歌手・安倍理津子、低迷期を救ってくれた大恩人「橋幸夫さん」への感謝と反省。そして“Twitter炎上再会”
1970年、北海道から上京してわずか5か月後に『愛のきずな』で歌手デビューをはたし、第12回日本レコード大賞新人賞などを受賞した安倍理津子さん。
デビュー曲がいきなり100万枚を超える大ヒットを記録したものの、芸名の字画を心配していたお母さまの助言が的中したかのように、その後はヒット曲に恵まれず、苦悩の日々が続いたという。
しかし、1983年に転機が訪れる。橋幸夫さんとデュエットした『今夜は離さない』が大ヒットし、注目を集めることに。
◆ヒットを出すことしか考えられなかった
デビュー曲『愛のきずな』以降、『愛のおもいで』『お嫁に行くなら』などがヒットするが、その後は低迷期が続いたという。
「『どうして次の曲も売れないんだろう?』という焦りはありました。デビュー曲があまりにもビッグヒットだったということもあって…。1年目、2年目ぐらいはそんなでもなかったんですけど、4、5年経つとやっぱり扱いが違ってきてしまいますしね。
極端な話、営業に行っても今まで楽屋にフルーツの盛り合わせが来ていたのがなくなって、お茶だけになったみたいな(笑)。あと、ホテルも超一流だったのが一流の下になって、二流になってとかそんな感じなんですけど、だいぶ違いますよね」
-ご自身のモチベーションを維持するのはどのように?-
「何でしょうね。とにかくヒットを出したいという思いしかなくて、今思うと自分の気持ちが本当に貧しかったなあと思います。何か違うことに向けて自分を磨くなりすればよかったんですけど、タップも和太鼓も全部かじってばかりいて中途半端でした。
じっくり何か考えてやればよかったと思います。本当に後悔先に立たずですね。新人の方は皆さんそうかもしれないけれども、ものを知らないし、いきなりいい思いをしちゃったので、『何で?何で?』しか思い浮かばないんですよ」
-若かったですしね-
「そうなんです。それでとにかくヒットを出すことしか考えられない。それでも2、3年はレコード会社のヒット賞をいただいたんですけど、そのほかの賞とか、そういうものからはずれていくということですごく滅入っていましたね、当時は。2年3年たっても同じようなヒット曲なんてそんなに出るわけがないんですけど、本当に滅入っていたと思います。ヒットを出すということしか考えてないわけですから」
◆橋幸夫さんとのデュエットが転機に
なかなかヒット曲に恵まれなかった安倍さんは、1975年、芸名を現在と同じ「安倍理津子」に改名するが、事態が好転することはなかったという。1982年、「安倍里葎子」に改名し、1983年に転機が。
「大先輩の橋幸夫さんがデュエット曲『今夜は離さない』を制作するにあたって、相手役を決めるオーディションがあるから受けてみないかと誘われたんです。
そのとき私は最初の事務所を辞めていて、1年半ぐらいいわゆるプー太郎だったんですね。プロダクションにもレコード会社にも所属していない状態。バンドの仕事も昔は多かったので、ギターの人にマネジャー代わりになっていただいて、その方の自宅に電話を引いて奥さんにデスクをやってもらってという状態が続いていたんです。
そういう状態のときに橋さんとのデュエットのオーディションのお話が来たので、2つ返事で受けさせていただきました」
-オーディションは声だけで選ばれたそうですね-
「はい。あとから聞いた話ですけど、相手役を誰にするか決めるにあたって先入観をなくすために、何人かの女性歌手の声を用意して、誰が歌っているかわからないように名前を伏せて橋さんに聞いてもらったそうです。その中から橋さんが自分の声に合っている、この声がいいということで私を選んでくださったので、本当にうれしかったです。
私にとって橋さんは雲の上の人ですから。『今夜は離さない』を橋さんと歌うことができたのは、本当に幸せなことでした。それで、橋さんの事務所に入れていただいて、橋さんのために作られたリバスターレコードの専属にさせていただきました」
-『今夜は離さない』は、もともとはシングルではなくアルバムの中の1曲の予定だったとか-
