川野太郎、愛妻がステージ4の子宮頸がん発症。2か月半で奇跡の退院「家族4人で抱き合って泣きました」
『澪つくし』(NHK)で俳優デビューして以降、数多くのドラマや映画に出演してきた川野太郎さん。
俳優としてだけでなく、『スーパーモーニング』(テレビ朝日系)の司会を2年半、『料理バンザイ!』(テレビ朝日系)の「たまに行くならこんな店」のリポーターを12年間つとめるなど幅広い分野で活躍。私生活では9年間の恋愛期間を経て奥さまの珠美さんと結婚し、1995年には長男、1998年には長女も誕生。公私ともに順風満帆な日々を送っていた。
◆『キッズ・ウォー』シリーズのお父さん役も人気に
1999年にはドラマ『キッズ・ウォー~ざけんなよ~』(TBS系)の放送がスタート。川野さんは妻を亡くし、元ヤンキーでバツイチの春子(生稲晃子)とお互いに子連れで再婚した大介役。豪快な春子と母親譲りで正義感が強い春子の長女・茜(井上真央)や子どもたちに振り回されながらも、優しく包み込むお父さんを好演して人気を集めた。
「『キッズ・ウォー』のときも、ちょっと久々に『澪つくし』と同じ匂いがするなというのは感じましたね。やっぱりあのドラマも子役の子たちとか全部パズルがハマっていたと思うんですよ。
僕は脚本を読むのがすごく遅いんですけど、ジェームス三木さんの脚本(『澪つくし』)のときも『次が読みたい、早く次が読みたい』という感じで、読みながら自然に涙が出てきたり笑っちゃったりとか、そういう感じの脚本だったんですよね。
それで『キッズ・ウォー』のときも同じような感じで、『早く次の台本が読みたい』と思いましたし、自然に笑ったり泣いたり怒ったりしていたので、何か同じ匂いがするなあという感じはありました」
-元ヤンキーの奥さんと冷静で頼りになるお父さん、子どもたちのキャラも立っていておもしろかったですね-
「子どもたちがケンカしたり、いろんなことを経験しながら成長していくのがひとつのテーマだなと思ったので、演技でどうのこうのというよりは、演技をなるべくしないようにしようかなとあのときは思っていました。普通に廊下で撮影の合間に過ごしているときとか、控え室で過ごしているときと同じような感じで演技はなし。極力演技をしないで自然にというね(笑)」
-とてもいい雰囲気でしたね-
「そうですね。雰囲気はすごくよかったです。やっぱり子役を選ぶのはすごく苦労したと言っていましたし、力を注いだと言っていました。普段のリハーサルのときから子どもたちの扱い方がすごくうまいんですよ。気を遣って感情をもっていくわけです。生稲(晃子)さんも雰囲気を作ってくるし、すごかったですね」
-シリーズ化されるということは最初から決まっていたのですか?-
「全然知らなかったです。一発だと思ってやっていました。そうしたら、『またやりますから』と言われて『えーっ!』みたいな感じうれしい驚きでした」
-5シリーズまで作られましたが、最後のシリーズの展開には驚きました-
「あれはビックリですよね。『またパート5もやりますので2、3か月空けておいてください。頼みますよ』って言われていたんですけど、初回で死んじゃいますからね。交通事故で春子(生稲)と大介(川野)と末娘が。スケジュールが空いちゃったのはちょっと困りましたけどね(笑)。本当に驚きの展開でした」
◆愛妻のがん治療に道をつけた川野さん
公私ともに順調な日々を送っていた川野さんだったが、2009年8月に予期せぬ事態が起きる。奥さまの珠美さんがステージ4の子宮頸がんだと告げられたのだ。
「その1、2年前から体調が悪かったみたいなんですけど、悪い結果が出ることが怖かったのか検査は受けても結果を聞きに行ってなかったようで。心配したカミさんの妹が説得してくれて総合病院で婦人科検診を受けることになりました。
そうしたら、検査後に病院から『結果はご主人と一緒に聞きに来てください』という連絡がきたので2人で行ったんですけど、子宮頸がんの中期、ステージ2bかそれ以上だと言われて…。ショックでした。頭の中が真っ白になりました。
子どもたちもまだ小5と中2でしたからね。精密検査をしたら、もっとも深刻なステージ4まで進行していることがわかって、子どもも小さいし参りましたよね。このぐらいで僕が参っちゃいけないのかもしれないですけど」
-病院選びについては、川野さんが先生に直談判されたそうですね-
「はい。はじめてのことだからもちろんわからないし、先生に『何があっても恨みませんから教えてください。先生ご自身だったらぶっちゃけ、どこの病院を選びますか?どうなっても絶対恨みませんから』って聞いたんです。そうしたら、最初はためらっていたみたいですけど、『2つ選ぶけど、そのなかでもこっちの病院がいいと思います』と言われたので『わかりました』って」
-川野さんが直談判しなかったら、全然別の治療になっていたかもしれないですね-
