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歌手・安倍理津子、長い低迷期にはヒットを願って何度も“改名”。キャリア51年、原動力は「やっぱり母」

10年以上の低迷期を経て、橋幸夫さんとのデュエット曲『今夜は離さない』が大ヒットとなり、日本有線大賞特別賞などを受賞した安倍理津子さん。

しかし、恩人である橋さんを裏切る形になってしまい、再びデュエットが実現するまでに35年の月日を要することに。

◆35年ぶりに橋幸夫さんとのデュエットが実現

結果的に橋さんに不義理をしてしまってから30年後、2013年にテレビ番組の企画で再会をはたし、和解をすることができた安倍さん。デュエットをお願いするも、そのときには橋さんに「一緒に歌いたくない」と拒絶されてしまう。ところがそれから5年後、2018年に橋さんからの電話でデュエットが実現することになったという。

「高齢になった母の足腰が弱くなってしまったので、介護しながらディナーショーなど歌手活動を続けていたんですけど、橋さんが突然『もう一度俺と歌わないか』と声をかけてくださって。橋さんは私が母の介護をしながら歌っていることを聞いて、『もう1回、俺と歌う姿をお母さんに見せる』と手を差し伸べてくださったんです。

うちの母の足が調子悪くなったのはここ7、8年なんですね。骨折とかをしたわけではないんですけど車椅子になってしまって、本当にいつ何時こういうことが起こるのかという感じで…。

突然立てなくなってしまったので、母は最初の1、2年『何で私がこうなっちゃったの?』ってショックを受けているし、私は『何でお母ちゃんがこうなっちゃったの?』って、2人で大変でした。橋さんもお母さまを6年間介護されたご経験があるので、私に声をかけてくださったんだと思います。本当にうれしかったです」

そして2018年12月20日、橋さんのディナーショーでデュエットが実現。35年ぶりとは思えない息の合った歌声で魅了した。

-大好きなお酒を飲まずにステージに臨んだそうですね-

「はい。お酒が好きで毎日飲んでいたせいか高音が出にくくなっていたので、2週間禁酒をしたんです。橋さんに『たった2週間しかやめられないのか?』と言われてしまいましたけどね。でも、一緒に歌わせていただけて本当にうれしかったです。母も喜んでくれました」

-安倍さんと言えば、橋さんをはじめ、桜木健一さん、林与一さん、松方弘樹さんなど合計17人の方とデュエットし、「デュエットの女王」と称されていますね-

「最初は自分で『デュエットの女王です』って言っていたんですけどね(笑)。その後、皆さんから言っていただけるようになったのでうれしいです。デュエット人数のギネス記録を狙いたいと思っています(笑)」

◆律子から理津子まで…ヒットを願い何度も改名

「安倍律子」という芸名でデビュー曲『愛のきずな』が大ヒットしたものの、その後ヒットに恵まれなくなった安倍さんはデビューから5年目の1975年、「安倍理津子」に改名。しかし、新曲が8000枚しか売れなかったため元の芸名に戻すが、それでも低迷が続いたことで1982年に「安倍里葎子」と改名を繰り返すことに。

そしてデビューから50周年を迎えた2020年、3月11日に現在の「安倍理津子」に改名。東日本大震災が起きたこの日は安倍さんのお母さまの誕生日でもあり、安倍さんはこれまで被災地で炊き出しなどの支援活動を積極的に展開。2021年8月にも南相馬で地元の歌手と復興支援公演を行ったばかり。

-読み方は同じですが、漢字は何度も変わりましたね-

「はい。何とかヒットが出るようにと必死でした。名字はずっと同じ『安倍』ですけど、名前の字を変えたのが5回目なんですね。

律子は本名の字だったんですけど、『今夜は離さない』のときは『安倍里葎子』。橋さんとデュエットするときに橋さんから『その名前はよくない。元に戻さないとダメ』って言われたんですけど、『この名前にしたから橋さんとのデュエットが叶ったと思いますので、何とかお願いします』と言ったら『しょうがないなあ』って言ってくださって。

それで『安倍里葎子』という名前を一番長く使っていたのに、字画としては一番よくなかったみたいなんですよね(笑)。『葎』は雑草という意味があるので『芸能界で雑草のごとく生きていこう』という思いで使っていたんですけど、『元に戻しなさい』と姓名判断の先生に言われて。

先生に『何を言ってるの、りっちゃん。芸能界で活躍しなきゃいけないのに、雑草のようにって何? 下のほうで頑張ったってしょうがないでしょう』って怒られてしまいました(笑)。『理津子の字がよかったのに、なんで変えちゃったんだろうね』って怒られたので、50周年を機に、3月11日に昔1年だけ使った今の理津子に変えました」

