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細田善彦、渋谷の女子高生に怒られた“いじめ”の怪演。25歳で俳優業を休止し海外へ「いわゆるノープランですね(笑)」

2007年、19歳のときに出演したドラマ『ライフ~壮絶なイジメと闘う少女の物語~』(フジテレビ系)で、執拗(しつよう)ないじめをエスカレートさせていく高校生・佐古克己役を鬼気迫る演技で体現して話題を集めた細田善彦さん。

大河ドラマ『真田丸』(NHK)、『連続ドラマW 楽園』(WOWOW)、映画『武蔵-むさし-』(三上康雄監督)、映画『海辺の映画館ーキネマの玉手箱』(大林宣彦監督)など多くのドラマ、映画、舞台、CMに出演。2022年6月25日(土)には映画『人でなしの恋』(井上博貴監督)の公開が控えている細田善彦さんにインタビュー。

 

◆夢はサッカー選手だったが断念、芸能界へ

和菓子屋の次男として誕生した細田さん。小さい頃の夢は、サッカー選手だったという。

「男3人兄弟の真ん中なんですよ。3人一緒に小学校に通っていたとき、すごいタイミングでちょうど『だんご3兄弟』という曲が流行(はや)っていたんですけど、実家が和菓子屋をやっていたこともあって、よくネタにされた記憶があります」

-真ん中だと家を継がなきゃいけないということもなく、わりと自由に?-

「はい。自由にしていました。小学校の頃はサッカー選手になりたくてサッカーをやっていたんですけど、中学校くらいまでは身長が150センチくらいしかなくて小さかったんです。

周りがどんどん大きくなっていくのに僕だけちっちゃくて。やっぱり体格の差とかもいろいろ出てくると、『無理だなあ。サッカー選手にはなれないな』と思って、中学1年生のときに諦めました。

それからは友だちと遊んだりフラフラしていて、中学3年生のときに前の事務所にスカウトされて、この仕事と出会ってやりはじめました」

-スカウトされたときというのは?-

「渋谷の109で『ドロケイ』をしているときだったんですよ。『ドロケイ』というのは、刑事と泥棒に分かれてやる鬼ごっこみたいな遊びなんですけど、そのときにスカウトされたので、それどころじゃなくて(笑)。

『ちょっと今忙しいので』って言ったら、名刺を渡されたので、あとで連絡しました」

-そのときには芸能活動をしようと思っていたのですか?-

「母が勧めてくれたんです。僕が『サッカー選手になれないしなあ』なんて思ってフラフラしていたので、『新しくやりたいことでも見つけなさいよ』ってずっと言われていて。

たまたまそういう機会をいただいたので、『やってみたら?』と母が背中を押してくれたのではじめたという感じです」

-最初はどんなふうに?-

「レッスンがあって、レッスンしながらオーディションを受けてという形でしたけど、バイト感覚でした」

-オーディションだと落ちることもあったと思いますが-

「ほとんど落ちましたね(笑)。とにかくオーディションに行って、ダメだったらご縁がなかったと思うんですけど、何分の1で受かるというような計算はしていました。

もちろん落ちるだけじゃなくて、何回かに1回は受かったりするから、自分の中での勝率といいますか、それが徐々に上がったらいいなという思いではいました」

-わりと冷静だったんですね-

「そうですね。オーディションに行っても受からないと何もはじまらないので、そこは冷静だったと思います」

-仕事をしてみていかがでした?-

「最初の頃は、まだ高校生だったので、単純に大人の人と過ごす時間が楽しかったです。

お芝居云々(うんぬん)よりも、学校にいるだけだと出会えないような上の世代の方と触れ合う時間だったり、まだ今と違って時代的にもいろいろゆるかったので、みんな遊びに連れていってくれていたんですよ。そういうことも含めて楽しくてしょうがなかったという感じです」