「そうです。でも、レコーディングが終わったときに橋さんが、『今、ちょうど会議をやっているから、これをもって行ってシングルにしてもらおう』とおっしゃって。そのときにはもう『ささえ』というシングルの楽曲があって、シングルと同時にアルバムも出す予定で、『今夜は離さない』はその中の1曲だったんです。
でも、橋さんのひと言で『今夜は離さない』もシングル曲として発売することが決まったので、橋さんはアルバムとシングル2枚を出すことになって。あのとき橋さんがシングルにと言ってくださらなかったら今の私はなかったかもしれないので、本当に感謝しています。ラッキーでした。
橋さんとは名古屋の『中日劇場』でも1か月公演でご一緒させていただきました。私は漁師の娘で悪代官に捕まるんですけど、橋さんに助けてもらうという設定でした。とても楽しかったです」
カラオケデュエットブームの時期でもあり、『今夜は離さない』は大ヒットを記録。日本有線大賞特別賞などを受賞し、デュエット曲の定番として現在もよく歌われている。
「もう38年になるんですけど、皆さんが歌ってくださるおかげで、そんなに古い感じがしないと言われるんですよね。ありがたいです」
◆大恩人の橋幸夫さんへの“反省”
『今夜は離さない』の大ヒットで再びスポットライトを浴びた安倍さんだったが、橋さんの事務所を離れることに。
「橋さんの事務所に2年ほどお世話になったんですけど、思うところがあって辞めさせていただくことにしたんです。自分でもできると思っちゃったんですね。もちろんリバスターレコードにもお話しましたし、橋プロのスタッフにもお話しましたけれども、肝心の橋さんに直接はお話をしなかったんですね。それでちょっぴり疎遠になってしまったというか…。
辞めたあともNHKの番組とかラジオ番組などで何回かご一緒にお仕事はしてくださっていたんです。後になって、私がみんなにちゃんと話をしたけれども、橋さんご本人にきちんと自分の口から直接お話をしてなかったのがいけないとわかって。
大先輩ですし、大変なときに助けていただいた大恩人なので、きちんと直接お話しなければいけなかったんですよね。私がいけないんですけど、レコード会社の方にも事務所にもお話したので大丈夫だと思ってしまって…。きちんと直接お話するべきだったと反省しています」
2013年、テレビ番組の企画で安倍さんは橋さんと再会をはたす。安倍さんには知らせず、プライベートでお酒を飲んでいるところに突然、橋さんが現れるというドッキリ風の再会だった。
「私以外はみんな知っていたらしいんですけど、私だけは本当に知らされていなくて。普通にお酒を飲んでいるところに突然、橋さんがいらしたのでビックリしました。
橋さんは『お母さん、元気にしている?大事にしなきゃダメだぞ』って母のことも気にしてくださっていてうれしかったです。それで、私が酔いにまかせて『もう一回橋さんと歌いたいです』って言ったら、『俺はあんたとは歌いたくない』と言われてしまったんですけど。
そうしたら、番組に800件以上Twitterが来たみたいで、ほとんど9割がた『なんて女だ』とか『恩をあだで返して厚かましすぎる』って怒っていてすごかったと聞いてビックリしましたけどね。プロデューサーの方は『見たほうがいいです』と言っていましたけど、『私はそんなのを見たら凹みすぎるから見ません』って言って見ませんでした。見なくてよかったです。私はすごい小心者だから」
その番組ではデュエットは叶わなかったものの、橋さんと和解することができたという。そして、それから5年後に橋さんのディナーショーでデュエットが実現することに。
次回後編では橋幸夫さんとのデュエット、50年間歌い続けてきた原動力、デビュー50周年記念シングル『願い』などを紹介。(津島令子)
Hair make:JUNKO FUJIEDA
デビュー50周年記念シングル『願い』(テイチクレコード)
作詞:三戸亜耶 作曲・編曲:大貫祐一郎
歌:安倍理津子
Coupling With『ヘッドライト・テールライト』
作詞・作曲:中島みゆき 編曲:大貫祐一郎
『接吻~くちづけ~』
作詞:荒木とよひさ 作曲:鈴木淳 編曲:桜庭伸幸
歌:安倍理津子 & 鈴木淳