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萩野公介&斎藤佑樹、今だから明かす“栄光と挫折”…「涙が止まらなかった」引退を決意した出来事

2021年に現役を引退し、マウンドに別れを告げた斎藤佑樹。

伝えられる側から伝える側へ。自前のカメラを手にさまざまな現場を訪れ、精力的な取材を続けている。

テレビ朝日のスポーツ番組『GET SPORTS』では、そんな斎藤と競泳のオリンピック金メダリスト・萩野公介の対談をセッティング。

初対面となる2人だが、実は多くの共通点がある。

高校3年で全国制覇、甲子園の主役となった斎藤に対し、同じく高校3年の時に出場したロンドンオリンピックで銅メダルを獲得し、一躍ヒーローとなった萩野。

プロ入り後に怪我で苦しんだ斎藤と同じように、プロスイマーとなった萩野も長期間のスランプなど挫折を経験した。

そして2021年、奇しくも同じタイミングで引退。萩野は現在、大学院で学びながら、競技を伝える側に回った。

この2人だからこそ、語り合えたこと。それぞれの生き様が、言葉を通じて共鳴した。

テレ朝POSTでは、放送内容を一部編集し、2人の対談の模様を前後編に分けてお届けする。

◆「後悔があるとすれば…」

萩野と斎藤のスペシャル対談。ひとつめのテーマは、「栄光と挫折」だ。

萩野の栄光といえば、2012年のロンドンオリンピック。個人メドレーで日本男子初のメダルを獲得し、さらに4年後のリオオリンピックでは金メダルを獲得。日本競泳界のエースと呼ばれる存在になった。

しかし、その後は怪我をきっかけにスランプに陥り、カメラの前で泣き崩れる姿も。長期間の休養など、現役生活の終盤は苦しみ抜いた。

そんな萩野が今だからこそ語れる「栄光と挫折」とは――。

斎藤:「小さい頃オリンピックに出ることが目標だったと思うんですけど、そこに向けて自分で納得いかないと思ったことは多々ありましたか?」

萩野:「僕自身オリンピックに出たいという気持ちは正直全然なくて、どちらかというと目先の試合を一つずつ自分の糧にすることによって、(オリンピック出場の瞬間が)自然と来たという感覚のほうが強いです。

なぜかというと、(ロンドンオリンピックの1年前に開催された)2011年の世界水泳代表選考会に、僕は出場していないんです。前日の夜に急に体調が悪くなって、救急車で運ばれて結局試合に出られませんでした。

だから翌年のロンドンオリンピック代表選考会では、まずスタート台の前に立って1本全力で泳ぐという思いがすごく強かったです。それだけに、その大会でスタート台の前に立って、なおかつ代表権を獲得できたのはすごくうれしかったですね」

斎藤:「なかなかそのマインドを得るのは難しいと思うんですけど、どういう影響でそういうマインドになったんですか?」

萩野:「すごくよく言えば、ひとつのことに集中できる。悪くいえばひとつのことにしか集中できない。僕自身、ストレスを溜めた時にベクトルが外に向くことはほとんどないんです。

『何でそうなったんだろう』と自分に対してベクトルが向く人だったので、世間から求められているものと今の自分とのギャップみたいなものを、自分自身に対して常に矢印を向け続けていたところはありますね」

斎藤:「『自分自身に矢印を向ける』って、もう少し具体的に教えてもらえますか?」

萩野:「『なんでそうなったんだろう』とすごく考えてしまうんですよね。いい言葉で言うと自己内省ですが、悪く言うと常に自分に十字架を負わせてるような感覚がありました。この世にいる誰よりも、たぶん僕が僕に一番厳しかったと思うんですよ。満足することがないんです。

高校生の時に出場したオリンピックで銅メダルを獲ったときも、周りは『オリンピックで銅メダル。高校生ですごいね』と言ってくれたけれど、僕は『2位まであと0.08秒だったのか…』という風に思っていました。もうちょっと自分に優しく生きられたらよかったのにとすごく思うんですよね

斎藤:「やっぱり現役の時の後悔ってまだありますか?」

萩野:「後悔はありますけど、納得はしています。『こうだったらよかったのに』と思うことってたぶんたくさんあるじゃないですか。本当はあそこでストレートを投げればよかったけれど、スライダーを投げてしまったみたいな。そういうことって数え切れないくらいありますよね」

斎藤:「まさにそうなんですよ。抑える抑えないって結果でしかない。自分の指からボールが離れた瞬間から、もう僕には何もコントロールできない。

だからコントロールできないことに感情を左右されるのは止めて、コントロールできることだけにとにかく集中しよう。そうするとやるべきことがしっかり決まってくるから、気持ちも楽。それで結果が出ても出なくても、それはもう結果でしかないから。

