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布施博、“人生が変わったドラマ”のオーディション秘話。合格の理由は「ケンカしたのが倉本聰さんの耳に入って」

1979年、劇団「ミスタースリムカンパニー」に入団し、1984年、オーディションで倉本聰さんのドラマ『昨日、悲別で』(日本テレビ系)に出演して注目を集めた布施博さん。

映画『私をスキーに連れてって』(馬場康夫監督)、『北の国から』シリーズ(フジテレビ系)、『君が嘘をついた』(フジテレビ系)、『ずっとあなたが好きだった』(TBS系)、『伊東家の食卓』(日本テレビ系)など多くの映画、テレビ、舞台、CMに出演。劇団「東京ロックンパラダイス」を主宰し、後進の育成にも尽力。

ドキュメンタリーパートと再現ドラマパートで描く沖縄復帰50年記念作品『乙女たちの沖縄戦~白梅学徒の記録~』(太田隆文監督・松村克弥監督)の公開が2022年8月2日(火)に控えている布施博さんにインタビュー。

 

◆プロ野球選手になる夢を断念して高校中退

東京・足立区で生まれ育った布施さんは、小学校3年生から野球一筋で、将来の夢は野球選手だったという。

「家がものすごく貧乏だったんですよ。今は全然違うでしょうけど、僕らの時代の足立区はいろいろな意味で結構ひどかったんじゃないかな。

そのなかでも僕の家があった地区が一番ひどくて、収入が少なかったり、訳アリの家庭も多かった。僕の家も貧乏で6畳一間に両親と兄の家族4人で住んでいて、そういう環境もあってか、やんちゃでしたね。

でも、そんななかでも僕は小学校3年生から野球ばかりやっていて、『野球選手になる、プロ野球に入る』って言っていたんですけど、選択肢がそれしかなかったですよね。勉強もしないで野球だけ」

-小中高全部野球部ですか-

「中学校から高校に行くときに、私立だとお金がいるし、家には金がない。どうしようかという話になって。そうしたら五つ上の兄貴が『俺が働くから博を野球の強い学校に入れてやってくれ』って言ってくれて。

そうしたら、たまたま四つくらいの高校からスカウトが来たんですよ。その頃から身長も180cmあってでかかったので。

それで、同じ中学の二つ上で僕の尊敬する先輩がいる高校に入ったんです。その先輩が野球部のエースで、決勝まで行ったんですけど逆転負けして甲子園に出られなかったんですよね。

夏の大会が終わると3年生が引退して、2年生が急にいばりはじめるんですよ。この2年というのがタチが悪くてね。野球は下手だし、性格も悪いわ、で僕らの代にはリトルリーグで世界大会に出たやつとか、有望な選手がいっぱい来ていたのに、2年生のせいでみんな辞めちゃって…。

今の時代だったらきっと大問題だけど、その当時は当たり前みたいなところがありましたからね。監督だって、練習試合でも1回ミスするだけですごいですよ。『来い!』って言ってパチーンってやっていましたからね。そういうことの繰り返し。

僕もやっぱりそんななかでケンカして野球部を辞めちゃって、それからはもう学校に行く意味がないから高校も中退ですよね。

結局、僕らの代が3年になったときレギュラーになったのは、補欠だったやつ。いいやつはみんな辞めちゃったから、勝てるわけがないですよね。こんなこと言ったら最後まで頑張った同級生の連中に怒られるな(笑)。

僕は高校も辞めて、家の仕事を手伝いながらフラフラフラフラして、あとはご多分に洩れず悪さをして…という感じでした」

※布施博プロフィル
1958年7月10日生まれ。東京都出身。劇団「ミスタースリムカンパニー」に入団。『昨日、悲別で』で注目を集め、『ライスカレー』(フジテレビ系)、『抱きしめたい!』(フジテレビ系)、土曜ワイド劇場『同居人カップルの殺人推理旅行』シリーズ(テレビ朝日系)、『味いちもんめ』シリーズ(テレビ朝日系)、映画『お日柄もよくご愁傷さま』(和泉聖治監督)、『伊東家の食卓』など、数多くのドラマ、映画、バラエティ番組、CM、舞台に出演。劇団「東京ロックンパラダイス」と「東京DASH!」を主宰し、後進の育成にも尽力している。

 

