加賀まりこ、20歳で女優を一時休業。単身訪れたパリで学んだ“人間の一番大切なこと”
高校在学中、17歳のときに篠田正浩監督と寺山修司さんに路上でスカウトされ、1962年に『涙を、獅子のたて髪に』(篠田正浩監督)で映画デビューした加賀まりこさん。
『月曜日のユカ』(中平康監督)、『乾いた花』(篠田正浩監督)など映画をはじめ多くのテレビ・CMに出演し、小悪魔的なルックスと歯に衣着せぬ発言が話題に。
20歳のときに半年間休業してパリで過ごしたあと、劇団四季の舞台『オンディーヌ』に出演。以降、映画『泥の河』(小栗康平監督)、『花より男子』シリーズ(TBS系)、『やすらぎの郷』(テレビ朝日系)など多数出演。
“カッコいい女優”として同性からも圧倒的な支持を集め、11月12日(金)には54年ぶりとなる主演映画『梅切らぬバカ』(和島香太郎監督)が公開される加賀まりこさんにインタビュー。
◆小学生のときからひとりで美容院へ
映画会社「大映」のプロデューサーを父にもち、12歳上の兄も「松竹」のプロデューサーという芸能一家で育った加賀さん。
東京・神田で生まれ、8歳からは神楽坂育ち。小さい頃からカッコいいと思ったことはすぐ実行に移さなきゃ気が済まないおませな子だったという。
-小さい頃から自立心が強かったそうですね-
「そうね。幼い頃から大人に囲まれて育ったせいかおしゃまでしたね。生意気な子どもだったと思う」
-小学生のときにオードリー・ヘプバーンの髪型に憧れてひとりで美容院に行かれたとか-
「そう。『ローマの休日』を見て、オードリーのショートカットにしようと思ったの。家の近くは芸者街だから、芸者さんがお座敷の前に髪を結いに行くような美容院だったのね。だから違うなと思って伊勢丹に行ったときにちょっとおしゃれな美容院があったから、『オードリーになるのは伊勢丹だわ』と思って行ったの。『オードリー・ヘプバーンにしてください』って」
-小さな女の子がひとりで行ってお店の人もびっくりしたのでは?-
「そんなに小さくもないでしょう? 小学校の5、6年生だから。でも、そのときに偶然隣の席にいらしたのが二代目尾上松緑さんの奥様で。私が女優になってからお目にかかったときに、『あなたとはよく伊勢丹の美容院でお目にかかったわね。小さいのにいつもひとりで美容院にいらして、このお嬢さんはしっかりしているわって思ったのよ』と言われて驚きましたけど」
小学生のときから神田神保町の古本屋街に通い、はじめて買ったのは『マルキ・ド・サド選集』(澁澤龍彦訳)だったというから驚く。
「父や姉と兄もよく本を読んでいたので感化されて私も読むようになったんだけど、小学生でお小遣いもそんなにないから神保町の古本屋さんで立ち読みをして、帰るときにページの端をこっそり折っていたの。
お店のおじさんもそれを知っていて見逃してくれていたんだと思うけど、『マルキ・ド・サド選集』のときだけはダメだった。『その本はダメ! 折り目をつけたら買いなさい』と言われて。そうそう売れる本じゃなかったのかしらね。それで次の日に貯めていた小銭をかき集めて買いに行きましたよ。小学6年生のときでしたね」
-お父さまが映画プロデューサーですしお兄さまもということですが、スカウトされたりは?-
「ないない。全然ない。全員が裏方の仕事をしている家なので出たいなんて思ったこともないし、まったく興味もなかった。子どもの頃から有名な人が家に来ているのをいっぱい見ていたけど、羨ましいとかそんな感覚はなかった」
※加賀まりこプロフィル