※細田善彦プロフィル
1988年3月4日生まれ。東京都出身。2007年、『ライフ~壮絶なイジメと闘う少女の物語~』で注目を集め、映画『クリアネス』(篠原哲雄監督)、映画『BADBOYS』(窪田崇監督)、映画『ピア~まちをつなぐもの~』(綾部真弥監督)、『3年A組-今から皆さんは、人質です-』(日本テレビ系)、『青天を衝け』(NHK)、『共演NG』(テレビ東京系)など映画、テレビに多数出演。2022年6月25日(土)に映画『人でなしの恋』が公開される。

 

◆突然路上で女子高生に「きいちゃんをいじめないで」と言われ…

2007年、細田さんは、学校での激しいいじめを描き物議をかもしたドラマ『ライフ~壮絶なイジメと闘う少女の物語~』に、学年トップの成績を取るほどの優等生だが、父親から虐待を受けている佐古克己役で出演。

自分に好意をもっている女子を縛りつけて苦しむ様子を写真に撮って性的快感を得ていたが、そのアルバムを主人公・歩(北乃きい)に見られたことから執拗ないじめをエスカレートさせていくが、その狂気を感じさせる演技が話題に。

-強烈な役でしたけれども、オファーが来たときはいかがでした?-

「そのときは楽しんでやっていただけなんですけど、強烈だというのは、周りからの感想だったり意見であって、やっている本人や現場としては、そんなに強烈だとは思っていませんでした」

-放送されてから反響はかなりあったと思いますが-

「ありがたいことにいろいろ言っていただきました。学校の友だちもみんな興味をもってくれていたので、いろいろ言われました」

-演じていてつらくなったりしたことは?-

「演じているときは別になかったですけど、びっくりしたのが、放送期間中に渋谷を歩いていたら、いきなり同い年くらいの女子高生に『(北乃)きいちゃんをいじめないで』って道端で怒られたことがあって。

『僕は台本に書いてある通りにやっているだけなんだけど』って思いながら『すみません』って言っていました(笑)」

-佐古くんはインパクトがありました。いたぶりもするけれども自分も殴られ蹴られ…ましてや父親から虐待されていて…複雑な役柄でしたね-

「いやらしい役でしたよね。複雑でした」

その翌年には、自宅マンションで客に身体を売っている女子大生さくら(杉野希妃)とベランダから見える出張ホスト事務所で働く青年(細田善彦)の愛を描いた映画『クリアネス』に主演。

-金髪のツンツン頭が似合っていました-

「あれはまさに『ライフ』の撮影が終わった翌月に撮っていた作品なんですけど、あの当時、髪の毛を金髪にする役がほかにも結構あって、『髪の毛で遊ぶって楽しいことだなあ』って思いました。

今振り返ってみると、ああいう色の髪とかは、若いからできたなと思ったりしますけどね(笑)。髪の毛を染めたりすると大変じゃないですか。ものすごく傷むんですよ。あの時期、3、4年は金髪に染めたり、黒髪にしたりしていました」

-『クリアネス』もちょっと切ない役でしたね-

「そうですね。ちょっと大人なラブストーリーに参加させてもらったのは初めてでしたし、さらにロードムービーみたいなところもあって楽しかったです。

都内で出会った2人が街を転々として逃げながら、沖縄の与那国島に行くという設定だったので、いろんなところに行きました」

2011年には映画『BADBOYS』に出演。これは広島を舞台に、暴走族のナンバーワンチームを率いる段野秀典(阿部進之介)の旧友であり、段野を倒した唯一の男として知られる野村豊(三浦貴大)が戻ってきたことから巻き起こる激しい勢力争いの中で成長していく男たちの姿を描いた作品。細田さんは、豊の名前を利用して広島を手中に収めようと画策する石本千春役を演じた。

-『BADBOYS』では、めちゃくちゃ卑怯なキャラで、一番印象に残りました-

「ありがとうございます(笑)。あれはなかなかないキャラクターでした。全編広島で撮ったんですけど、『仁義なき戦い』とかも観ていたので、時代が違うから世界観は違うけど、広島でやるヤンキーもの。『周りの俳優には負けちゃダメだ』みたいな感じはありましたね」

