河相我聞、不登校がきっかけで芸能界へ。壮絶ないじめ、15歳で一人暮らし…ブレイク時は「何かの間違いだ」
1991年、中学3年生のときにドラマ『天までとどけ』(TBS系)で15人の大家族の次男・信平を演じてブレイクした河相我聞さん。
ドラマは高視聴率を記録し、シリーズ化されて1999年まで放送され、河相さんはアイドル的人気を集め、歌手としても活動をスタート。『時をかける少女』(フジテレビ系)、『青春の影』(テレビ朝日系)、『未成年』(TBS系)など話題作に次々と出演。
近年は俳優としてだけでなく、シングルファーザーとして2人の息子に向き合う日々を本音で綴ったブログがおもしろすぎると話題になり、『お父さんの日記』(宝島社)を出版。6月3日(金)には映画『太陽とボレロ』(水谷豊監督)の公開も控えている河相我聞さんにインタビュー。
◆8歳上の兄に勧められて児童劇団に入ることに
小さい頃の河相さんは、集団行動が苦手で人とのコミュニケーションがあまり得意ではなかったという。
「母親に聞いているのは、いうことを聞かないし、ちょっと変わった子だと言っていました。そもそもこの仕事をはじめたのが不登校で、学校がどうも合わなかったんですね。それで小学校3年生から不登校で行かなくなりました」
-仲がよいお友だちは?-
「1人ぐらいはいたんですけど、みんなでワイワイ遊ぶという感じではなかったです。15歳ぐらいのときに一人暮らしをしたときに家が溜まり場になって、いろんな人が集まっていましたけど、基本的には幼稚園とか小学校はあまり友だちが多いほうではなかったと思います」
-お兄さまとは結構年齢が離れているのですね-
「はい。八つ離れていますけど、よく殴り合いのケンカをしていました。でも、八つも違うと速攻でボコボコにされて負けていました。今は仲がよいんですけど、僕が小学校ぐらいまではよくケンカしていましたね。
兄は頭がよくて、父親からも『東大に行け』と言われていて、僕は言われなかったんですよ。そもそも『こいつは無理だ』というのがあったみたいで、あきらめたって親も言っていました(笑)」
-お兄さまは大検(大学入学資格検定)で資格を取って埼玉医科大学に進み外科医になられたとか-
「そうなんですよ。高校は中退したみたいで、それで大検を取って医大に行きました。朝刊と夕刊の新聞配達でお金を貯めて学費の一部にしていましたね。僕も手伝った記憶があります。
努力家なんですよ。頭がいい上に努力をする人なので、いいSPEC(スペック)を全部持って行かれたみたいです(笑)」
-児童劇団に入ることになったのはお兄さまの勧めだったそうですね-
「そうです。不登校になったとき『学校行かないなら、これやれば?』って兄がチラシを持って来たんです。劇団はお金がかかりますから、おばあちゃんがたまたまお金を出してくれて、母も出してくれたのかな? それで行くことに」
-劇団はいかがでした?-
「ダメでしたね。劇団でもオーディションには行くんですけど、レッスンには行かずにずっとゲームセンターに通ったり…あと先生のいうことを聞かないんですよね。
オーディションには行くと、当時は今みたいにちゃんとしている子ではなくて、ちょっと変わっている子がおもしろいということで受かったりとかするので、仕事場に行くと可愛がられました。
でも、劇団では先生に嫌われていたと思います。学校とか劇団の先生とは本当に合わなかったですね。先生とはしょっちゅうトラブルを起こしていました。
小学校には行っても遅刻とかだったので、まるまる行っていた日はあまりなかったですね。行っても『仕事です』と言って帰ったり、仕事がなくても『ごめんなさい、仕事で』って言って帰っていました。
義務教育でも規定の出席日数というのがあると思うんですけど、(日数不足が)そのレベルに到達したので呼ばれて、また先生とケンカして…。
今考えると先生には本当に申し訳ないなと思うくらい面倒くさい子だったと思います。学校の中でこういうちょっと特殊な子がいたら、対処できないと思うんですよね」
-お母さまが学校から呼び出されることもあったのでは?-
「行かない人だったんですよ。中学のときも問題を起こして学校から連絡が来ても、『息子の問題ですから、私が行ってもどうしようもないので』と言って学校に行かなかったです。進路に関しても『息子に一任してありますので、私は関係ありません』みたいな感じでした」
-子どものことを信頼していなかったらできないですね-
「そうですね。放ったらかしではなかったんですけど、親も変わっていましたね。兄に関しては過干渉じゃないけど、結構教育ママでいろいろやってきたんですって。
でも、それじゃダメだと思って方向転換したとは言っていましたけど、兄のほうがちゃんとしているんじゃないかなって(笑)」
※河相我聞プロフィル
