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80年代に“コント赤信号”で大人気に!小宮孝泰、修業したストリップ劇場は「知的レベルが高いんですよ」

1979年、明治大学の同期だった渡辺正行さん、テアトル・エコーの研修生として知り合ったラサール石井さんとともに3人で「コント赤信号」を結成し、コント活動をはじめた小宮孝泰さん。

ストリップ劇場(道頓堀劇場)で修業し、『笑ってる場合ですよ!』(フジテレビ系)、『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)など多くのバラエティ番組に出演。MCハマーのパロディーである「MCコミヤ」としても人気を博す。

1990年代以降は、俳優としての活動がめざましく、ドラマ、映画、落語、独り舞台、舞台プロデュース、英語劇などに精力的に取り組み、幅広い分野で活躍。主演映画『桃源郷的娘』(太田慶監督)が、1月21日に公開されたばかりの小宮孝泰さんにインタビュー。

 

◆授業中に落語の本を読んでいたのが見つかって

マルチな才能を発揮している小宮さんだが、小さい頃は引っ込み思案でおとなしい子どもだったという。

「僕は小学校1年生のときから眼鏡をかけているので、メガネをかけていない写真は幼稚園くらいまでしかないんだけど、その頃の写真は必ずうつむいているの。それくらい引っ込み思案で目立たなかったしね。

それが小学校4年生のときに『毎日のドリル』というのを毎日やっていたらメキメキと成績が良くなって、それまで目立たない人だったのに、学級委員長をやるような人になっちゃって(笑)。

ちょうど『シャボン玉ホリデー』(日本テレビ系)とか『コント55号』が出て来た頃で好きだったので、見ているうちに、マネしてみたいなと思うようになったんでしょうね。結局それで、高校で落研(落語研究会)を作ったの」

-落語との出会いは?-

「『シャボン玉ホリデー』で視聴者からコントを募集していて、中学生のときに書いてみようかなと思って本屋さんでコントの本を探したけどなかったんですよ。

そのときに『落語家30人集』という本があったので、お笑いだからいいかなと思ってその本を買いました。当時ものすごい人気があって好きだった(五代目 月の家)圓鏡さんの『無精床』という落語がとてもおもしろくてね。

中学3年生の秋頃、それを授業中に読んでいたら、先生に見つかって『落語ができるのか?』って聞かれたから、『できるかもしれませんね』って言ったら、『だったらやってみろ』と言われて授業中にやったらできたんですよ(笑)。

それで、謝恩会とか卒業式でやったりしているうちに、落語にのめり込むようになって高校では落語研究会を作ることに。

だから、『シャボン玉ホリデー』のおかげでコントを書こうと思って、落語の本を買って授業中に読んでいたら先生に見つかって、普通なら怒られるところだけど、『ちょっとやってみろ』と言われたのがきっかけみたいなところはありますね」

-高校で落語研究会を作って、大学でも?-

「そう。大学に入ったら違うことをやろうかと思ったんだけど、何かやっぱり入っちゃったんですよね。

そうしたらそこにのちに『コント赤信号』のリーダーになる渡辺正行がいて、噺家になる立川談幸がいて、それより何より二つ上に(立川)志の輔さん、そして、さらに二つ上に三宅裕司さんがいるという落研で、今考えたらすごいメンバー(笑)。

自分は高校で少しうまくいっていたから、ちょっと得意になっていたんだけど、その落研にむちゃくちゃ落語がうまい人たちがいて、『だめだ、これは。すごいや、この人たち』と思って。

僕は大学まで小田原から通っていたので、通学に往復3時間近くかかるわけですよね。その間本を読むしかないから、いっぱい本を読んだんですよ。そのうちのかなりの分量が大好きな井上ひさしさんの本だったんです。

それで、井上ひさしさんが『劇団テアトル・エコー』にいるというので、『よし、じゃあ俺はそこに行ってやってみよう、俳優になってみたい』と思っちゃったんですよね。落語家さんになろうとは思わなかった。修業が厳しそうだったから(笑)」

-小宮さんがテアトル・エコーに入られたときには、もう井上ひさしさんはいらっしゃらなかったとか-

「そうなんですよ。ちょっとがっかりでしたね。テアトル・エコーは声優さんが多いから、普通の舞台で山田康雄さんがルパンの声で『なんちゃってー』ってやっているのを見て、『これはちょっと違うなあ』って(笑)。

