賞した。

 

◆20代は「できない自分」に苦しんで…

『avec mon mari』に出演したことがきっかけで女優として活動することを決意した板谷さんだったが、20代は苦しみの日々だったという。

「『avec mon mari』の後、すぐにドラマのオーディションに受かっちゃって、結構苦しみました。何もわからないのに大きな役をいただいちゃったので、映画の現場とはまったく違って戸惑いました。

リハーサルを重ねた『avec mon mari』の芝居しかやったことがなかったので、テレビのように、お芝居の現場にポンと行って、いきなりお芝居をするということの経験がなかったわけじゃないですか。

みんなは若い頃からそういう経験を重ねて、ドラマや映画に出演しているのに、私は24歳のときにいきなりドラマに出演することになったので、勝手が何もわからなかったんですよ。

『バミリ』(俳優の立ち位置やカメラなどの位置が確認できるようにテープなどで印をつけること)しかわからないし、いきなり現場に入ってお芝居をするということができなくて、ものすごく苦しみました」

-くじけそうになりませんでした?-

「くじけそうになりました、すごく。ギャーギャー言ってもしょうがないから、場数を踏むしかないと思って、来た仕事は全部、やろうと思いました。自分ができないことに対して挫折しまくりだったので」

-傍からはコンスタントにドラマや映画に出演されていて、順調にお仕事をされているように見えていました-

「そうですね。でも、20代は苦しくて体調も崩して入院もしましたし、楽しいと思えるようになったのは30代になってからだと思います。20代は、とにかく現場、現場でいろんなことを叩き込むという感じでした」

-その後、『tokyo.sora』(石川寛監督)という映画に出演されて-

「はい。やっぱり自分は映画が好きだなあと思いました。でも、そんなことを言っている場合じゃないと思ったんですよ、芝居ができないから。

『映画がいい』なんて言っている場合じゃなくて、芝居ができるところまで自分を持っていかないと、『映画がやりたいんです』とか、そんなこと言えないなあと思って、もうがむしゃらでしたね、20代は」

※映画『tokyo.sora』は、数々のCMで知られるCFディレクター石川寛監督の初監督作品で、東京でひとり暮らしをする女の子たちの日常を描いたもの。板谷さんは小説家を目指しながら、ランジェリーパブで働くヨーコ役。自分が書いた小説が編集者の目に留まり、出版されることになるが、編集者が大幅に加筆したもので、それはもう彼女のものではなくなっていた…。

-体調を崩されたのはいつ頃ですか?-

「26、7歳の頃、からだを壊して入院しました。悲劇のヒロインぶっていろんなことを考えたりして落ち込んでいたんですけど、結局自分の考え方次第で人生どうにでもなるなあと思って(笑)。私の考え方次第だと思って割り切った感じがありました。

健康だったら何でもできるし、芝居ができなかったりして落ち込むのはもちろんだけど、もう少し俯瞰(ふかん)して広い目で見ようと思って、そこからはもうちょっとポジティブになりました」

 

◆30代になって出会ったユニークなキャラ

板谷さんは、2005年に公開された映画『運命じゃない人』で第60回毎日映画コンクール女優助演賞を受賞。この映画は、5人の男女の一夜をパズル感覚の構成で軽やかに描いたもの。

板谷さんは、人の良さそうなサラリーマンと結婚を約束してマンションまで購入させたのに、婚約破棄して逃げたしたたかな女・あゆみ役。あゆみに婚約破棄された男と婚約破棄されて希望を失った女との出会い、その背後で進行していた大金絡みの犯罪の一部始終を映し出す。

-伏線が見事に回収されて、めちゃめちゃおもしろい作品でした-

「本当におもしろかったです。あの映画も内田(けんじ)さんという、当時若手の監督さんでしたけど、若手ならではのおもしろさみたいなのってありますよね」

-お話が来たときはどうでした?-

「あれは脚本を読んでいてもさっぱりわからなくて(笑)。でも、基本的にやったことがないことはやりたいという感じでしたね(笑)」

-撮影現場ではいかがでした?-

「撮影していてもまったくわからなかったです(笑)。何がどうやってつながっていくのかが、監督の頭の中にしかなかったと思います。みんな『???』みたいな感じでした。

脚本はあるんですけど、時間軸が紙の上じゃわからなくて、出来上がった作品を観て『あー、そういうこと?』みたいなことがたくさんありました。すごくおもしろいと思いました。作品を観たら、わからなかったことも全部つながってわかったので」

-撮影はスムーズに進んだのですか-

「めっちゃスムーズでした。内田監督も撮りたいものがハッキリされていたので。ああいう低予算映画って、迷っている場合じゃないんですよ。チャッチャチャッチャ撮っていった記憶があります」

-板谷さんが演じたあゆみはユニークなキャラでしたね。純朴なサラリーマンを捨てただけではなく、いろいろな犯罪に関わっていてヤクザも手玉に…というしたたかな女性で-

「そうなんですよ。演じていて本当におもしろかったです」

-話題にもなりましたし、賞も受賞されました-

「賞もいただきましたね。賞がすべてではないですけれども、当時はすごく励みになりました。20代でからだを壊すほど苦しんだので、本当にうれしかったです。一つひとついただく仕事を大事にやっていこうとあらためて思いました」

2005年は、主演映画『欲望』も公開されて話題に。そして2007年、念願だった青山真治監督の『サッド ヴァケイション』に出演。私生活では結婚、数年後には出産も経験する。そして『NEWS ZERO』でキャスターをつとめることになり、公私ともに大きな変化が。次回はその舞台裏&エピソードも紹介。(津島令子)

ヘアメイク:結城春香
スタイリスト:古田ひろひこ
衣装:SINME

©2022「夜明けまでバス停で」製作委員会

※映画『夜明けまでバス停で』
2022年10月8日(土)より新宿K’s Cinema、池袋シネマ・ロサ他全国順次公開
配給:渋谷プロダクション
監督:高橋伴明
出演:板谷由夏 大西礼芳 三浦貴大 松浦祐也 ルビーモレノ 片岡礼子 土居志央梨 柄本佑 下元史朗 筒井真理子 根岸季衣 柄本明

2020年11月に渋谷区のバス停で寝泊まりしていたホームレスの女性が突然襲われ死亡した事件をモチーフに、コロナ貧困・社会的孤立を描く社会派作品。昼間は自作のアクセサリーを売り、夜は焼き鳥店で住み込みのパートをしていた三知子(板谷由夏)は、コロナ禍の影響で仕事も住むところを失ってしまう。新しい仕事も見つからず、誰にも弱みを見せられない三知子はホームレスに…。

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