-姓名判断に詳しいお母さまは、改名について何かおっしゃっていますか?-

「いいえ、今はもう何も言わずに私の判断に任せて応援してくれています。私が51年間歌い続けてきた原動力は、やっぱり母なんですよね。歌手として生きている以上やっぱりヒット曲を出したい、母に喜んでもらいたいという思いで51年間やって来ました。その思いはこれからも変わらないと思います」

デビュー50周年記念シングル『願い』(テイチクレコード)
作詞:三戸亜耶 作曲・編曲:大貫祐一郎
歌:安倍理津子
Coupling With『ヘッドライト・テールライト』
作詞・作曲:中島みゆき 編曲:大貫祐一郎
『接吻~くちづけ~』
作詞:荒木とよひさ 作曲:鈴木淳 編曲:桜庭伸幸
歌:安倍理津子 & 鈴木淳

◆コロナ禍で迎えたデビュー50周年

1970年に歌手デビューした安倍さんにとって2020年は記念すべき50周年の節目の年になるはずだったが、コロナ禍の影響で2021年を50周年記念イヤーに位置づけることに。そして、4月21日に50周年記念シングル『願い』が発売された。

「本来だったら2020年が50周年でメモリアルイヤーでしたけど、コロナ禍で去年は6、7か月間仕事がありませんでした。

毎年『さっぽろ雪まつり』のときには、地元テレビ局の番組で歌い手が雪像の上で2、3曲歌っていたんです。去年の2月に歌った後、『来年(2021年)は10回目だね。来年もよろしくお願いいたします』って言って帰って来たらコロナで大変なことになってしまって。それからずっと仕事がなくて、雪まつりもなくなったのでダメだったんですけどね。

でも、私だけじゃないし、みなさんが大変な思いをしているから、なんとかこれを打開するにはどうしたらいいんだろうって…。50周年のコンサートとかディナーショーというのはコロナが終息してからできるけど、新曲は出したいということでディレクターやマネジャーといろいろ考えました。

大御所というか、今まで携わってくださった先生に作っていただくのもありなんですけど、50年というのはかなりのいい数字だから、ここでちょっとはじけてみたいという話もしたりしているうちに、ディレクターが『僕、気になる若い2人がいるので、その人たちに書いてもらってみます』と言って出来上がったのが『願い』なんです。

歌はメッセージですからね。コロナ禍で落ち込んでいる人たちを勇気づけ、元気づけるメッセージ性の強い歌を若い作家に作って欲しかったので思い切って若手を起用しました」

-すてきな曲ですね。ミュージックビデオの映像もとてもきれいでした-

「ありがとうございます。あの衣装は『エリマキトカゲ』と言っているんですけどね(笑)。2021年の2月末に江の島で撮影してきたんですけど、その前にカラー占いの先生に『理津子さんのラッキーカラーは黄色です』って言われたのね。私は単純だから、いまは黄色ばかり探しています(笑)。

2月の撮影でしたからものすごく寒かったです。スタッフやマネジャーはみんなダウンを着ているのに、私はノースリーブのワンピースに白いレースのジャケットですからね。気合を入れて撮影に臨みました(笑)。

あのとき2月の末なのにラッキーカラーの黄色いチューリップが3、4か所できれいに咲いていたんですね。『ここでひとつ撮ります』と言ったところで咲いているの。そこで撮っていただいたら、年相応の笑顔だったのでこれがいいということでCDジャケットになりました。

『願い』のカップリングには、コンサートで何度もカバーさせていただいている中島みゆきさんの『ヘッドライト・テールライト』と、恩師の鈴木淳先生とデビュー20周年の記念アルバムでデュエットした『接吻~くちづけ~』を収録しました。

私が歌手デビューするきっかけを作ってくださった平尾昌晃先生はお亡くなりになってしまいましたが、鈴木先生にはお電話で『おかげさまで50周年を迎えました』と感謝の思いをお伝えしました。私にとって平尾先生は産みの親で、鈴木先生は育ての親ですので。

コロナ禍でまだまだどうなるかわかりませんが、50周年を機に芸名も今の『安倍理津子』に変えましたし、心機一転頑張りたいと思っています」

長い低迷期もあったが、歌手をやめたいと思ったことは一度もないと話す安倍さん。プロポーションのよさも健在。コロナ禍で仕事は激減しているというが、ポジティブで明るいところがすてき。51年間、浮き沈みの激しい芸能界の荒波を乗り越えてきた強さを感じる。(津島令子)

Hair make:JUNKO FUJIEDA

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