-同世代の俳優さんもたくさん出演されていますが、撮影していないときは?-

「僕はずっと三浦(貴大)くんとお酒を飲んでいました(笑)。あの街にちゃんと染まりたいなという思いだったので、からだを染み込ませていた感じです」

-危険な目にあったりはしませんでした?-

「みなさん好意的な人たちばかりでした。金属バットを振り回すシーンで、僕が自分の足を叩いてしまって、それが一番痛い思いをしちゃったなあって(笑)」

-細田さんが演じた石本は、一見人懐っこくていい人に見えるからみんな騙されちゃうなって思いました-

「騙されるかなあ(笑)。でも、あんなに悪だくみをするとは思わないですよね。本当にどうしようもないやつでしたけど、おもしろい役だったので、思いっきりやりました」

 

◆俳優活動を一時休止し、海外で1年間過ごすことに

15歳で芸能界に入った細田さんだが、25歳のときに一時俳優活動を休止し、海外で過ごすことに。

「周りの友人たちが大学を卒業して就職、新たなステップへと進んでいく姿を見て『自分はこのまま俳優という仕事をずっとやり続けていくのだろうか?』という疑問が自分の中で生まれてきたんですよね。

それで、『自分が今、一番したいことは何だろう?』って考えたときに、昔から海外で暮らすことに憧れていたことを思い出して実行することにしました」

-事務所も芸能界も一度辞めて?-

「はい。その当時の自分の考えなんですけど、俳優をやるんだったら、いつ入ってくるかわからないオーディションのためにずっと東京にいて自分のスケジュールを空けておかないと、自分のチャンスを削ることだと思ってしまっていたんですよね。

だから国内外含めてあまり旅行にも行ったことがなかったので、『このままだとすごく視野が狭いな』と自分の中で思っていて、とりあえず海外に行ってみようと。

何をするかということも考えてなくて、やりたくなったらやればいいし、ほかのことをはじめたくなったらほかのことをすればいいんじゃないかなっていう感じでした。いわゆるノープランっていうやつですね(笑)」

-最初に行ったのは?-

「トロント(カナダ)です。最初は寂しくてしょうがなかったです。東京生まれ東京育ちで、周りに友だちとか知り合いがいないということがなかったので、本当に寂しいって、こういうことなのかなって思いました。

最初海外に行きたいと思ったときにはアメリカだなって思ったんですよ。でも、アメリカは怖くて(笑)。

それでカナダのトロントにまず行ったんです。そこではホームティーチングみたいな先生をやっている60歳くらいの方のおうちにいて英語を教えてもらいながら観光とかをしていたんですけど、刺激が少なすぎて(笑)。

それで1回日本に帰ってきて、ちょっとずつステップを上げていこうと思って、今度はニューヨークの語学学校に入ったんですけど、そこにはアジア人しかいなくて。

僕はアメリカ人の友だちが欲しかったのに、これだと違う。語学学校に入っている場合じゃないと思って、3日くらいで辞めちゃったんですけど、そうしたら本当にそこからすることがなくなるわけですよ。

知らない土地でどうやって友だちを作ったらいいのかがわからなかったので、観光地といわれるタイムズスクエアあたりで飲み屋とかに入って、なんとなく拙(つたな)い英語で話しかけてみるんですけど、観光地なのでみんな観光しに来ている人なんですよね。

だから、その土地の人ではないことが多かったので、今度はマンハッタンのちょっと近くにあるブルックリンで賑(にぎ)わっているバーに行くことにして、僕は友だちもいないので、ひとりでブルックリンのおしゃれなバーに毎夜毎夜行っていたわけですよ。