自分がやるべきことは、そのあとの結果について『クソ!』と思うんじゃなくて、指からボールが離れるまでどれだけ準備をするかだと考えてやっていました。それに気付くのはすごく遅かったですけどね」

萩野:「いろいろな経験をしないとそこに辿り着かないですよね」

斎藤:「そうですね。『今自分って何に悩んでるんだろう』と常に考えていたんですけど、ある時ふと『自分はそんなにいろいろなことを考える必要ないんだ。やるべきことは決まっている。それだけに集中してがんばろう』と思えたんです。

それに気づいたのが25、6歳の時だったんですよ。もう選手としては中堅でベテランに入ってく域だったので、後悔があるとすればもうちょっと早く気付きたかったなと思いますね」

◆「アスリートの最後ってきっとみんな似てるんだ」

互いに多くの成功と挫折を経験し、ついに決断した「現役引退」。

2021年の東京オリンピックで200m個人メドレーに出場した萩野は、決勝に進み6位。やり切った思いから涙を流し、これが現役最後のレースとなった。

実は自問し続けてきた“ひとつの言葉”が、引退の決断に大きく影響していたという。

萩野:「日本水泳連盟の名誉会長の故・古橋廣之進さんという方が、『泳ぐだけでは魚に勝てない』という言葉を遺されたんです。僕はその言葉を聞いた時に、泳ぐ意味って何なのかと考えたんですよね。毎日『なんで人は泳ぐんだろう』とずっと考えながら泳いでいました。

引退した東京オリンピックの予選では、自分自身調子がよくないというのもわかっていたし、どこまでやれるかわからないけれど1本1本泳ぐしかないと思っていました。そんな時、もしかしたら次が最後のレースになるかもしれないと思ったら、やっぱり思い出すんです。

例えば小学生の時に誰々と一緒に泳いだレース、水泳の遠征で初めて海外に行ったこと、初めて悔しかったレースやうれしかったレース、いろいろな思い出が走馬灯みたいにブワッと出てきたんです。

そしたらもう涙が止まらなくて、その時に『これが僕が泳いでいた意味だったんだな』とすごく感じました。

水泳がないとそれらの出会いや経験はなかったですから。『人って何で泳ぐんだろう?』という答えはそれぞれあると思うんですけど、僕の答えはそれらすべてだったんだと強く感じたんです。

自分が何で泳ぐんだろうという問いを自分自身に問いかけ続けて、その矢印の答えが出た時に、これはもう引退をする時だなと思いました」

斎藤:「じゃあ引退は前から決めていたわけじゃなくて、そのレースの時に決めたんですか?」

萩野:「そうですね。レースの前に自分の泳ぐ意味みたいなものに気づいた瞬間、もう涙が止まらなかったです。それで教えてくださっていた平井伯昌先生に涙ながらに伝えました。ウオーミングアップの前にですよ。まだ何もはじまってないのに。そうしたら平井先生が『そうか、わかった。泳げ』って(笑)」

斎藤:「僕自身もまさに萩野さんと一緒で、最後のマウンドに立たせてもらう前に『俺の野球人生ってこんなことがあったな』って思い返して、マウンドへ行く前にすごく泣きそうになっちゃって。

でもあんなに人がたくさん見ている前で、さすがに泣けないと思って、とにかく最後のバッターを抑えることに集中しようと我慢していたんですよね。

投げ終わってベンチに戻ってきて、栗山監督に肩をたたかれて一言二言ボソッと言われて、すごく泣いちゃいました。アスリートの最後ってきっとみんな似てるんだなと、今ちょっと話を聞いていてうれしかったです」

萩野:「何かすごく通ずるものがありますね。いろんな思い出がたくさんあるから、いま苦しい時期を経験している選手に対しても、『もしかしたらこういうことを考えてプレーしているのかな』と思ったりしませんか?」

斎藤:「思いますよね。僕も選手を見ていて、苦しかったりつらかったり、大変だとみんな思っているだろうけれど、『まだ野球ができるし、それだけで幸せなこと。チャンスがまだまだいっぱいあるでしょう。すごくいいな』と思います」

萩野公介×斎藤佑樹スペシャル対談の後編では、「恩師の存在」「活躍する同世代への思い」に迫る。

番組情報:『GET SPORTS
毎週日曜日夜25時25分より放送中、テレビ朝日系(※一部地域を除く)

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