1975年5月24日生まれ。埼玉県出身。母親と兄の3人暮らしで、父親はたまに訪れる生活だったという。10歳のときに児童劇団に入団。『天までとどけ』シリーズ、『未成年』、『みにくいアヒルの子』(フジテレビ系)、『アルジャーノンに花束を』(TBS系)、主演映画『喰いしん坊!』シリーズ、映画『写真甲子園 0.5秒の夏』(菅原浩志監督)、舞台『マウストラップ』など多くのテレビ、映画、舞台に出演。
自身のいじめられた体験を基にした『いじめられない力』(幻冬舎)、『お父さんの日記』など著書も出版。42歳のときに大検合格、2022年4月にはドローンのスクールで資格を取得するなど精力的に挑戦を続けている。
◆15歳で一人暮らしをすることに
お兄さまは家を出て一人暮らし、事業をしていたお母さまも忙しく、河相さんは15歳から実家で一人暮らしをすることになったという。
「当時は劇団に入るとエキストラの仕事がすごく多くて、一番はじめにやったのが、『風雲!たけし城』(TBS系)という番組。出演はしないんですけど、子どもがいっぱい出る『こどもの日スペシャル』という日があって、そのアトラクションが子どもにできるかどうかを判断するための実験台みたいなもの。
今の時代ではあり得ないですけど昔の話ですからね(笑)。あと、戦隊ものの子どもが逃げ惑うシーンだとか、結構そういう仕事が多くて、出演料もよかったんですよ。『エキストラ、通行人でこんなにもらえるんだ』って思いました。それでさらに学校に行かなくなって、先生とまた揉めて」
-学校ではいじめもあったとか-
「そうですね。すぐ反応してしまう子どもだったと思うんです。何か言われたり、からかわれたりするとすぐムキになるというか。それで多分おもしろがられたんでしょうね」
-中学時代は上履きをカッターで切られたこともあったとか。かなり悪質ですよね-
「そうですね。そういうこともありました。あと空気銃を撃ち込まれたりとか、家のガラスを割られたりしたこともありましたね」
-よく耐えられましたね-
「母が『行きたくないなら学校には行かなくてもいい』と言っていたので、それで多分大丈夫だったんじゃないかなと思います。
無理して学校に行っていたら多分つらかったと思うんですけど、学校以外のところ、仕事でいろんなところに行けるじゃないですか。それで、現場でいろんな大人に会うし、当時はぶっ飛んだ大人が多かったので、いいことも悪いことも含めていろんなことをいっぱい教えてくれるんですよ。
そういうこともあって学校での出来事がちっぽけに感じるというか、あまり変な風にはならなかったんじゃないかなと思います」
-そして15歳で一人暮らしに?-
「はい。母も仕事で忙しくて中3の終わりぐらいから完全に一人暮らし。その年で一軒家に一人暮らしですから恐ろしいことになりました。知らない人が家にいましたからね。鍵をかけても鍵を開けられる人たちなので、家に入れちゃうんですよ(笑)。
『鍵をかけたのに何で?』って。とんでもないことばかりする人たちなので、怖い人たちが怒鳴り込んで来たこともありましたし、大変でした。
でも、そこで生きる術(すべ)じゃないですけど、怖い人たちでも僕がご飯を作ったりしていたので、胃袋を握るとまあまあいうことをきいてくれたり、よくしてくれて。
なんだかんだ言って、みんな家に帰りたくないんですよね。でも、違法なことをやるような人には出て行ってもらいました」
◆『天までとどけ』のオーディションに2時間遅刻
河相さんは15歳のときに『天までとどけ』のオーディションを受けて次男・信平役で出演することに。父親役の綿引勝彦さん、母親役の岡江久美子さん、そして8男5女の15人家族が織りなすドラマを描いたもの。1991年から1999年まで、合計8シリーズが放送された。
-『天までとどけ』に決まったのは?-
「中学生のときにオーディションを受けていたので、15のときには決まっていましたね。みんなが高校に行って、僕も進路を考えなきゃいけなかったので『劇団でやっていても無理だよなあ』って思って。それでやめようと思っていたときに受かったんです」
-オーディションに遅刻して行ったそうですね-
「はい。2時間遅刻して行きました。当時のプロデューサーの方と今でも会うんですけど、僕を使うことにはみんな大反対だったって言っていました。
最終的には、『お姉さん役に顔が似ているからいいんじゃないか』っていうことだったんですけど、『あいつは絶対ダメだ』って言ってみんな反対していたそうです。
でも、そのプロデューサーが『あいつおもしろいから入れておこうよ』って言って、たまたま入れていただいたみたいです」
-結果的には大正解でシリーズ化されて、河相さんはアイドルに-
「そうです。あれで間違いが起きたんですね、人生に(笑)」
-『天までとどけ』が始まったとき、シリーズ化される予定は?-
「まったくなかったです。そんなに視聴率がいくと思わなかったですし。ただおもしろいなあとは思っていました。台本を読んでいて、よくこんな脚本が書けるなあって」
-お父さん役が綿引勝彦さんでお母さん役が岡江久美子さん-
