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加藤ローサ「よく生きていたな」 出産、号泣、海外を転々…ギリギリだった生活のなか訪れた「神さまからの贈り物」

高校3年生のときに出演した『ゼクシィ』のCMで一躍注目を集め、多くの映画、ドラマ、バラエティ番組、CM、雑誌などに引っ張りだこになった加藤ローサさん。

映画『シムソンズ』(佐藤祐市監督)、映画『いちばんきれいな水』(ウスイヒロシ監督)、『女帝』(テレビ朝日系)、『パーフェクト・ブルー』(WOWOW)など主演作も多く超多忙な日々が続いていたが、24歳になった頃から限界を感じはじめていたという。

2011年、加藤さんは元サッカー日本代表の松井大輔選手と結婚。当時松井選手はフランスリーグに在籍だったため、加藤さんは芸能活動を休業して渡仏することに。

 

◆交際6カ月…そのうち4カ月はPCデートで結婚に

加藤さんは、次々と舞い込む仕事をこなしながらも、あまりの忙しさに一つひとつの仕事に時間をかけて丁寧に向き合えないことに自己嫌悪を感じ、苦しかったという。

「結婚する2年くらい前から限界でしたね。その状況から抜け出したいというのもあって、留学とかも考えたんですけど、結婚が一番誰のことも傷つけないかなって思うようになりました」

-松井さんにお会いしたときには何か運命的なものを感じたのですか?-

「いいえ全然(笑)。夫に関しては、最初は『こういう人と結婚したらやばそうだな、ダメだな』って思っていました。やんちゃで、本当に少年みたいな人なので、平気で失礼なことも言うし、しちゃうしみたいな感じで。

そこに計算とかはないんですけど、『こういう人とだけは絶対に結婚しちゃいけないよね』って思っていたせいか、その好きじゃないという立ち位置が逆に良くて、何でも素直に言えたんですよ。

すでに彼はフランスにいたので、最初は電話でしたけど、その後Skypeで話すようになりました。それで、とくに私だけという感じではなかったと思うんですけど、日本に帰ってきたときに『ご飯に行こうよ』とか、そういう感じでした。

出会ったとき、ちょうど私は事務所と相談してちょっと仕事をセーブしているときで、週に1回のバラエティ番組の収録しかしていなかったので、その収録以外は時間があったんです。

彼も彼で、1日数時間の練習をしてしまえばフランスですごく暇だったので、ずっとパソコンでつながって言いたいことをただ話す、ペンフレンドのパソコン版みたいな感じで、24時間四六時中話すようになって。

だからと言って好きかと言われたらあまりそれはなかったと思うんですけど(笑)。特別好きという思いが強かったわけじゃないから、言いたいことも包み隠さず言える中で、結婚するならこういう人かなみたいになっていった気がします」

-交際期間6カ月間で、そのうち4カ月間がパソコンを通しての交際だったとか-

「はい。結局最後までずっと遠距離恋愛だったので、直接会えたのは本当に数えるほどしかなかったと思います。パソコンの中の恋人という感じでした(笑)」

-プロポーズはどのように?-

「最初の2回はSkypeで(笑)。それで、3回目は試合で日本に来ているときに正装で、そのときの日本代表のスーツを着てバラの花束を持って私の家に来たんです。入籍する前の日に3回目のプロポーズでした(笑)」

-お母さまにはどのように?-

「『娘さんをください』ってあいさつに来てくれたとき、うちの母は『どうぞ、どうぞ。じゃじゃ馬娘で手に負えませんのでよろしくお願いします』って言っていました(笑)。

ずっとSkypeだったので、母と3人でご飯を食べたのが、初めてのリアルデートでした。それから3カ月後くらいには結婚していたので、自分でもビックリという感じでした(笑)」

-マスコミに「〇〇婚とたとえたら?」と聞かれたときの答えも準備されていたそうですね-

「はい。そういう質問が流行(はや)っていたので、聞かれたら『Skype婚です』って答えようと思っていたのに、誰も聞いてくれませんでした(笑)」

2011年、加藤さんのお誕生日である6月22日に結婚。それから2カ月後にバラエティ番組を終えた加藤さんは渡仏することに。

「それまで料理をしたことがなかったのに、いきなりアスリートの妻になって、朝・昼・晩と3食作らなくちゃいけなくなったので大変でした。日本から持っていった料理の本を手に、泣きながらやっていましたね。

フランスの田舎町だったので日本食なんてないし、便利なお店もほとんどないんですよ。彼はアスリートだし、私も妊娠中だったので食欲がすごくて本当に大変でした。暗黒時代の始まりですね(笑)」

 

◆病院で大泣きしたら鬼の形相の看護師に変化が…

2011年12月、フランスで第1子となる長男を出産。フランス語がまだ話せなかった加藤さんは苦労したという。

「フランスの田舎町にある唯一の総合病院で出産したんですけど、フランス語もわからないし、本当に大変でした。

出産したはいいけど母乳が一滴も出なかったんです。子どもがずっと泣いていて唇がもうカサカサになって血が出だしちゃったので、水道水を指につけて口に入れてあげたりしていたんだけど、フランスでは赤ちゃんに最初に与えるのは初乳(母乳)という考えだからミルクを提供してくれないんです。

子どもがずっと泣いているからナースコールを押していたら、看護師さんが消毒もしていない自分の小指をいきなり子どもの口にブスッて入れたんですよ。『指を入れておけば泣かないから』って。『えっ?!指入れた?』って感じで怖かったです。日本では考えられないですよね。

