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コロナ禍の仕事で思い出した、「愛」を届けていた“16歳の月曜日”<アナコラム・矢島悠子>

<テレビ朝日・矢島悠子アナウンサーコラム「放送室から愛をこめて」>

コロナ禍、社内で働く人たちに向けた館内放送を、アナウンサーが担当することがある。

毎日特定の時間に「感染対策をしっかりとしましょう」という一般的な呼びかけをするのだが、その前後の挨拶のようなところでは、少しオリジナルの文章を付け加えてお届けしている。

この館内放送という仕事はとても面白い。

入社以来、こんなに直接的に仕事に対する評価をもらうのは初めてだ。「いつも聞いているよ!」と声をかけてもらえることが本当に多い。

それだけでも驚きなのだが、「はじめと終わりにいつも個性があって、今日は何を言ってくるか待ち構えちゃうよ」と久しぶりに会った同期の編成マン。

「今日は雨なので…」といった一言を最後に付け加えたときは、館内放送直後に「予報が外れて雨になってしまった…(><)」とウェザーセンターのスタッフから放送を聞いてのリアクションメールがきた。

反応がすごい。「ド」がつくほどストレートに、自分のことばに誰かが反応してくる。ゴールデンタイムの番組に出演した時より反応があるのだ。

社内の行事で司会をしたある時には、上層部の社員が突然、神妙な顔でわたしのほうに歩いて来た。思わず身構えていると、「…館内放送、いつも聞いていますよ」とボソり。(笑って言って欲しかったけど、うれしかった)

一番驚いたのは、東京でも雪が降った日の館内放送だ。ちょうど外を見ると大粒の雪が降り始め、うっすらとテラスに積もっていた。

そこで、最後の一言を当初頭に浮かんでいたものから、とっさに変えた。

「外を見てみると、ちょうど雪が降り始めました。今日は暖かくしてお過ごしください」

その瞬間、わたしと同じフロアにいた人たちが一斉に窓の外を見たようで、「ホントだ!」「わあ~雪だ!」と言った声がこちらにまで聞こえてきたのだった。

「あ、放送ってこうやって伝わっているんダ!」

しみじみと自分の声が誰かに伝わっていくことを感じた瞬間だった。

伝わるよろこび。その楽しさを知ってしまったのは高校生の頃だ。

◆月曜日のお昼、放送室にて

高校時代、わたしは放送部で月曜日のお昼の放送を担当していた。

季節に合わせた特集をして音楽を流すこともあれば、放送室前にある小さなリクエスト箱に入れてもらった曲をかけることもある。

曲の前後で何をどのくらい話すのか、すべてMCに任されていた。最初の歌い出しまで何秒か計って、そこまでにトークをまとめたり、次の曲とクロスフェードさせて2曲続けて聴かせようと考えたり、いろいろと試行錯誤しながら放送をしていた。

この作業がたまらなく楽しかった。

昼休みが終わって教室に帰り、クラスメイトが放送の感想を言いに来てくれることがあると、心がポッと温まるようにうれしかったものだ。

マイクの前に立つわたしにはいつも、サザンオールスターズが大好きなミキサーのMくんが見えていたのだけれど、いつからかその向こうに見えない誰か、もっとたくさんの人がいて、「その人たちに届くことばを選びたい」「その人たちを想像してしゃべろう」と思うようになった。

何が何でも、その人たちの誰かひとりでも多くに何かが伝えたかった。それまでに持ったことのない、強い感情だった。

◆16歳、知ってしまった“よろこび”

ある日の放課後、友達とふざけながら廊下を歩いていると、隣のクラスの子に突然廊下で呼び止められた。

「月曜日の昼放送の声って、矢島さんだったんだね。今、声を聞いて初めて知った。この前サ、〇〇かけてたでしょ? あの曲そんなにメジャーではないから、かかったとき、すごくうれしかったんだ」

自分のことばが誰かに届いている。伝わっている。

大勢に届けていた放送が特定の人物に届いていた事実を初めて目の前にして、何と言い表せばいいかわからない興奮と、よろこびと、そして同時に恐怖も感じた。責任があることをしているんだと、その時初めて気づかされた。

もっといろんなものを届けてみたい。たくさんの人に届けたい。そんな欲求と戯れ、ときには葛藤する。

誰かのこころが、自分のことばで動く…! 矢島悠子、16歳。そのよろこびを知ってしまったのだった。知ってしまったらもう、“しゃべる”ということの虜だ。昨日までの自分ではいられなかった。

以来もう20数年、わたしは今もずっと変わらない思いでいる。

体育館の小さな放送室の窓からみんなのよろこぶ顔を眺めている時の幸せな気持ちは今も変わらず、まったく色褪せることがない。

教室や学食で昼放送を聞いているみんなは、誰と何を食べているのかな。月曜日は週の初め、どんな気持ちかな。今日は暑いのか寒いのか、みんなはどんなことを思いながら過ごしてるんだろう。

どんどん知りたくなった。「誰か」を知りたくなった。

友達も多くないし、誰とでも仲良く出来るタイプではなかったわたしが「誰か」の今を思って、いつのまにか躍起になっていた。

見えない「誰か」に届けたい。なんだかわからないけど、なにか「思い」を届けたい。

当時の日記を振り返ると、その正体不明の「思い」を、わたしは「愛」と呼んでいる。その青臭さを一概に否定も出来ないけど、やっぱり今振り返るとなんだか恥ずかしい。

◆「誰か」は、ひとりひとりの「あなた」

さて、今だ。

たくさんのニュースを読む。ナレーションを読む。

いちいちあの頃のようにはやっていられない、と言いそうなのだが、実はあまり変わらない気持ちが求められる。

届けたい「誰か」をなんとなくでも良いから思い描く。描けないと、のっぺりした読みになる。上手く言えないけど、可もなく不可もなく仕上がる。

まるで眼鏡を外して遠くを見るように、その輪郭がはっきりとつかめない、ぼんやりしたものが出来上がる。

少しのテクニックでそれをカバー出来ることも増えてきたけど、大切なことは、あの古い放送室の中で「あーでもない、こーでもない」と悩みながら繰り出していたことばや思いとちっとも変わらないんだと気づかされる。

放送室から愛を込めて。

マイクに乗せることばたちを、どんな顔をして、誰とどこで聞いてくれていますか。

想像するだけでわくわくして、それと同じくらい不安で、逃げ出したくなるような複雑な感情が混ざり合う。

もういい大人なのに、あの時よりこの瞬間は怖い。「誰か」は、ひとりひとりの「あなた」。届いていますか。祈るように伝える。

今も同じように祈りながら、本番5秒前に深呼吸をする。

おセンチな気持ちになったのは、さっき街中で流れていた曲が、隣のクラスの子がほめてくれた曲だったから。

あの子にも届いているかな。届くと良いな。

<文/矢島悠子、撮影/本間智恵

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