1943年12月11日生まれ。東京都出身。1962年、『涙を、獅子のたて髪に』(篠田正浩監督)でスクリーンデビュー。映画『月曜日のユカ』(中平康監督)、映画『美しさと哀しみと』(篠田正浩監督)、『陽炎座』(鈴木清順監督)、『麻雀放浪記』(和田誠監督)、ドラマ『澪つくし』(NHK)、『花より男子』シリーズ(TBS系)、『やすらぎの刻~道』(テレビ朝日系)など映画・ドラマに多数出演。1981年に映画『泥の河』(小栗康平監督)でキネマ旬報助演女優賞。2011年に映画『洋菓子コアンドル』と映画『神様のカルテ』(ともに深川栄洋監督)で第24回日刊スポーツ映画大賞・助演女優賞を受賞。2021年11月12日(金)には『濡れた逢びき』(前田陽一監督)以来、54年ぶりの主演映画『梅切らぬバカ』(和島香太郎監督)の公開が控えている。
◆17歳のときに路上でスカウトされ女優に
中学時代は陸上部に所属し、2年生のときには走り幅跳びで都大会優勝も経験。高校生になると行動範囲も広がり、六本木や麻布で遊ぶことが多くなったという。
1960年、六本木・飯倉片町にあるビルの地下に「レストランキャンティ」がオープン。キャンティは当時の日本には見られなかったスタイルの店で、自立した個性をもった人々が多く集まり、各界著名人が利用する伝説のレストランとして知られることに。
「あのお店は私が17歳のときにオープンしたのよ。キャンティのオーナー夫妻の息子2人とはよくボウリング場で会っていて、『こんにちは』っていう程度の知り合いなんだけど、『今日、僕のおやじとおふくろが店を出すんだけどオープニングだから来ない?』ってみんなに声をかけていたのね。それで10人以上で行ったんじゃないかな。
まだオープニングだからそんなに有名な店になるとは思っていなかったんだけど、そこに来ている面々を見て、『私の家に来たことのある有名人とは質が違うわ』って。つまり質の違う文化人がいることがおもしろかったというか興味を引いたし、その人たちの話が聞きたいと思った」
-刺激的な方たちと出会っていろいろなことを吸収されて-
「吸収したかどうかわからないけどおもしろかった。女優の仕事をするようになってからも撮影が終わると大船の撮影所からいつも夕ご飯は我慢して、一気に帰って来てキャンティで食べて帰るという感じだったわね」
加賀さんが女優の仕事をはじめたのは高校在学中の17歳のとき。映画のヒロイン役の女優を探していた篠田正浩監督と寺山修司さんに路上でスカウトされたのがはじまりだったという。
「いつものように神楽坂を歩いていたときに、2人の男性に呼び止められて。2人は映画の脚本を書いている寺山修司さんと松竹の監督をしている篠田正浩さんだと名乗ったあと、『今度僕らが撮る映画にあなたに出て欲しいんです』って言われて。
私は映画に出る気なんてまったくなかったんだけどね。理由を聞いたら、主人公を演じるのは当時のトップアイドルでシンガー&俳優の藤木孝さんに決まっていたんだけど、その少し前に所属していた事務所をやめたことで横やりが入り、主演候補の女優さんたちがみんな降りちゃって困っているんだと言うわけ。
それで私に出てくれないかと言うんだけど、私みたいな少女に大の大人が一生懸命語っちゃうほど切羽詰まっているんだなと思って、この大人たちは信用できると思ったから、『父親に相談してお返事します』と言って。
父に話したら、『君が出てあげることで映画が撮れるんだったら、それはやってあげるべきでしょう。僕がもしその状況ならきっと同じお願いをするだろうね』ってOKが出たから出ることにしたの。それだけ。だから、『涙を、獅子のたて髪に』で我が姿をはじめて見たときに『わあ、ブス!』って思ったし、下手で歩き方も変だし、『いやだ、私。こんなの全然向いてない』って思った」
映画が公開されると、加賀さんはキュートで華やかなルックスが注目を集め、次々と映画・ドラマ・CMに出演し売れっ子アイドルに。「小悪魔」や「和製ブリジット・バルドー」と称され、歯に衣着せぬ発言で「生意気」と書かれたことも。
