民放局アナの大切な仕事「提供読み」 その奥深さと、やりがい <アナコラム・矢島悠子>
<テレビ朝日・矢島悠子アナウンサーコラム>
派手ではないけれど、懸命にやる――。やりがいのある仕事というのが、局アナの仕事には実は意外とたくさんある。なかなかスポットライトが当たらないところについて書いてみたい。
コマーシャルが大好きだから、民放放送局を目指した。わたしはそれくらい、コマーシャルが好きだ。
大昔のコマーシャルだけを集めた動画を延々と見るのも大好きだ。昔撮っていたVHSなどを見返す機会があると、懐かしいコマーシャルにキャーキャー言ってしまう。
コマーシャルは短い時間の中に、その時代がぎゅっと詰まっている。演出も音楽も、出演者も、どれもこれも「今」を切り取っている。印象的な歌やフレーズもあって、頭から離れないものもたくさんある。
或いは、見たこともない商品に射抜かれ、すぐさま買いに走ってしまうこともある。(わたしは買い物も大好きなのだ!)
そんなコマーシャル好きなわたしの、大好きな仕事が「提供読み」だ。
テレビを見ていると定期的に聞こえてくる、「この番組はご覧のスポンサーの提供でお送りします」というもの。あれがいわゆる提供読みと呼ばれるものだ。皆さんも聞いたことがあると思う。
この「提供読み」は、一般的にイメージされる華やかな仕事ではないかもしれないが、奥深い仕事である。細かすぎて誰にもきっと伝わらないようなことに心血を注ぐような仕事に、とてもやりがいを感じる。
◆「知らない」感じは不思議と伝わってしまう
提供読みでは、まずその企業がどんな会社で、どんなものを消費者に売っているのかを知っていなければならない。
知らない企業だったら、担当者に聞いて、自分でも調べる。調べた結果、その企業が今一番メインで売り出したい洗剤や飲み物など、買えるものなら、その会社の製品を買ってみることもある。
まったく知らないことを知らないまま音に出すというのはとても恐ろしいことだ。不思議と「知らない」感じは伝わってくるものなのだ。
提供読みは、完全に音だけの勝負になる。これが難しい理由のひとつだ。
映像がないので、笑顔や身振り手振りでごまかすことも出来ない。音声表現その一点で勝負するということは、正確な音を出さなければならないということだ。
音が上がったり下がったり、凸凹した印象にならないように、一定のトーン、音量、声量を維持していく必要がある。自分の実力のなさで、企業名に差がつくようなことがあってはならないのだ。
音の中には「ア」段のように、いきなりどーんと大きな音が出やすいものもあれば、「イ」「ウ」段のように控えめな音からスタートするものもある。
皆さんも驚いた時に「あ!」と大声を出すことがあると思うが、その音と、「い」とか「う」という音を叫んだ時に、どちらが前に届くか聞き比べてみてほしい。母音の5つの音を比べるだけでも違いがわかるだろう。
企業の名前には様々な音から始まるものがある。出だしの音に差が出すぎないように考慮しバランスを保ちながら、大切に読み上げていくのはなかなか難しい。
たとえば生命保険の会社ひとつ取っても、「生命」を「セーメー」と読んで欲しい会社と「セイメイ」と読んで欲しい会社とがある。アナウンサーとして正しい読み方・発音とはまったく違う次元で、求められたものを出すことも大切な要素だ。
さらにこうした音の精密さ、確かさを求められる場所では、より指向性の高いマイクを使うので、自分のウィークポイントは丸出し状態になる。
サ行やラ行が甘い、リップノイズ(口を開け閉めするときのペチャペチャした音)が気になる、など、音だけの勝負ではとにかくアラが目立ちやすい。
欠点だらけの音を出す自分自身と、嫌でも向き合うことになり、逃げだしてしまいたくなる。どうやってもきれいに音が出なくて、悔し泣きしながら読んだこともある。
わたしは自分のリップノイズが気になり、何年もかけて「ノイズがあまり聞こえない口の開け方」を研究して、ここ数年でようやくそれが実現出来てきた。
ノイズが気になって息継ぎを減らそうと思い、その結果、息を吸うのを我慢しすぎて酸欠になりそうになったこともある。
◆常に想像し、未来の視聴者に語り掛ける
この仕事に個性は要らない。わたし個人の色をのせてしまったら邪魔になってしまうからだ。基本的に番組のテイストにあった音が求められる。ただ、馴染み過ぎても聞き流されてしまう。この塩梅が勝負だ。