それで、つかこうへいさんとか、『劇団東京ヴォードヴィルショー』、『東京乾電池』、唐十郎さんの『状況劇場』、『黒テント』などいろいろ見ているうちにだいぶ刺激されて、『声優じゃなくて、普通に役者がやりたいんだよなあ』と思って」

※小宮孝泰プロフィル
1956年3月11日生まれ。神奈川県出身。1979年、渡辺正行さん、ラサール石井さんと「コント赤信号」結成。「暴走族コント」や「ササニシキ」をはじめ、多くのネタで人気を博し、『笑ってる場合ですよ!』、『オレたちひょうきん族』、『笑ってポン!』(TBS系)などバラエティ番組に多数出演。30代から俳優としての活動がメインに。2004年、文化庁文化交流使としてロンドンに演劇留学、英語の一人芝居にも挑戦。映画『釣りキチ三平』(滝田洋二郎監督)、映画『星屑の町』(杉山泰一監督)、『相棒』(テレビ朝日系)、舞台『星屑の町』など、映画、ドラマ、舞台などで活躍中。2018年には、42歳の若さで亡くなった愛妻との出会いから別離までを愛をこめて綴ったエッセイ『猫女房』を出版。主演映画『桃源郷的娘』が公開中。

 

◆ストリップ劇場でコントの修業の日々

1979年、小宮さんは、明治大学の同級生だった渡辺正行さんの誘いを受け、テアトル・エコーの養成所で一期上だったラサール石井さんと3人で、お笑いトリオ「コント赤信号」を渋谷道頓堀劇場で結成。杉兵助さんの元で修業することに。

「僕とリーダー(渡辺正行)はテアトル・エコーの劇団員になる試験に受かっていたんですけど、お笑いも好きだったし、先輩が『ストリップ劇場でコントをやらないか』ってストリップ劇場を紹介してくれたので、そっちを選びました。

僕はお仕事をもらったりしていたからちょっと悩んだんだけどね。『芸人って僕に向くのかな?』って。ちょっと生真面目な部分もあるし、ずっとおもしろいことを言っているようなタイプではないし。

石井くんはテアトル・エコーで一個先輩なんだけど、『俺も入れてくれない?』と言うから3人でやることになって。

ストリップ劇場に入ったとき、ずっと『石井さん』って呼んでいたんだけど、『石井さんて呼んでいるとめんどくさいから、これからは石井でいいかな?石井さん』って言って、次の日から石井になるというのがあって(笑)」

-ストリップ劇場で実際にやってみるといかがでした?-

「いっぱい教わったけど、大変なこともいっぱいありました。修業という部分もそうだし、劇場では1番下っ端だから、掃除、事務所番、怖そうな人がいっぱい入ってくるのを眺めながら下働きをして。

お客さんは劇場にストリップを見に来ているんですからね。なかなかウケない。というか、みなさん『女の人の裸を見に来ているんだから大変でしょう』って言うんだけど、意外とそうでもないんですよ。

渋谷の道頓堀劇場は、営業マンが結構多くて知的レベルが高いんですよ。だから、新しいギャグを言ってもウケないときの方が多いんだけど、5、6回に1回くらい結構ウケるときがあるんですよ。『あっ、これはまともなことを言っても大丈夫だ』とか。

あとはうちの師匠、杉兵助からは『頭でっかちなことはダメだから、たとえば石油缶で頭を叩くとか、そういうことをやるんだよ』って言われて、『古臭いなあ』と思ったけど、やっぱりそういうことの方がちゃんとウケるんですよね(笑)。

芝居をやっていただけにセリフでなんとかしちゃおうとするんだけど、そういうことじゃなくて、本当のこと、『痛いなら痛いということしか通じないんだ、とくにこういう場所では』ということが身に染みてわかるようになりました。

それにちょっとだけ知的レベルも足していけばというようにウケるコツみたいなことが、徐々に少しずつわかってきて。

そんなことが合わさって、ゆーとぴあさんに呼ばれてよそのライブに出ることになって、何かネタを作らなきゃいけないというのですったもんだしているときに作ったのが、あの暴走族のネタですよ。

