加藤ローサ、高校3年生のときにCMで大ブレーク!何もわからないまま出演した初映画は「本当に恥ずかしい。やり直したい」
2001年、高校1年生のときにファッションモデルとしてデビューし、3年生のときに出演した結婚情報誌『ゼクシィ』のCMで美少女ぶりが話題を集めた加藤ローサさん。
2005年に『東京タワー』(源孝志監督)で映画デビューし、2006年には主演映画2本を含む計6本の映画に出演。さらに『めざましテレビ』(フジテレビ系)、『女帝』(テレビ朝日系)、『CHANGE』(フジテレビ系)、『パーフェクト・ブルー』(WOWOW)、映画『天国はまだ遠く』(長澤雅彦監督)などテレビ、映画、CMに多数出演。
2011年に元サッカー日本代表・松井大輔選手(現在Y.S.C.C.横浜)と結婚して2児の母となり、芸能活動を休止していたが、2014年から再開。現在公開中の映画『凪の島』(長澤雅彦監督)に出演している加藤ローサさんにインタビュー。
◆一言も日本語が話せない状態で母親と日本で暮らすことに
日本人の母親とイタリア人の父親をもつ加藤さんは、6歳までイタリア(ナポリ)で暮らし、小学校に入学する前に母親と帰国。鹿児島で母子2人暮らしが始まったという。
「鹿児島のすごい田舎で、近くに同じ年頃の子がまったくいなかったので、想像の中で楽しんでいるような一人遊びが得意な子どもでした。屋根に上がったり、水着を着て水たまりで遊んだり、私が親分になったつもりで野良猫を子分にしたりして遊んでいました。
ただ、対人となると不得意で、学校で友だちと遊んだりするのはあまり得意ではなかったです。どうやって関わればいいのかわからなくて」
-6歳で日本に来たとき、日本語は?-
「一言も日本語がしゃべれない状態でした。小学校に上がるまでの数カ月で保育園に初めて行って、イタリア語をバーッと忘れる代わりに日本語を覚えて…という感じで小学校に上がったんです。
今思うと、なかなか学校で人と関われなかったのは、そのせいもあると思います。日本語がまだあまりよくわからなかったので、人との関わり方とか、コミュニケーションが取れなかったんだろうなって。
小学校4年生のときにマンモス校に転校して、それでちょっと変わったんですよ。自分の中でキャラとかすべてが変わって、そこから結構積極的になってクラスの中心にいるようなグループの女の子になったので、楽しく小学校、中学校、高校に行っていました」
2001年、高校1年生のときに、横浜に住む従姉妹に誘われて受けたオーディションがきっかけで、加藤さんはファッションモデルとしてデビューすることに。
「モデルの仕事をはじめてからは、木金土日は東京で生活するようになりました。学校にもスーツケースをガラガラ引いて持っていって、学校からそのまま空港に行ったりしていました。大半はオーディションで、雑誌の撮影のついでにオーディションを受けてという感じ。そういう生活を2年ぐらいしていました」
-高校を卒業したら上京して本格的に芸能活動をすると決めていたのですか-
「そうです。でも、仕事も毎日あるわけではなかったので、一応専門学校に通う予定でした。専門学校に通う合間に仕事ができたらいいなと思っていたんですけど、ちょうど高校3年生のときに『ゼクシィ』のコマーシャルのオーディションに受かって、CMが3学期くらいから流れ出したので、あれよあれよという間に忙しくなってしまって、結局専門学校に行くのはやめました」
※加藤ローサプロフィル
1985年6月22日生まれ。神奈川県出身。2004年、『ゼクシィ』のCMで注目を集め、ドラマ、バラエティ番組、映画、CM、雑誌に引っ張りだこの売れっ子に。映画『シムソンズ』(佐藤祐市監督)、映画『夜のピクニック』(長澤雅彦監督)、映画『いちばんきれいな水』(ウスイヒロシ監督)、『シスター』(NHK)など出演作多数。結婚を機に芸能活動を休業。アスリートの妻として海外生活を送ることに。2014年に帰国。2019年、8年ぶりのドラマ出演となった『地獄のガールフレンド』(FODオリジナルドラマ)に主演。2021年、『きれいのくに』(NHK)に出演。映画『凪の島』が公開中。
◆何もわからないまま女優生活がスタート
高校卒業後、上京した加藤さんは、横浜の従姉妹と一緒に暮らすことに。今や『ゼクシィ』のCMは若手女優の登竜門として知られているが、その先駆けが加藤さんだった。
-CMがものすごく話題になりましたね-
「自分のことだという感じがしなくて、当時の事務所の皆さんが、『宣材写真を撮り直そう』とか言っていましたけど、ピンと来てなかったです。