「権威というのが好きじゃないし、誰とでも対等にしゃべっちゃうんだよね。たとえば舞台あいさつなどのときに宣伝部の人が、『あなたのコメントを書いてきたのでこれを言ってください』って渡されても『えっ? 自分の役は自分の言葉でしゃべるからいらない』って言っちゃうところが生意気って言っちゃ生意気だし。
当時はそうやって宣伝部の言いなりにするのがいい女優さん、お行儀のいい人だったんでしょう。でも私は、『自分の役に関して説明するのにそんな必要ないわ』って思っていましたね」
-次々にいろいろな作品に出演されて、松竹と5年契約を結ばれていたそうですね-
「ビックリよね。私はサインしてないんだけどあの当時はそんなものよ。役者にサインなんてさせないで勝手に決められて、『へぇ、そうですか。じゃあ、やめられないんですか?』って聞いて、『じゃあ、ちょっとお休みをいただきます』というふうに一応そう言ったけど辞める気満々で(笑)。
17歳で仕事をはじめていたから恋愛もろくにできなかったし、次々に舞い込んでくる仕事とイメージだけでありもしないことを書かれる女性週刊誌の記事にも嫌気がさしていたから、一度人生をリセットしたいと思ったのね。
当時の私は年に何本もの映画に出演し、CMも5社ぐらいやっていたし、テレビにも出ていたから20歳そこそこで結構大金を持っていたのよね。そんなの普通じゃないでしょう? だから稼いだお金を全部使っちゃおうって思って。不動産を買おうなんて思いもつかず。でも、その使ったお金と時間はものすごく有効だったのね。それはもう金額以上に得た経験だと思います」
◆トリュフォー、ゴダール、イヴ=サンローランと…
1964年、加賀さんは20歳のときに半年先までの仕事をすべてキャンセルし、単身フランス・パリへと旅立つ。それは加賀さんにとってはじめての海外旅行だったという。
-映画『乾いた花』がカンヌ国際映画祭で上映されるタイミングだったそうですね-
「行くにはそういうのを一個もって行ったほうがいいだろうっていうだけ。そのときは日本から正式に出ていたのは、『砂の女』(勅使河原宏監督)と(石原)裕次郎さんの『太平洋ひとりぼっち』(市川崑監督)という作品。着物を着せられてパーティーには連れまわされたけどね。
『レストラン キャンティ』のオーナー・川添浩史さんが『砂の女』の宣伝プロデューサーとして渡仏中だったので、私のことを『プティ・ベベ(=ブリジット・バルドー)と呼ばれて将来を嘱望されている日本の女優』って(フランソワ)トリュフォーや(ジャン=リュック)ゴダールをはじめいろいろな人に紹介してくれて。
『乾いた花』は非公式招待作品だったけど、試写会にゴダールとかトリュフォー、(ロマン)ポランスキーが見に来てくれて、『すてきだ』と言ってご飯をごちそうしてくれたりね。私は映画祭の後もずっとパリにいるからと住所をお渡しして」
-会話は英語で?-
「そう。稚拙な英語だけど何とかね。フランス人も稚拙だから、英語は。それで、私が暮らしたおうちがファッション界ですごい力をもっているおばさんのおうちで、そのおばさんがいろんな人を私に紹介してくれたのね。
『この子はお金をもっているから安心だから』と言って、たとえばシャネルのお店とかも紹介してくれたから、それもラッキーだったわよね。その人がいろんなところに行きなさいって教えてくれるし、いろんなことを吸収するそんな年頃だよね」
-パリでの生活はどんな感じでした?-
「週に3日語学スクールに行く以外はすべて自由。カンヌで知り合ったゴダールやトリュフォーともときどき会えたし、キャンティの女主人・梶子さんが(イヴ)サン=ローランにも連絡をつけてくれていたから彼のお宅に招かれたりね。
