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吉行和子、経験できなかった“家族団らん”。母・あぐりさんが90歳を過ぎてから「はじめて母娘になった」

大島渚監督の映画『愛の亡霊』で女の情念を圧倒的な存在感で演じた吉行和子さんは、日本アカデミー賞をはじめ、多くの賞を受賞。

父・エイスケさんは詩人で作家、母・あぐりさんは美容師の草分け的存在で97歳まで現役の美容師として活動。兄・淳之介さんと妹・理恵さんはともに芥川賞作家。才能豊かで華やかな一家だが、小さいときから家族団らんはなく、家族が集まって相談して何かを決めるなどということはなかったと話す吉行さん。

家族団らんの雰囲気を味わったのは映画。山田洋次監督の『家族はつらいよ』シリーズ3作に、その前の『東京家族』も入れると4作品、同じメンバーで家族を演じて疑似体験をしているみたいだったという。

©J&B30製作委員会

◆脚本家・小山内美江子さんが手紙で「初心に戻って」と…

『愛の亡霊』の翌年、1979年に吉行さんは、トータルすると32年にわたって放送されたドラマ『3年B組金八先生』(TBS系)に出演することに。

「金八先生の脚本家の小山内美江子さんは、民藝の映画社というところにいらして、真面目な私が好きだったのね。ところが、劇団を辞めてからの私はアングラ演劇や『愛の亡霊』に出たりで、『本当にあの人はどうなっちゃうんだろう?』と思ってハラハラして見ていたんですって(笑)。

それで、金八先生がはじまるときに(小山内)先生からお手紙をいただいたんだけど、『初心に戻ってやってください』って書いてあったの。私はわざとのように『愛の亡霊』だけじゃなくて、テレビでも悪女みたいなのがやりたくてしょうがなくてやっていたんですよ。

それを見て先生はハラハラしていたらしくて、真面目な先生の役を下さったんです。最初は先生でその後もいろいろなことで関わってくる大切な役でしたね」

吉行さんは家庭科担当で3年D組の担任の池内友子先生役で、独身時代の金八先生を実家兼雑貨屋に下宿させているという設定だった。

「家庭科の先生だけど授業のシーンはなかったのよね。だから金八先生の下宿先のおばさんと覚えられているみたい(笑)」

-金八先生は32年も続きましたね-

「そんなに長く続くなんてわからなかったですよね。後半は出なくなりましたけど。だから金八先生は、私が学校を辞めてからも子どもたちのことを預かって何かしたり…、金八先生だけは真面目路線で(笑)。

あとはそんなに数は出ていないけれど、わりと評判になった『ふぞろいの林檎たち』(TBS系)に出て、ちょっとおもしろい役が5作くらい続いたのかしら? なんかだんだんおもしろい役の人になってきて、それから『ナースのお仕事』(フジテレビ系)があって」

-やはりやっていておもしろいのはクセのある役の方なのでしょうね-

「そうですね。やっぱりそういう役の方がおもしろいですね。『やってやろうじゃないか』って思っちゃうの(笑)」

2000年代に入ってからも主演映画が多く、『折り梅』(松井久子監督)、『佐賀のがばいばあちゃん』(倉内均監督)、『燦燦−さんさん‒』(外山文治監督)、『御手洗薫の愛と死』(両沢和幸監督)、『雪子さんの足音』(浜野佐知監督)と続いた。

-年齢を重ねられてからこれだけ主演作が多い女優さんというのは珍しいですね-

「そうですね。『何でもやる』っていうのがあるからだけど、年を取ってきてからいろんな賞をいただくんですよね。

そうすると、授賞式ではそれまでの出演作品の映像を流すじゃないですか。あるとき加賀まりこさんと一緒に賞をいただいたんです。そのときに加賀さんは次から次へと信じられないくらい可愛い映画が流れるんですけど、私は信じられないくらいおばあさんからはじまって(笑)。

『折り梅』の認知症のおばあさんからはじまって、出てくるのは全部おばあさん。つくづく自分の人生ってこういうのだったなぁと思いました(笑)。

でも、私はいろんな役をやっているときが一番楽しくて。人によっては早く仕事を終えてカラオケに行ったほうが楽しいとか、麻雀をした方が楽しいという人がいっぱいいるんですけど、私は何も楽しくなくて、何か役をやっているときが一番楽しいんですね。