◆「ミスタースリムカンパニー」に入団することに

布施さんは、21歳のときに人気劇団「ミスタースリムカンパニー」に入団することに。

「地元の先輩が中野で喫茶店を開くというので友だちと一緒にバイクで行ったら、リーゼントでカッコいい感じの人がカウンターで昼間からビールを飲んでいたんですよ、ひとりで。

喫茶店を開いた先輩とそのお客さんが同い年で、同じ誕生日だったということで意気投合したみたいで。その頃リーゼントって、軟派硬派では軟派。

俺たちは硬派のパンチパーマだから、『何だ?あの野郎は』ってカウンターのところに行って絡もうとしたら、その人がものすごく魅力がある人で。

その先輩がミスタースリムに入っていて芝居をやっていたんですよ。それまでは芝居というワードすら知らなかったんで、『何だ?その芝居ってやつは』って。

それで誘われて先輩が出ているミスタースリムの芝居を観に行ったら、カッコよかったんですよ、これが。アイドルじゃないのに、出待ちはいるし…劇団の中でもすごい人気でしたからね。

やっていることがお芝居というよりも、飛んで、叫んで、走って、踊って、歌って…という感じで、みんな革ジャンにリーゼントで」

-ロックでしたよね-

「そう。『カッコいいなあ』って思って。芝居という感覚よりも、『すごいなあ、これ』って。それで芝居が終わった後に、その先輩がほかのメンバーの人たちに『僕の後輩で博というんですけど』って紹介してくれて。

そのままの流れで中華街に連れていってもらって、そこでガンガン飲みはじめて、それから『おもしろい、楽しい』ってなって。

周りの先輩たちも楽しかったですからね。普通の劇団、お芝居集団というよりも、いろんな人たちがいておもしろいなあって。それから仕事をほっぽり投げて、四ツ谷にミスタースリムがもっていた劇場に通うようになったんですよ。

そうしたら、そのうちそこの社長、今の事務所の社長で演出家なんだけど、『お前もお客さんを送るときに並べ』って言ったんですよ。だけど俺は出てもいないし、関係ないわけでしょう? パンチパーマだし(笑)。

でも、並んで『どうもありがとうございました』みたいなことを言って、それでなんだかんだってあってから、『お前も芝居やれ』って言われて。それが実質僕の師匠・深水龍作さん。ミスタースリムを作った深水三章さんの兄貴で、2020年に亡くなったんですけど。

その龍作さんに『やれ!』って言われて、2カ月公演に出ることになるんだけど、わけわかんないですよ。『マイクを持って歌え』と言われても、やったことないし、『踊れ』って言われても体重のかけ方もわからないし…。

ただ一つだけよかったのは、スポーツ感覚だったことですね。『飛べ、叫べ、走れ』で、演技論とかそんなものはクソ喰らえという人でしたから(笑)。

とにかく『飛べ、叫べ、走れ』で、ゲロ吐くまでやらされるし、本当に1ステージで何キロも痩せるんですよ、最初は。龍作さんというのは本当にすごかったんですよ。蜷川(幸雄)さんとか、つか(こうへい)さんどころじゃないですから。唐(十郎)さんとかもそうだけど、あの世代はみんなすごいんですよ。そういう時代だったしね。

それが何か妙に性(しょう)に合ってね。稽古が終わっちゃ朝まで飲んで、また次の日稽古をやって朝まで飲むという繰り返しが楽しくて楽しくて(笑)。

でも、手売りのチケットのノルマがあって、売ってお金が入ってくると、飲み代とか飯代に使っちゃうわけですよ、お金がないから。

そうすると、今度はチケット代の借金が増えるわけですよ。あの頃は今と違って消費者金融からいっぱいお金が借りられたから、21歳で入って、25、6歳で600万円くらい借金があったのかな?