そもそも自分が芸能界でやっていけると思っていなかったので、ビジョンもなかったし、こういうのに出たいとか、こういうことがやりたいというのもまったくなかったんですよね。ただオーディションがあったら受けるという感じで、そんな先々のことまで考えていませんでした」
-CMに出た翌年には、『東京タワー』で映画デビューもされて-
「そうなんですよ。こんなことってあります? こんな贅沢(ぜいたく)な話なのに、そのときは事の重大さがまだわかってなくて。演技レッスンもしたことがなかったんですよ。本当に何もわからないままだったので、もし今タイムスリップができるんだったら、自分にビンタでもして、『心を入れ替えてちゃんとしろ!』って言いたいです(笑)」
-あの作品では松本潤さん演じる恋人に裏切られる役でしたね-
「そうです。現場に行ったこともないので初めてだったんですよね。私を撮るときに松本さんだという目線を作るじゃないですか。スタッフの方が拳を握ってグーにして、『このグーに向かってセリフを言ってください』って言っても、そのグーが松本さんの代わりだということも知らなかったんです。『何でグーを見て言わなきゃいけないんだろう?』って(笑)。そのレベルでやっていたので、本当に恥ずかしい。やり直したいです」
加藤さんは『東京タワー』の後、『mahora☆ -まほらのほし-』(真田飛鳥監督)に主演。さらに『シムソンズ』、『いちばんきれいな水』、『女帝』と主演作も続いていく。
◆二十歳のお祝いに母親から「人生失敗の三大要素」というメールが…
ドラマ、映画の出演作が続き、超多忙な日々を送る中、二十歳の誕生日を迎えた加藤さんに鹿児島のお母さまからユニークなメールが来たという。
「二十歳のお祝いに電話じゃなくてメールが来たんですけど、その当時はEメールだったので、件名が『人生三大失敗要素』で、1:ギャンブル、酒 2:異性 3:借金の連帯保証人って書いてあったんですよ(笑)。
『二十歳になりたての私に何を言っているの?』って笑っていたんですけど、ニュースとかを見ていると、『そうか、これは酒で失敗したのか』とか『これは異性か』って当てはめるようになりました。たしかに当てはまるなって(笑)」
-お母さますごいですね。そのおかげで道を踏み外すこともなく-
「はい。二十歳になるということはいろいろな責任も伴うということを伝えたかったんだろうなと今はわかりますけど、二十歳のときは『???』でしたよね(笑)」
-映画やドラマの主演作も続きましたが、女優さんとしてやっていくという意識は?-
「あまり先々のことを考える余裕がなかったです。今だったら、いろいろ落ち着いて考えられると思うんですけど、あの当時は自分がどうなるかとか、どうなりたいとかいうのがないまま次から次へと追われている感じでやっていました」
2006年、加藤さんは、映画『シムソンズ』に主演。この映画は、ソルトレイクシティ五輪(2002年)に出場して話題を集めた北海道常呂町(現・北見市)のカーリング女子日本代表チーム「シムソンズ」をモデルに、4人の少女たちが奮闘する姿を描いたもの。
加藤さんは、同級生3人を誘って「シムソンズ」を結成する主人公を演じた。
-カーリングの練習も大変だったのでは?-
「そうですね。あれは本当に監督に感謝ですね。細かく演技をつけてくださる監督だったので。私に知識があまりなくて演技プランをしっかり組み立てる女優というわけじゃないから、どういうふうにやるのか監督も結構ドキドキだったと思うんですよね。だから結構スパルタでやっていただいて、何とかという感じでした」
-明るくて元気いっぱいで、チームのリーダーでありムードメーカーというキャラが合っていましたね-
「ありがとうございます。監督さまさまですね」
-映画の主演というプレッシャーはありました?-
「若かったからか、勢いに流されて地に足もつかない状態だったからなのか…その重大さも感じていなかったです。
今だったら怖くてブルブルガタガタという感じだと思うんですけど、ありがたいことに、若さゆえ、自分のやることしか見えてないという状態だったので怖さを感じなくて済んだんだと思います。
だから現場でも伸び伸びしていたと思います。『監督、これどうするんですか?』みたいな感じでした(笑)。『やばい、私がちゃんとやらなきゃ』みたいなのはあまり感じてなかったですね」