だから、そういう意味ではこんな年齢まで楽しませていただけて、本当に恵まれていると思います」

 

◆山田洋次監督映画で家族団らんの疑似体験

2013年、山田洋次監督が、名匠・小津安二郎監督の映画『東京物語』(1953年)にオマージュを捧げた映画『東京家族』に出演。2016年には同じスタッフとキャストで映画『家族はつらいよ』、2017年に『家族はつらいよ2』、2018年に『妻よ薔薇のように 家族はつらいよIII』が作られた。

-本当の家族みたいな感じですね-

「そうですね。あれは本当におもしろかったです。『東京家族』とは全然違う話なのに、『家族はつらいよ』という作品ができたのはおもしろかったなあと思います。

『東京家族』では、私は死んでしまいますからね。だから、山田監督が『東京家族』が終わって、『また何かやりたいね』っておっしゃったときには、『私はもう死んじゃっているから遺影だな』とか思っていたら、全然違う話になったから良かったです。

我が家はみんながそれぞれ好き勝手なことをしている感じで、お誕生日を祝ってもらうとか、お正月におせちやお雑煮をみんなで食べるというようなことがまったくありませんでしたからね。家族団らんというのを映画ではじめて経験させていただきました。家族の味というものをはじめて感じることができたので、ありがたいですね」

-本当に皆さんとてもいい感じですね-

「そうですね。出演者の人たちがみんな何かある意味大変マイペースの人たちで、すごく自由に役者稼業をやっている人たちが集まったんですね。だから、変に気を使うこともないし。ずっと同じメンバーでやっているので、家族の疑似体験をしているみたいでした」

-ご主人の役は橋爪功さんでしたが、ご一緒されていかがでした?-

「橋爪さんとは、その前も長く連れ添った夫婦というのを映画で2本やっていたんですね。そのときもさんざん謝ったんですよ。あの人は私よりも7歳年下なものですから、『悪いわね』って。山田監督のときも、『悪いわね、すみませんね』って言いながらやっているんですけど、気持ち的にはすごくやりやすいし、楽しいです。

末息子役の妻夫木(聡)君も本当に可愛らしくて。みんないろいろ日にちが経つと人生が変わっていっているのに、私はちっとも変わりはないの(笑)」

-コンスタントに映画に主演もされていますね。セリフ覚えが大変だとおっしゃっていましたが、いかがですか-

「今のところは何とか大丈夫で、それがバロメーターになっていますね。『雪子さんの足音』をやったときにすごくセリフも多かったので、本当に一生懸命覚えたからまったく問題なかったんですけど、相手役の寛一郎くんに『よく覚えていましたね』って褒めてもらったの(笑)。

全然問題なくひとりでにしゃべれたという感じだったので、まだ大丈夫かなって感じですけど、ときどき危なくなるときもあるんです(笑)。でも、あのとき本当につくづく長いこと私はやっているなぁと思いました。

三國連太郎さんとは何度もやっているんですよ。だから三國さんの顔というのはすぐ目に浮かぶんです。佐藤浩市さんは同じ事務所で二十歳くらいのときから知っているんだけど、一緒にやったのは『雪子さんの足音』のときがはじめてくらい。

佐藤浩市さんの顔を見ていると三國さんの顔を思い出して、三國さんと一緒にやっているみたいな感じになるんですね。それで寛一郎くんとは二人だけのシーンもいっぱいあったので、寛一郎くんを見ていると佐藤浩市さんの顔が重なって…、親子三代。

みんな目が似ているし、誰が誰だか、私の頭の中で一緒になっちゃって、寛一郎さんが佐藤浩市さんのような気になってきちゃったりしちゃうんですよ。だから、私ってすごく長くやっているんだなあって(笑)」

©J&B30製作委員会

※映画『誰かの花』
2021年12月18日(土)~24日(金)横浜シネマ・ジャック&ベティで先行公開
2022年1月29日(土)より渋谷ユーロスペースほか全国順次公開
配給:GACHINKO Film
監督:奥田裕介
出演:カトウシンスケ 吉行和子 高橋長英 和田光沙 村上穂乃佳 篠原篤ほか