平日なのか休日なのか。朝なのか夜なのか。バラエティやニュース、スポーツ……ジャンルによっても読み方は少しずつ違う。
たとえば、お昼の時間の『大下容子ワイド!スクランブル』なら、何か家事をしながらテレビを見ている人に届くようなイメージで語り掛ける。
そこは例えば、外光が差し込むリビングのようなところで、食事の準備や掃除機の音など、いろいろな音が混じりあうノイジーなひとときだ。
生活音にかき消されず、ぽーんと頭に入ってくるような音ってどんな音かな? でも、扱うのはニュースだから、その流れで明るすぎてはいけない。
ノイズに打ち勝つような、通る音で企業名の輪郭がはっきりわかるようにやってみよう。
一方、『報道ステーション』のような夜のニュース番組では、今日一日の仕事や家事を終えて、ひと息ついている人を想像しながら語り掛ける。
甲高い声ではイラっとするだろうし、低すぎてもスポンサーの名前が暗く聞こえてしまう。
テレビの前のソファに座って、自分をリセットしていく時間を想像する。わたし自身ならどんな声が聞きたいかな? いつもよりは少し低めのトーンで、ゆったりと穏やかに、伸びのあるやわらかい声を目指して語り掛ける。
さらに生放送の提供読みでは、放送日を確認するのも忘れてはならない。
今日から何日後ということは、連日伝えている事件の報道がまだ続くだろうから、その前後に入るなら明るいテンションではまずいな。或いは、台風シーズンに入るので、この前後に被害情報などが入るかもしれない。そういったことを常に想像して、未来の視聴者に語り掛ける。
提供読みは、あくまで音にするのはスポンサーの名前なので、あまり暗く読んでも意義が違う。こういったバランスが非常に求められるものなのだ。
こんなにいろいろ考えてやっても想像と違うことが起こるのが生放送だし、聞き比べても大した差はないかもしれない。
これは自己満足なのだろうと思うこともあるのだが、手を抜くことは出来ない。だってわたしはコマーシャルが大好きなのだ。提供読みは、番組とコマーシャルをつなぐブリッジ的な役割だから。
◆仕事をしていて“一番幸せな瞬間”
実はここ数年、自己満足かもと思いながらやってきたこの仕事を、手を取り合って一緒に頑張ってくれる強力な仲間たちがいる。CM部という部署のスタッフたちだ。
今までもずっと一緒に仕事をしてきたが、何かのきっかけで、今書いてきたようなことを考えて、あーでもないこーでもないと毎度悩みながらやっているのだということを打ち明けたことがあった。
そのスタッフたちも、自分たちがどういう思いで仕事に向き合っているかという気持ちを話してくれた。
この1音がもっと高いほうが良いのか、このままでいいのか? そんな些細な事でも一緒に考えてくれるようになった。なんだ、もっと早くから一緒に考えれば良かったなと思うくらい、意義のある時間が持てる。
彼女たちとは、毎週、高校の部活動の時のように熱く仕事をしている。戦友が出来たことによって、やる気はさらに増して熱いのだ。
「今のこの音をもう少し上げて出したほうが、企業名が引き立つから、もう一回撮り直していいかな?」と細かすぎるお願いをしても、スタッフは面倒がらずに聞いてくれる。時には「今のも良かったけれど、もう一回やってみましょうか!」と励ましてくれるときもある。
そして、お互いに描いている完成型の音が出せたときは、ひそかに盛り上がる。そう、ひそかに。騒がずとも、彼女たちの目を見ればわかる。心の中でハイタッチだ。
最近は週に数回、彼女たちと仕事をする機会に恵まれているのだが、いつも楽しみでならない。良いものを作り上げようと思う人たちの思いが重なりあって、ピタリとはまる瞬間に立ち合えるのが、仕事をしていると一番幸せな時だ。
そして、想像して語り掛けた提供読みが、その日のその場面に実際に適していたか、答え合わせをしながら番組を見る。
これはアナウンサーに限らずそうなのだろうと思うが、経験を重ねて慣れてしまうと、考えずとも出来る仕事は結構ある。
でも、そこで終わってしまうにはまだ早いんじゃないかなと思っている。基本の仕事ほど奥が深い。そういうものほど、次のステップに進みたい。さらに上のステージを見てみたい。
小さなマイナーチェンジとチャレンジを繰り返して、もっと出来ることを増やして、それを声という名の形にしたい。局アナの小さな野望。コツコツ頑張ります。<文/矢島悠子>