「綿引さんは当時、極道ものが結構多くてめっちゃ怖かったです。僕は極道もののVシネマを観るのが好きだったので、結構観ていたんですけど、お父さんがいっぱい出てきて、すごい姿をいっぱい観ていたので、最初会ったときは『怖い!』って思いました。本当に怖かったですもん。
でも、しゃべっていくとすごく優しいというか、あったかいんですよね。撮影で朝ご飯がないときとかは、プロデューサーか誰かに『子どもたちなんだから、ちゃんと朝ご飯を食べさせてやれよ』って言ってくれたり、本当のお父さんみたいにすごく優しいというか、あったかいところがあって、熱い感じなんですよね」
-2020年に岡江さん、綿引さんが亡くなられました-
「コロナの前は兄弟も含め、みんなで集まってご飯を食べる機会を毎年のように設けていたのですが、岡江さんも綿引さんも『ちゃんと仕事してるか? 何かあったらいうんだよ』って色々と心配してくれたり、ときには役者としてのアドバイスをくれたりして、本当のお父さんお母さんみたいだったなあって。寂しいです」
◆アイドルとして人気者に「何かの間違いだと思った」
1994年に歌手としてもデビューし、シングル7枚、アルバムも3枚発売。音楽番組やバラエティ番組にも出演することに。
-レコードも出されて歌手活動も-
「そうなんです。だから、何でああいうふうになったのか。中学も不登校だし、一人暮らしをしているから、どちらかというとヨレヨレでアイロンもかけてないワイシャツで汚らしかったんですよね。
そんな子が学校では全然注目されないのに、ほかの学校から見に来られたりとかして、『何が起こったんだろう? 何かの間違いだ』という感じでした。
中学のときはバドミントン部に入っていたんですね。授業には出なくても部活にだけは出ていた時期があって大会とかに行くと、ちょっとワサワサするということはありました。
あと高校の年齢になって、文化祭とかに遊びに行ったらキャーキャー言われたりということはありましたね。
ただ、当時から間違いが起きたという感覚は否めなかったです。人気があるというよりかは、恐ろしいことだなという感じです。
アイドル雑誌とかに出たときとかは、メイクさんやスタイリストさんが付いてちゃんとしてくれるので、自分じゃない自分が出来上がるんですよね。メイクさんとスタイリストさんがすごいなあって。
それでキャーキャー言われているわけですから、本当の自分とはちょっとかけ離れている感じがするんですよ。だから、うれしさはあまりなかったですね。
当時からお芝居が得意じゃなかったので、僕は何もできなかったんです。運動神経もよくないし、勉強も得意じゃないし、全体的にSPECが低いと自分で思っていたので、自信が持てるものがあまりなかったんですよね。
ただ、特殊な環境の友だちがいたからか、特殊なように見えて自信ありげに見えたみたいですけど、わりと冷静でした。『これはあと数年したら終わるだろうな』って。
たまたま運よくよいところにオーディションで受かったりとか、作品に出演させてもらったからうまくいったけど、そうは言っても続かないよなあって。休みなく働いていたんですけど、給料が初任給ぐらいだったので、生活もしんどかったですしね。
もちろん仕事は楽しいんですよ。楽しい仕事ではあるんですけど、それと同時にすごい才能がある人たちをいっぱい目の当たりにするわけですよね。
歌にしても音楽番組に出たら、自分の前が吉川晃司さんだったりすると、もう死にたくなるわけですよ。『すげえカッコいい! 何でこんなにカッコいいんだろう?』って思って。そのあとに歌うわけじゃないですか。アイドルみたいな感じで。それがすごいイヤで(笑)。
お芝居も『未成年』とかやったら、(いしだ)壱成くんとかすごかったじゃないですか。お芝居でもすごい人たちと一緒になって、『何で僕が間違ってここまで来ちゃったんだろう?』っていうのはずっとありました」
私生活では17歳のときに出会った女性と交際をはじめ、19歳で長男が誕生するが、前の事務所の意向で公表せず、1998年にマスコミに妻子のことが発覚。スポーツ紙やワイドショーで大々的に報じられることに。
次回はその舞台裏、伝説のドラマ『未成年』の撮影エピソードなども紹介。(津島令子)
※映画『太陽とボレロ』
2022年6月3日(金)より全国公開
配給:東映
監督:水谷豊
出演:檀れい 石丸幹二 町田啓太 森マリア 田口浩正 永岡佑 梅舟惟永 木越明 高瀬哲朗 藤吉久美子 田中要次 六平直政 山中崇史 河相我聞 原田龍二 檀ふみ 水谷豊
俳優・水谷豊さんが、『TAP-THE LAST SHOW-』(2017年)、『轢き逃げ-最高の最悪な日-』(2019年)に続いて長編映画のメガホンをとった監督第3作。ある地方都市で、18年間活動を続けてきたアマチュア交響楽団が解散することに。決断を下した主宰者・花村理子(檀れい)は、ラストコンサートを計画するが、個性豊かなメンバーに振り回され、しだいに不協和音が…。