同年、加藤さんは、映画『いちばんきれいな水』にも主演。この映画は、8歳の頃から11年間眠り続けていて突然目を覚ました姉と、12歳の妹が過ごした奇跡の3日間を描いたもの。加藤さんは、からだは19歳だが、中身は8歳という難しい役を演じた。
「難しかったです。中身は8歳のままですからね。今だったらいろいろ考えすぎていろんなことをやっちゃいそうなんですけど、あの当時は感じたままにやってみて、何か言われたら直すという感じでした」
-遊びのシーンもたくさんあって楽しそうでしたね-
「本当に楽しかったです。私も子どものときにお母さんの口紅を使ってみたりしたことがあったので、こういうことがあったなあって(笑)。
妹と2人で遊んでいるシーンは、演技をしているという感覚があまりなかったです。ひとりっ子なので、妹がいるという感覚も初めてで本当に楽しかったです。寝ているシーンでは本当に寝ちゃったこともありました(笑)」
◆連続ドラマ初主演。初日に辞めたいと…
2007年、加藤さんは、女を武器に夜の世界でのし上がろうとするホステスの生き方を描く『女帝』で連続ドラマに初主演。それまでの元気で明るいイメージを覆す“野望に燃える夜の女”を体当たりで演じた。
-女同士のドロドロの戦いが話題になりました-
「本当にドロドロでしたよね(笑)。怖かったです。殴ったり殴られたり、銃で撃たれて…。ドラマは初主演だったんですけど、皆さん私よりベテランじゃないですか。あれはあれで痺(しび)れましたね。本当に大きな壁にぶち当たったなと思いました」
-かなり苦労されました?-
「苦労しました。撮影初日に『もう辞めていいですか?』みたいな感じで(笑)。『ちょっとできないかもしれない』って初めて思った気がします。
大ベテランの方もいましたしね。“大阪ミナミのドン”、“東京のドン”という感じで次から次に出てくるので、その方々を相手にやらなきゃいけないというのもあって、あのときは22歳くらいだったかな? いい大人でしたけど、めっちゃ怒られました(笑)」
-普通の女子高校生がいろいろなことがあって、夜の世界でのし上がっていく様がおもしろかったです-
「あれはスケジュールが本当にタイトだったので、その差をつけるのが大変でした。メイクさんに本当に助けてもらいました」
-セリフも多かったので覚えるのが大変だったのでは?-
「大変でした。セリフがアホみたいに多かったので(笑)。それで今度は覚えたら覚えたで、無意識で早く言い過ぎて怒られたりとか。とにかくすごい注意されながらやっていましたね」
-すごい勢いでお仕事をされていましたが、お休みはありました?-
「なかったです。ドラマや映画だけじゃなくてバラエティなどもやっていたし、雑誌やCMもあったので、1カ月に1回くらいは半日お休みがあったと思うんですけど、完全に出不精(でぶしょう)になっちゃいました。
仕事以外はずっとお部屋から出ないで食事も出前。今みたいに『ウーバーイーツ』とか『出前館』がないから、お店に出前ばかり頼んで家から出なかったです。ほとんど人とも関わらなかったし、友だちも決まった数人だけという感じでした」
-お仕事は順調でしたが、ご本人としてはいかがでした?-
「何をやっても同じようにしか演じられていないという苦しさがありました。衣装とかセリフが違うから客観的に見たら違うかもしれないけど、一つひとつの役柄に全然向き合えていないなあというモヤモヤ感があったんですよ。後半はとくに。
自分ができることとできないことはわかっているんですけど、『それはちょっとできない』とは事務所にも言えないタイプだったから、何でも言われるままやっていたんです。今思うと、みんなのためにも自分のためにも言わなきゃいけないことだったんですけど、言えませんでした」
24歳頃から限界だと思っていたという加藤さん。26歳で元サッカー日本代表の松井大輔選手と出会って結婚。松井選手は当時フランスリーグに在籍だったため、加藤さんも渡仏することに。次回は、松井選手との出会いと結婚、出産、海外生活なども紹介。(津島令子)
ヘアメイク:三宅茜
スタイリスト:浜木沙友里
※映画『凪の島』
公開中
配給:スールキートス
監督:長澤雅彦
出演:新津ちせ 島崎遥香 結木滉星 加藤ローサ 徳井義実(チュートリアル) 嶋田久作 木野花
小学4年生の凪(新津ちせ)は、両親が離婚して、母(加藤ローサ)の故郷である山口県の瀬戸内にある小さな島で母と祖母(木野花)と暮らすことに。凪は明るく元気な少女だが、アルコール依存症の父(徳井義実)が母に暴力を振るう姿がトラウマになり、ときどき過呼吸を起こして倒れてしまう…。