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43歳、元シングルマザーが娘と歩んだ5度の五輪「明日引き金が引けなくなっても…」病を乗り越えた奇跡の物語

2021年夏、メダルラッシュに沸いた東京オリンピック。その陰で、スポットライトを浴びることのない物語があった。

クレー射撃で5度目のオリンピック出場を果たした中山由起枝選手(43歳)。

彼女にとってこのオリンピックは、「脳の病」を乗り越え、家族3人で目指した特別な大会だった。

テレビ朝日のスポーツ情報番組『GET SPORTS』では、東京オリンピックで起きた“奇跡の物語”に迫っている。

◆母一人子一人で歩んだ五輪への道

2019年11月、アジア選手権で銅メダルを獲得し、東京オリンピック出場をつかみ取った中山選手。彼女が目指した東京オリンピックへの道のりは、一人娘・芽生(めい)さんとの歩みでもあった。

21歳のときに初めて出場したシドニーオリンピックは、13位で予選敗退。その後一度は引退するが、娘の誕生によって競技への復帰を決意する。

子どもには私が輝いている姿や一生懸命がんばっている姿をちゃんと見せてあげたい

その思いで、離婚を経験した後もシングルマザーとして再びオリンピックを目指した。

そして迎えた2008年の北京オリンピックは、芽生さんも現地で応援。「ママがんばれ」と書かれたTシャツを着てその戦いを見届けたが、結果は惜しくも4位。メダルにはあと一歩届かなかった。

試合後、自身も悔しくてたまらないなか、中山選手は娘を抱きしめてこんな言葉を掛けた。

「芽生ちゃん、ごめんね。メダル取れなくて悔しい? また次がんばってもいい?」

芽生さんは悔しそうに涙を流しながら「うん」と一言。2人でともに挑んだオリンピックだったことを感じさせた。

娘の応援を受け、その後もオリンピックでの挑戦をつづけた中山選手。残念ながらメダルという目標を達成することはできなかったが、決してあきらめることはなかった。

私のオリンピックには必ず芽生がいて、娘に今までの集大成として5回目のオリンピックを生で見てもらいたいという気持ち。それが一番のモチベーション」(中山選手)

そんな母について、20歳になった娘はこう語る。

「やっぱり5回オリンピックに出るって普通ではないので、母の姿は本当に誇りです」(芽生さん)

キャリア24年目で迎える東京オリンピックは集大成。しかし 2020年3月、中山選手に“異変”が起こっていた。

◆突然の病「選手として終わったな」

「いつも撃っている感覚とはまったく違うような筋肉の動きというか、スムーズな動きができなくて、最終的には引き金が引けないという状況が続いてしまいました。選手として終わったなと思いました」(中山選手)

突然、引き金が引けなくなってしまった。当初は心因性のイップスを疑ったが、何を試しても改善しない。そして2020年6月、異変の原因が判明する。

動作特異性局所ジストニア。脳からの指令に異常が起こり、無意識に筋肉がこわばってしまう脳の病で、繊細な反復運動を行う音楽家や書道家などに多く発症するといわれている。担当した医師は「脳の手術が必要」と話した。

これを受け、家族は中山選手にオリンピックを諦めるよう説得したという。当時の思いを、芽生さんが振り返る。

「さすがに脳の手術だったので、万が一のこともよぎってしまって、『ちょっとそれは応援できないかもしれない』という気持ちは伝えました」(芽生さん)

家族の反対に加え、手術が成功してもベストパフォーマンスに戻る保証はない。それでも中山選手は手術を決断する。

「とにかく今の状態から抜け出せるのであれば、“手術”という2文字に頼るしかない。病気で辞めるとかではなく、選手として最後まで全うしてやり切って辞めたいという意思を伝えました」(中山選手)

中山選手には、東京オリンピック出場にこだわるもうひとつの理由があった。

実は、娘が大学生になるタイミングで再婚していたのだ。相手は、同じ競技で東京オリンピック代表の大山重隆選手。新種目の「混合トラップ」には、夫婦で出場することが決まっていた。

「手術に関しては、夫として考えた方がいいのか、それとも射撃のパートナーとして考えた方がいいのかすごく悩みました。でも、彼女が『自分と出たい』という気持ちもあったので、支えてあげたいと思いました」(大山選手)

夫婦で出場するというモチベーションもあったからこそ、オリンピック出場を諦めたくなかった。

「最後のオリンピックは、家族3人で挑みたい」――2020年7月、中山選手は手術を受ける。すべては、東京オリンピックのために。

◆手術であらわれた体の変化「すごく苦しみました」

術後、その影響は体の感覚の変化にあらわれた。

右半身の感覚が抜けてしまい、バランスを取るのが困難に。足を引きずることやぶつけてアザを作ることもしょっちゅう。右手が上手く使えず、以前のように文字を書くのも困難な状態だった。

退院するとリハビリを開始。地道なトレーニングで右半身の機能回復に努め、手術の18日後には射撃場での練習を再開する。

「左の脳を手術しているので、右半身が言うことを聞かないじゃないですけど…。軸がぶれてしまったり、銃を構える時も体が傾いてしまったり。どうしても目で見る感覚と脳からの指令で引き金を引くタイミングにタイムラグが発生してしまって、すごく苦しみました」(中山選手)