パリで川添さんのネットワークで知り合った上流社会の人たち以外にもディスコなどで知り合った友だちがたくさんできて、毎日頭の中が爆発するくらい楽しかった。本当に自由で。
その当時の日本というのはみんなが上を向いていて、上昇志向だけがよしとされている時代で、私はすごくそれが嫌だった。昭和30年代の日本というのが。パリでできた友だちは、『僕は野菜売っているお店で働いているけど何を望むことがあるの? それでいいじゃない。仕事があって今日あなたと食事ができて僕は幸せだし、そういうことが大事だ』って。
出世するとかいうことに何の重きも置いてないのね、彼らは。そういうのがすごく楽で、何より一番よかったのは、人間の一番大切なこと、誰を好きになる、何を食べる、一番肝心なことを大事に生きるということに気づかせてくれたこと。
その頃パリで一番嫌われていたのがアラン・ドロン。なんでかと言ったら、あの人は常に上昇志向で上しか見てない。わかりやすく言うとね。当時の日本もみんなが野心満々の時代だったから、私は全然好きじゃなかった」
-パリで生活していたときには、もう日本で女優を続ける気はなかったのですか-
「そう。ファッションの買い付けとかをしようと思ってフランス語を勉強していたの。まだ商社が入ってきてブランド品として売るという時代じゃなかったからそれは結構いいアイデアだと思ったの。日本にはまだ高級オートクチュールしかなかったからね」
-ひとりでいろいろ行動するのは怖くなかったですか?-
「別に。全然。怖いとか思っていたら生きていけないじゃないって思うのよ、私はね。だから1回も考えたことがない。
パリに住んでいたときに、私が下宿していたお宅と私がよく行っていたディスコとをこの間歩いてみたのよ、70になって。そのとき、『こんなところを私はハイヒールを履いて歩いていたんだわ』って思うと、よく襲われたりしなかったなとは思う。本当にラッキーだなって。
カジノで大金勝ったときなんて、周りの人たちがやんややんやってびっくりしてさ。東洋から来た女がそんなに勝っているんだから。それで勝った大金をハンドバックに詰めてひとりで歩いて帰ったりしたときも、襲われもせずよく無事に帰れたなと思う。常にラッキーって言えばラッキーよね、今思えばよ。
でも、そのときは怖いなんて思っていないのよ。怖いなんて思ったら何にもできない。そういうふうにわたしは何でもやって来たし、自分で好奇心もてるものにはどんどん会いに行った。自分がやりたいと思ったことはすべてやって来ただけ」
何事もハッキリしていてカッコいい。パリではひそかに女優を辞めようと決めていたという加賀さんだったが、日本からかかってきた1本の電話によって舞台『オンディーヌ』に出演することに。
次回は劇団四季の舞台『オンディーヌ』への挑戦、立木義浩さんによるヌード写真集などについて紹介。(津島令子)
ヘアメイク:野村博史、福島久美子
スタイリスト:飯田聡子
ニット、パンツ/ともにKEITA MARUYAMA
ブーツ/H.A.K
※映画『梅切らぬバカ』
2021年11月12日(金)よりシネスイッチ銀座ほか全国ロードショー
配給:ハピネットファントム・スタジオ
監督:和島香太郎
出演:加賀まりこ 塚地武雅 渡辺いっけい 森口瑤子 斎藤汰鷹 林家正蔵 高島礼子ほか
母親と自閉症を抱える息子が、社会の中で生きていく様を温かく誠実に描く人間ドラマ。
山田珠子(加賀まりこ)は自閉症の息子・忠男(塚地武雅)と2人暮らし。毎朝決まった時間に起床して朝食をとり、決まった時間に家を出る毎日だったが、息子が50歳の誕生日を迎えたとき、将来に不安を感じた珠子はある決断をするが…。