もうそこまでいくとそう簡単には返せないし、逃げちゃうしかないかなあなんて考えていたら、たまたま倉本聰さんの『昨日、悲別で』のオーディションに行ってこいって言われたんです」

 

◆ベロベロの二日酔い状態でオーディションへ

布施さんは、ミスタースリムカンパニーのメンバー11人と一緒に『昨日、悲別で』のオーディションを受けに行ったという。

「その前にもいろんなオーディションに行ったんですけど、どこも受からないんですよね。バスジャックの役とか、ヤクザAとかBというようなのは、チョコチョコはやっていたんですけど。

それが『「昨日、悲別で」のオーディションに行ってこい』って言われたんだけど、朝9時からオーディションなのに、その日の朝6時まで飲んでいたんですよ(笑)。

オーディションは、『フラッシュダンス』の振り付けを考えてやる部門と、もう一つは、電話で泣くシーンと、ケンカみたいなシーンの芝居の部門があるので、セリフを覚えてこいと。

野方で飲みながら『先輩どうします?オーディション』って聞いたら『バカヤロウ、そんなの受かるわけがないんだからいいよ』って言われて『そうですよね』って朝6時まで飲んでいたんです。受かると思ってなかったですから。

それでベロベロの二日酔いでオーディションに行って、電話で泣くシーンをやらされたんだけど、泣けないですよね、そんなのやったことがないんだから。そうしたら天宮良が泣いているわけですよ。『何だ?気持ち悪いなあ、あいつ』って(笑)。

オーディション会場の日本テレビの3階には、松村雄基さんとか青春ドラマに出ていた連中がいっぱいいるわけですよ、テレビで見た連中が。『すごいねえ』って(笑)。

僕らだけちょっと異色じゃないですか。それで電話で泣くシーンとケンカというか小競り合いのシーンをやらされて、結局ダンスのシーンはやらなかったんですけど。

ケンカのシーンのときに、組まされた相手の服を掴んだときにビシッて音がしたんですよ。そうしたらそいつが『何だ、芝居もできないのかよ』って言ったから、カッチーンって頭に来て、『ちょっと来い!』ってトイレでケンカして。

それが倉本さんの耳に入っていたみたいで、『北の国から』のときに倉本さんに『「悲別」は何で俺が受かったんですか?』って聞いたら、『お前は俺のオーディションでケンカなんかしやがって。いろんな役者がいるけど、お前は俺が考えていた役者というものの規格外だったんだよ』って(笑)」

-駅長さん、おもしろい役でしたよね。仲間思いで男気もあるけど、結婚式の2日前に突然行方不明になったり-

「そうでしたね。だけど、あれがオンエアになったあとでさえ、まだ芝居で食っていこうとは思っていなかった。無茶苦茶でしたから」

-ドラマが結構話題になって注目を集めたのに?-

「そうですね。視聴率はいま一つでしたけど、倉本聰ということで鳴り物入りでしたから。

ただびっくりしたのは、オンエアされた次の日からサインを求められるようになったんですよ。サインなんて書いたことがないから、今でも思い出すんだけど、高校生の女の子が『駅長、サインください』って来たんだけど、何を書いたらいいかわからなくて、博だから丸を書いてその中にカタカナでヒって書いたの。

そうしたらその女の子が泣いちゃったんですよ。からかわれたと思ったみたいで。それでこれはまずいと思ってサインの練習をはじめたんですよ。いきなり人生が変わった瞬間でしたよね。

そのちょっと前の24、5歳のときには、その頃所属していた事務所の社長に『お前ら役者に向いてない。早く辞めろ。芝居じゃ飯が食えないんだから辞めろ。今だったらまだやり直しがきくから辞めろ』って言われていたのがひょうたんから駒でしょう(笑)。

それでなんだかんだやっていたら知らないうちに、ポコッポコッて、どんどん仕事が入ってくるようになったんですよね」

『昨日、悲別で』で注目を集めた布施さんは、『抱きしめたい!』、『君が嘘をついた』(フジテレビ系)、『北の国から』シリーズ、『伊東家の食卓』など次々と出演することに。次回は撮影裏話も紹介。(津島令子)

©Kムーブ

※映画『乙女たちの沖縄戦~白梅学徒の記録~』
2022年8月2日(火)~8月7日(日)東京都写真美術館ホール
配給:渋谷プロダクション

◆ドキュメンタリーパート
構成・監督:太田隆文
たった18日間の看護教育を受けただけで、沖縄戦の野戦病院に配属され、負傷兵の治療にあたった白梅学徒の10代の少女たち。現在90代の中山きくさんと武村豊さん、そして関係者たちが当時の状況を語る。

◆再現ドラマパート
監督:松村克弥
脚本:太田隆文
出演:實川結 森田朋依 實川加賀美 永井ゆみ 城之内正明 布施博ほか
ドキュメンタリーパートの証言を基にドラマ部分を制作。

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