以前のように撃つことができない。練習スコアは25枚中20枚にも届かず、かつての自分と程遠い状態だった。

◆「私はオリンピックを逃がさない」

そんななか、東京オリンピックの本番会場でテスト大会が行われる。

病気のことをごく一部の人にしか明かしていなかった彼女は、結果が出なければオリンピック代表を辞退するという覚悟で挑んだ。

その結果、手術からわずか10カ月後にもかかわらず、混合トラップで思いもよらぬ復活優勝。オリンピック本番へ自信を取り戻した。

やっぱり私はオリンピックを逃がさないし、オリンピックも私を逃がさないんだなと再認識をして、オリンピックに出場してもいいんだなって(思いました)」(中山選手)

苦難を乗り越え、たどり着いた東京オリンピック本番。個人戦が終了後、中山選手は夫とともに集大成の舞台に立った。

無観客開催のため、一番見せたかった娘の姿はない。テレビ中継もなく、試合の状況を確認できるのはインターネットだけだった。

「ずっとその日はソワソワしていて、やっぱり現地で見られないのと、正確な速報が手元にないので、スマホを片手にことあるごとに更新ボタンを押し続けていました」(芽生さん)

そんな娘から試合前、次のようなメッセージが送られた。

「大好きな大好きなママとしげちゃん、同じ空で繋がっています。声援が届くといいな。最後まで突っ走れ!一発入魂 めい」

中山選手の腰には、娘の手作りのお守り。引き金を引く人差し指の爪には「mei」の名前が。離れていても、同じ空の下で繋がっていた。

◆家族3人で起こした奇跡

夫婦で出場した「混合トラップ」は、男女が交互に25発を3ラウンドずつ撃ち、標的を撃ち落とした合計枚数で競う競技。

過酷な暑さのなか、中山選手は引き金を引き続け、次々と標的を撃ち落としていった。

ノーミスで迎えた1ラウンド目最後の1発も見事的中させ、25発パーフェクト。会心の笑みがこぼれた。

実はそんな中山選手の背中を押したのは、芽生さんの存在。試合のインターバルでこんなメッセージを送り合い、喜びを分かち合っていた。

芽生さん:「満点おめでとう。いい位置につけてるね!!」
中山選手:「またまたやったぜ!」
大山選手:「かっけーわ」

彼女だけは試合に一緒に参戦させていたんですよ。試合会場にいなくても一緒に戦いました」(中山選手)

そして暫定9位で迎えた最終ラウンド。中山選手は夫とアイコンタクトを交わした。

「最後満点しかないのは分かっていたので、お互いの目を見て『がんばろう』って」(中山選手)

夫婦ならではの息の合ったリズムで、次々とスコアを伸ばしていく。

互いにノーミスで迎えた最後の1発、まずは夫が決める。

そして中山選手も最後の1発を決め、夫婦ともに25発パーフェクト。悲願のメダルには届かなかったが、堂々の5位入賞。完全燃焼した。

明日引き金が引けなくなっても倒れても、今日最後までやり遂げるっていう気持ちがあったので、本当に悔いはまったくないです」(中山選手)

「最後2人で満点撃ったってことは、一生の思い出になると思います」(大山選手)

「すごくうれしかったです。母も父も自分の人生を背負ってやってきたので、私含め家族みんなの宝物になったと思います」(芽生さん)

東京オリンピックで起きた奇跡の物語。それは、親子3人の宝物になった。

「この山あり谷ありの私の射撃人生をみんなが一緒に共有して、乗っかってくれて、一緒に歩んでくれた。5位という形でメダルはなくとも、最高の瞬間を味わうことができた。あきらめなくてよかった」(中山選手)

大会後、国際大会への出場に区切りをつけ、一線を退くことを表明した中山選手。インタビューの最後に、今後に向けた“夢の続き”をこう語ってくれていた。

「将来夫と一緒に射撃スクールを開設して、2人で自分たちが得たものをみんなに提供しながら、役に立つような指導していきたい。そして、目標としては3人で射撃をしてみたいなと思います。娘が20歳になるので、銃の免許を取って3人で1ラウンド撃つことが目標」(中山選手)

幼い頃から射撃場に連れられ、母の背中を見て育った芽生さんもまんざらではない。2012年の取材(当時10歳)では、おもちゃの銃で射撃の練習をする中山親子のほほえましい姿もあった。

「心の中では『格好いいな!私もやりたいな!母みたいになりたいな!』っていうのはあって。実はずっと銃の免許を取りたいと思っていたんです。今勉強している最中なんですけど、時が来れば一緒に3人で射撃ができたらなと思います」(芽生さん)

そして2022年3月、芽生さんは銃所持許可の筆記試験に見事合格。実技試験へとコマを進めた。実は、次の実技教習の指導員(試験官)は父である大山重隆さんが務めるという。

そう遠くない未来に、親子3人の“夢の続き”は実現することになりそうだ。

番組情報:『GET SPORTS
毎週日曜日夜25時25分より放送中、テレビ朝日系(※一部地域を除く)

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