◆コロナ禍での撮影を全うしようと一致団結

横浜シネマ・ジャック&ベティ30周年企画映画『誰かの花』の全国公開が控えている吉行さん。

この映画で演じたのは、主人公(カトウシンスケ)の母親で、認知症の夫(高橋長英)を介護しながら団地で暮らす主婦。強風吹き荒れるある日、団地のベランダから落ちた植木鉢が住民を直撃する事故が起き、その事故を巡って人々の思いが交錯していく。

「これは本当に普通のお母さんだなと。だけど、いかに普通のお母さんが大変な思いで過ごしているんだろうというのが、とてもよくわかる作品で、良い本だなあと思いました。やっていてもおもしろかったですね」

-ベランダから鉢植えの花が落ちて住人を直撃、夫の手袋にはなぜか土がついています-

「もしかするとお父さんじゃないかとすごく思っていると思うのね。でも、確信はないし、誰にも相談できない。ともかくそんなことはもう忘れて、今の生活を楽しく生きようじゃないかと思って生きているお母さんというふうな感じでやっていました」

-みんなが疑惑を抱きながら…、というのがスリリングな感じでした-

「そうですよね。すごくスリルがある話だなと思って。疑うところはいっぱいあるんですよね。土がついた夫の手袋を洗いながら途中でイヤになって捨てちゃったりね。そういう思いをいっぱい抱えながら健気(けなげ)というか、たくましくというか、こうやって生きている女の人っていっぱいいるんだろうなって思いました」

-撮影で印象に残っている事はありますか-

「ともかくコロナがまだまだ多かったですから、みんなビクビクしながらの撮影でした。それがある意味、良い方向にいったんじゃないでしょうか。みんなが何とかして撮影を全うしたいと一致団結みたいになって、そういう気持ちが作品には役に立ったと思います。

本当に大変でした。1時間ごとぐらいにドアを開けて空気を入れ替えて、もちろん本番以外はみんなマスクをしていましたしね。

実際のお宅をお借りして撮影をしていたんですけど、だからそういうのでも、ある意味プラスになっていますね、作品には。みんなが寄り添って頑張っているという感じで。公開できることになって本当に良かったです」

戦前から美容師として活躍し、連続テレビ小説『あぐり』(NHK)のモデルになった吉行さんの母・あぐりさんは、2015年に107歳で亡くなられたが、90歳を過ぎてから二人でよく海外旅行にも出かけていたという。

「母が90歳で義父が亡くなったあと、91歳から一緒に海外旅行に出かけるようになって、メキシコに行ってそれを機に、はじめて母娘になった気がしました。

はじめて二人で一緒の部屋に寝て、はじめて二人で一緒に食事をとって…。私は毎年海外旅行に行くのが楽しみだったんですけど、それから毎年一緒について来るようになっちゃって(笑)。

とにかく好奇心が強くて、何を見てもおもしろがるの。母はこんなにおもしろい人だったんだということをはじめて知りました。『はじめてのものを見ると、75日生き延びるのよ』というのが口癖でね。楽しい生き方のいいお手本を残してくれたと思います」

父・エイスケさん、兄・淳之介さん、妹・理恵さんが早逝し、母・あぐりさんも2015年に107歳でこの世を去り、ひとりになった吉行さんは、すでに終活も準備万端で、棺の中に入れるものも全部決めているという。

「私の場合はひとりですからね。誰もいないので、人に迷惑をかけちゃいけないと思うから、なるたけ私ができる限りのことはしておいて、私が死んだらこうやってねって人に頼んでいるんです。棺に入れるものも決めて、遺言書も書いて。あとは全部処分していいからって」

-今後はどのように?-

「映画は好きですから、お話があれば喜んでやりたいです。とにかくめんどくさがりで、自分の日常生活を楽しくしたいとかっていうのがほとんどなくて、仕事で外に出て何かやっているのが一番好きなんですよね。役に扮しているときだけが楽しい。だから女優という職業につけて本当に良かったと思っています。

役者って誰かが役をくれない限りどうしようもないから、どこかの誰かが私におもしろいなって思える役をくださることを願いながら過ごしていて、そのときに歩けてセリフが覚えられるようにと、スマホを持って何歩歩いたかというのはやっています。

そうやっておけば、見てくれはもうどんどん、どうしようもないんだから、そんなのでも良ければどうぞって感じ(笑)。やらせてもらいたいです」

仕事も私生活も潔くてカッコいい。これからもスクリーンでいろんな役にチャレンジしてくれることを期待している。(津島令子)