そうしたらバーの店員さんが、『君は何しに来ているんだ?誰ともしゃべらないし』って言ったんですよ。

『だってしゃべれないんだもん、こっちは』って思いながら、ずっと電子辞書を片手に、メニューとかを調べたりとかしていたので、それを見かねた店員さんがしゃべりかけてくれて。

『僕は友だちが欲しいだけだ。ここは地元の人が集まる場所でしょう?』みたいなことを言ったら『そうだ。僕の友だちを紹介してあげるよ』って、その人が自分の周りの人たちを紹介してくれるようになって、徐々に自分の道が開けた感じでした」

 

◆ソルトレイクシティでルームシェア

細田さんは、ニューヨーク滞在中はユースホステルを拠点にしていたが、知り合いが増えるにつれ、ホテル暮らしをやめてルームシェアがしてみたいと思うようになったという。

「ルームシェアがしたいと言っていたら、『ソルトレイクという街だったら、君に部屋をあげるよ、タダでいいよ。バイクも貸すよ』って言ってくれる人と出会えて、ソルトレイクに行ってルームシェアすることになりました」

-家賃を払わない代わりにお掃除とか食事を作っていたそうですね-

「はい。メキシコ系アメリカ人の女性とドイツ系アメリカ人、韓国系アメリカ人と4人で一軒家に住んでいて、みんなのご飯を作ったり、掃除したりとか、そういう家政夫みたいなことをしていました(笑)。それでみんなが帰ってくると一緒にご飯を食べて騒いで」

-そういう生活だと必然的に英語を話すわけですから語学が堪能になりますよね-

「いや、暮らしに不便しない程度ですけど、自分の意見とかは言えないですよね。難しいです。

ルームシェアしていたのは、プールみたいなジェットバスが付いている大きな家だったので、そこでホームパーティーしていたとき、みんな酔っ払っていて僕が突き落とされたんです。

そのときにたまたま携帯とかを持っていたので壊れてしまって、そのあとずっと『ロストボーイ』ってバカにされていたんですけど、そこで怒れなかったんですよ。英語がしゃべれないから(笑)。

ものすごく怒りたいんですけど、英語がしゃべれないから怒れない。やっぱり勉強しなきゃなって思いました」

-日本に帰ってくることにされたのは?-

「お金がなくなったからです(笑)。それまで働いていたお金を貯めておいて、この予算で好きなだけ海外にいようと決めていたので、その予算がカラになったから帰ろうかって」

-海外にいたのは、1年くらいですか?-

「ビザの関係で行ったり来たりではあったんですけど、最初にトロントに行ってから、最後にソルトレイクから帰ってきたのが1年後くらいですね」

-海外での生活を経験したことで何か変化はありましたか?-

「ブロードウェイでお芝居を観たりしている中で、もう一回俳優をやりたいという思いはすごいありました。

でも、やるんだったらもっといろんなことを取り組み方を変えてやっていかなきゃいけないなという思いも芽生えている中で日本に帰ってきて、いろいろな人に相談しながら、またはじめられたという感じです」

気持ちを新たに俳優という仕事向き合うことにした細田さんは、事務所に入って本格的に活動することに。次回は『連続ドラマW 楽園』、主演映画『ピア~まちをつなぐもの~』&『武蔵-むさし-』の撮影エピソードも紹介。(津島令子)

ヘアメイク:石橋遥(ADDICT_CASE)
スタイリスト:カワサキ タカフミ

※映画『人でなしの恋』
2022年6月25日(土)より池袋HUMAXシネマズほか全国順次公開
配給:BBB
監督:井上博貴
出演:兎丸愛美 細田善彦 渋江譲二 上野なつひ 織田美織
結婚寸前だった恋人に裏切られ、落ち込んでいた京子(兎丸愛美)は、マッチングアプリで門野(細田善彦)と出会い、お互いに惹かれ合って結婚する。門野との生活に幸せを感じる京子だったが、夫が自分以外の誰かを愛しているのではと疑惑の念に駆られ…。

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