あと、杉先生には笑いの間とかセンス、『知識は浅く広く持て』とか、いろんなことを教わりました。ベタですけどね(笑)。

それで杉先生が、『花王名人劇場』(フジテレビ系)のプロデューサーの澤田隆治さんを呼んで来てくれて、澤田先生に『コント赤信号を番組に出す』と言われたんだけど信じられませんよね。

だって、『名人』ですよ。『ストリップ劇場でまだ誰もおもしろいとも言ってない人が出られるんですか?』という感じだったんだけど、実際に出られることになっちゃって(笑)。

だけど、テレビに出るようになったら今度はネタをどんどん作らなくちゃいけなくなって。自分たちだけで作っても試せないじゃないですか。

道頓堀劇場には僕らの次の後輩が入っていたんだけど、劇場だとネタを試せるから、僕らもときどきというか、かなり出るという感じで、道頓堀劇場にはテレビに出はじめてからも1年半くらいいましたね」

 

◆バラエティ番組のひな壇は苦手、俳優業にシフト

1982年、コント赤信号は、『笑ってる場合ですよ!』、『パリンコ学園No.1』(TBS系)、『オレたちひょうきん族』など多くのバラエティ番組に出演することに。

「『笑ってる場合ですよ!』は、月1ネタというコーナーに出させてもらって、それに出られるということは、結構有望だということなんですよね。

似たようなものばかりじゃダメだから、一生懸命ネタを作らなくちゃいけなくて、それで『ササニシキ』というネタをやったら、『笑ってる場合ですよ!』で驚異的にウケたんですよ。

仲間たちからも褒められて、『これおもしろいネタじゃないか』って言われて。要するに芝居っぽくはじまったんですよね。ちゃんと音楽をかけて。昔はそういうのがなかったからね。

今は音楽をかけてやらせてくれるじゃないですか。昔はそんなのは許されなかった。用意してくれないし。

それですごいウケたから、ストリップ劇場に戻って同じのをやろうということでやってみたら、シーンとなってまったくウケないんですよ。それがもうおかしくてしょうがなくて(笑)。そのお客さんたちにはこのネタが合わないというだけのことなんだけどね。

これで僕は天狗にはならないなって。ギャップがわかっているから。そんな時期が、テレビに出てからも2、3年は続いていました。

でも、さらに2、3年したら、ほかの芸人の方と比べられることも結構多くなって、とくに僕はあまりひな壇の芸人らしきことが得意じゃないし、『一生懸命ネタをやってネタを見せればいいじゃん』って思っていたんですよね。

あと役者志向が強かったので、芝居をやりたいという思いが最初からあって、テレビデビューしてから4年後くらいの28歳のときには芝居をはじめているんです。

それで僕は30歳くらいからは、かなりそっちに軸足を置き変えているので、『コント赤信号』でバーッといったからといって、芸の上での勘違いはしてなかったと思います」

俳優としての活動にシフトを置きはじめた小宮さんは、大河ドラマ『炎立つ』(NHK)、舞台『星屑の町』をはじめ、多くの作品に出演することに。

次回は亡き妻・佳江さんとの出会いと結婚、ロンドン演劇留学も紹介。(津島令子)

©太田慶

※映画『桃源郷的娘』
2022年1月21日よりアップリンク吉祥寺ほかにて全国順次公開
配給・宣伝:アルミード
監督・脚本・編集:太田慶
出演:小宮孝泰 川越ゆい 永里健太朗 ヘイデル龍生 三坂知絵子
川端康成の『眠れる美女』をモチーフに、アナーキー老人の爆走する性と妄想力を描いた艶笑コメディ。老浮浪者(小宮孝泰)は公園のベンチで居眠りをしている娘(川越ゆい)に恋をした。だが、彼はすでに男性機能を失っていて…。

※『猫女房』著者:小宮孝泰
42歳の若さで、がんで先立った妻・佳江さんとの出会いから別離までを愛情をこめて綴ったエッセイ。「がんと過ごした日々」を詳細に記し、夫を気遣い、たくさん遺してくれたメッセージと猫の写真を散りばめながら夫婦の日常・思い出の中に医師の選択と治療、在宅医療と在宅死の問題も丹念に描く。

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