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落語を楽しみ、落語で眠る。落語で涙し、落語で“時流”を考える。<アナコラム・本間智恵>

<テレビ朝日・本間智恵アナウンサーコラム>

 

◆母の影響で楽しむようになった“娯楽”

母から、贔屓の落語家の高座に誘われるようになり、落語を楽しむようになって少し経つ。

もともとミュージカルや演劇などは好きで、前回のコラムでも言及した通りエンターテインメント――今回は横文字ではなく“娯楽”と呼ぶべきか――が大好きな私。

まだまだ初心者の域を出ないが、寄席に行って一晩で複数の落語家を見たり、過去の名演を録音で聞いたりして、少しずつ知識を積み重ねているところ。

落語に触れたいとき、家を出なくても、昔ながらのテレビ・ラジオ放送もあるし、今はYouTubeやPodcastなどで気軽に聞くこともできる。

休日には落語をずっと見る時間を設けたり、ときには枕元で音声だけ流して眠りについたりもしている。

落語の魅力は、すべての登場人物を一人で演じ切るという芝居の力を堪能できることや、時代を超えた「あるある」を織り交ぜたちょっとへんてこな人間物語を、落語家と客がひとつになって盛り上げていくという、生ものとしての要素があるところだと思う。

コロナ禍では寄席に人が集まれなくなり、オンライン配信などの取り組みも行われてきたが、客の反応がない中での一席は難しかったと聞く。思った以上に、双方向な性質があるのだ。

だからこそ、時流に合わせて「笑いのツボ」も変わるし、人物の描かれ方も変わってきているという。

◆思わず涙した「たちきり」

さて先日、今年に入って二度目の落語体験へ。

「月例三三独演」、柳家三三(やなぎや・さんざ)師匠による独演会。“柳家三三らしさ”を堪能できる、登場人物の憎めない愛らしさや諧謔味、一方で真に迫る演技。

緞帳が下りた後もしばらく続いた大きな拍手と、客席から聞こえてきた満足気な溜め息が、その夜の素晴らしさを表していた。

この日最後の演目は「たちきり」。

「たちきり」とは、芸者と遊ぶ代金を、線香が燃えつきる時間で換算したことに由来する。一本の線香が立ち切れると終わりの合図、延長したければ線香を追加する。「たちきれ」、「たちぎれ線香」などと複数の呼び方が存在し、落語家によって内容も雰囲気も大きく変わる上方落語発祥の噺だ。

冒頭は、面白おかしい展開から始まる。家の金を使い込んだとある商家の若旦那に対し、親戚一同が集まって、どう改心させるか、次から次へととんでもない案が飛び出す事態になっていた。

逆上する若旦那に番頭が命じたのは、その日からいきなり百日間の蔵住まいをすることだった。だが、若旦那も根っからの悪い奴ではない。家の金に手を付けたのは、ある芸者に入れあげて毎日向島に通っていたからで、芸者のほうも若旦那を本気で愛していた。

燃え上がっていた若いふたりが、突然会えなくなり…。事情を知らない芸者は若旦那を想い何通も何通も手紙を送るも、番頭が棚に仕舞い込んで渡されることはなかった。そして百日が経ったとき、若旦那が知る事実とは…。

終盤、蔵から出た若旦那が置屋の女将と語らうシーンでは、会場が一体となって息をのんで引き込まれる展開に。まさに涙を誘う人情噺、心に沁みた! そう、落語は、わっはっはと笑える話だけではないのだ。

「忘れられないよ、忘れられるわけないだろう、もう一度会いたいよ…」胸に迫る台詞に思わず涙。女将による、感情を押し殺した中に芸者への愛が滲む語り口にもぐっと来る。

◆落語と“女性”

さて、さきほど落語は生もので、時流に合わせて変わっていくものと書いた。

そもそも落語の世界は男性の噺家ばかりで、登場人物にもご隠居、番頭、旦那、熊さん、八つぁん、与太郎…などと男性が多い。

出てくる女性は、「誰かのおかみさん」のように属性ありきの存在だったり、「色気のある遊女、だが控えめ」、「口うるさいけど結局駄目な亭主を許してくれるおかみさん」など男性の理想を押し付けたような存在だったりと、男性の登場人物の描かれ方とは違う印象で、そもそも多様な女性が出てこない。

そして、このご時世、ジェンダー的にアウトと言わざるを得ない噺もたくさんあるし、「その揶揄は笑えない」と思うこともしばしばある。客席がどっと受けていても自分だけついていけず残念に思うこともあれば、静まり返った「ドン引き」の空気に安堵することもあった。

芸人として敏感である人であればこそ、伝統をつないでいく中で、時流に合わせた笑いの新たな道を追求しているのだろう。

先日、「二つ目」(真打ちのひとつ前にあたる階級)の林家つる子さんのドキュメンタリーを見る機会があり、男性だらけの落語界で女性視点での落語ができないか取り組んでいる姿を拝見した。落語家側にも登場人物にも、もっと多様な人がいると示すことで、安心して楽しめる人が増えるのではないか。

誰かを貶める笑いの是非が問われる今、より多くの人に受け入れられ、楽しまれる娯楽とは何か。落語好きとして、良きところを継承しながらも広がっていく世界に期待しながら、これからも寄席などに足を運んでいきたい。

<文/本間智恵、撮影/矢島悠子

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