子どもの口はカラカラだし、体重も減ってしまったのに、『母乳をあげろ』と言ってミルクを出してくれない。もうダメだと思って、泣いて日本語でワーッと言ったら、いきなり看護師さんが抱きしめてくれて、すぐにミルクもくれたんです。それまで鬼の形相だった看護師さんがですよ(笑)。

外国の方は涙には弱いんですって。外国ではちゃんとアピールしなければいけない、そして涙には弱いということがわかりました。その話を海外にいる日本人の方にしたら『そうそう涙には弱い。みんな優しくしてくれるよね』って言っていました(笑)。

日本の方は泣き出したからと言って、そんないきなり抱きしめるなんてないじゃないですか。突然大声を出して泣き出したりしたらやばい奴だと思われちゃうけど、海外の人はすごい受け止めてくれるんですよ、涙は」

フランスの次はブルガリア、その次はポーランドと、3カ国で海外生活を経験することに。

「ブルガリアは10カ月間だったんですけど、滞在していたのが首都だったので、和食屋さんもたくさんあって良かったです。カフェにも行けたし、ヨガ教室、英語の学校にも通って友だちもできたので楽しいことがいっぱいありました。

でも、ブルガリアでは夫のケガが続いたので、毎日私がマッサージもしていました。我ながらよく頑張ったなって思います(笑)」

-ブルガリアの次にポーランドへ-

「はい。子どもが小さくて手がかかる上にまた新しい国ですから、スーパーや病院もどこにあるかわからないし。下の子を妊娠中だったので気持ちも不安定な状態でしたね。とにかく目の前のことでいっぱいいっぱいという感じでした。ギリギリでよく生きていたなって思います」

-前の事務所を辞めたのはその頃ですか-

「はい。休業状態でしたけど、二人目の子どもも生まれるし、芸能活動に復帰するのは難しいだろうなと思ったので辞めることにしました。

ただ、それはもう二度と芸能界の仕事をしないということではなくて、いつか夫が現役を引退して余裕ができたときに戻れたらいいなあと思っていました。スポーツ選手と違って女優という仕事はおばあちゃんになっても挑戦できると思ったので」

 

◆海外生活3年を経て帰国「神さまからの贈り物だ」と

第2子を妊娠中にポーランドで暮らすことになり、不安な気持ちでいっぱいだったとき、松井選手に静岡県のジュビロ磐田からオファーが。

「ホッとしました。『神さまはいるんだ。神さまからの贈り物だ』って思いました。次男がお腹(なか)にいて、ポーランドで産む予定だったんですけど、その間、上の子はどうするんだろうって。

夫はああいう感じで自分が第一主義の人だから、『俺はこの日とこの日は試合でいないからね』って。

それで予定日もキャンプとかでいないので、『どうする?この日に生まれたら長男と2人で病院に泊まるの?それはOKなの?』ってめちゃめちゃ不安だったんですよ。『無理じゃない?無理じゃない?』ってずっと思っていて。

だから静岡に呼ばれたときは本当にうれしかったです(笑)。それで、母がいる鹿児島で里帰り出産をして、生後1カ月検診をしてから静岡に行きました」

-静岡では結構生活も楽しめるようになったとか-

「そうですね。でも、最初は2人育児が結構大変でした。2歳差なので、ダブルおむつの時期もありましたし、2人同時にギャーギャーと泣きはじめたりしてパニックになったりもしました。何でこんなに過酷なんだろうって。

『これが海外だったらやばかったな、生きてないかもしれないな』って思うほど大変でした。最初は友だちもいなかったんですけど、4年間で交友関係も豊かになったので、その落差が大きすぎてめちゃくちゃ印象深いところになっています。

静岡時代は、韓国語や英語、お料理、ピラティスを習いに行ったりもしていましたし、子どもの幼稚園の用事も色々あったので女優の仕事をしていたときよりも忙しかったかもしれないです」

-2014年に下のお子さんを出産した後、母子で雑誌の表紙に登場されましたね-

「はい。あれはインスタのDMで依頼が来て、子どもを連れていけるのであればできるかという感じでやらせていただきました」

静岡で4年間暮らした後、松井選手が横浜FCに移籍することに。加藤さんは松井選手のマネジメント会社に所属し、女優業に復帰。2019年に8年ぶりのドラマ出演となった『地獄のガールフレンド』(FODオリジナルドラマ)に主演。2021年には約10年ぶりとなる地上波ドラマ『きれいのくに』(NHK)に出演して話題に。現在、映画『凪の島』(長澤雅彦監督)が公開中。

次回は、家族と離れて単身参加した3週間のロケ&撮影エピソードなども紹介。(津島令子)

ヘアメイク:三宅茜
スタイリスト:浜木沙友里

©2022『凪の島』製作委員会

※映画『凪の島』
公開中
配給:スールキートス
監督:長澤雅彦
出演:新津ちせ 島崎遥香 結木滉星 加藤ローサ 徳井義実(チュートリアル) 嶋田久作 木野花
小学4年生の凪(新津ちせ)は、両親が離婚して、母(加藤ローサ)の故郷である山口県の瀬戸内にある小さな島で母と祖母(木野花)と暮らすことに。凪は明るく元気な少女だが、アルコール依存症の父(徳井義実)が母に暴力を振るう姿がトラウマになり、ときどき過呼吸を起こして倒れてしまう…。

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