「そうですね。少し遠くてもベストな環境がいいだろうということで、紹介状を書いていただいてよかったですよ」
-具体的にはどのような治療をされたのですか?-
「リンパ節にも転移があって手術もできないので、抗がん剤と放射線の同時治療を受けることになりました。放射線は毎日、抗がん剤は6回、それにからだの中から放射線を当てるラルス(腔内照射)という治療も4回行っていただきました」
-副作用はあったのでしょうか?-
「はい。髪の毛はそんなに抜けなくて薄くなるくらいだったんですけど、食欲がなくなったのと下痢や吐き気がひどそうで見ているほうもつらかったです。でも、最先端の治療を受けさせていただいた効果があってがんがなくなって、入院してから2か月半後に奇跡的に退院することができました。本当によかったです。家に帰ったときには、家族4人で抱き合って泣きました。
カミさんのお母さんが半年ぐらい家に来て泊まりこんでくれましてね。ご飯を作ってくれたり、子どもの世話も全部やってくれて本当にありがたかったです。感謝してもしきれないぐらいです」
-今、奥さまの体調はいかがですか?-
「放射線治療の影響でかなり腸など内臓にダメージがあるみたいですけど、がんはきれいに消えましたから。それは本当によかったと思います」
◆テレビ番組で移住生活にチャレンジ
奥さまががんを克服して再び平穏な日々が戻った川野さんは、仕事でも新たなチャレンジをすることに。2017年、『イチから住 ~前略、移住しました~』(テレビ朝日系)に出演。この番組はタレントや芸人、俳優が縁もゆかりもない地方に移住し、その田舎暮らしに密着。そこに住む理由を伝えるリアル・ドキュメント・バラエティ。川野さんは千葉県南房総市で移住生活を体験することに。
「もともと自然がたくさんある田舎は大好きだし、移住に興味もあったんですよね。都会にいるとどうしても慌ただしいじゃないですか。僕に声をかけてくださったプロデューサーの方も、『誰でもいいというのではなくて、川野さんにやっていただきたかった』とおっしゃってくださったのでうれしかったですね。
なかなか実現できないじゃないですか。やったことがないことなので、お話をいただいたとき『これは一生に一度のチャンスかもしれない。思い切ってやってみよう』と思ってやらせていただくことにしました」
-ひとり暮らしは30年ぶりくらいでした?-
「そうです。洗濯や掃除も普段はカミさんがやってくれるので久しぶりでした。南房総は太平洋が目の前に広がっているし山もあるので、僕の田舎の風景を思い出して懐かしい感じがしました。とても楽しかったです。
こういうのを一回やってみたいなというのもどこかにあったんでしょうね。田舎に行くと不思議と自然と接する機会が多いし、人がまたとても自然な感じで温かいんですよ。はじめてで右も左もわからない僕をいろいろと助けてくれて感謝しています」
-ブログを拝見したら息子さんの雄平さんが様子を見に行かれていたようですね-
「そうそう、来てくれました(笑)。一緒に自然と触れ合って馬に乗って、おいしいものを食べて飲んで語らって…久しぶりにゆっくり父子の時間がもててうれしかったですね」
-雄平さんも俳優になられて-
「そうなんですよ。大変な世界に入っちゃって。ずっと反対していたんですけど、ダメでした(笑)。娘は、無事に大学を卒業しました」
2021年4月には主演舞台『RED WING』(銀座博品館劇場)も上演。コロナ禍ゆえに定期的にPCR検査を行い、いつ中止になるかわからない不安を抱えながらの公演だったせいか、かつてないほどの疲労感だったという。
「からだがクタクタになっちゃって、足も動かなくなってしまって、今回だけは降板かなと思うぐらいキツかったです。僕はこんなふうに思ったのははじめてでした。精神的にも肉体的にもきつかったですけど、みんな頑張ったよなあ」
-今後やってみたい役はありますか?-
「昔と違って第二の人生が65歳からとも言われていますからね。そう考えると、これまでになかったドラマや映画が作られるかもしれないじゃないですか。刑事からヤクザまでやっていますけど、はじめてやる役というのがあるかもしれないし、そう思うとワクワクしますよね」
-最初にヤクザ役で出られているのを見たときには新鮮でしたけど、何作か見させていただいているので今は違和感ないですね-
「そうですか。違和感ないのかな(笑)。ちょっと不思議なんですけど、経験したことがないのに血が踊ってくるんですよ(笑)。ワクワクします。
高倉健さんの映画が好きだったからかな。おふくろに小学生のときから映画のオールナイトに連れて行かれていたんですよ。健さんは本当にカッコいいですよね。そのときから血が踊っていたのかもしれないですけど、結構楽しんでやらせていただいています。
あとは61歳になりましたし、お父さん役から今度はおじいさん役になっていくんでしょうかね(笑)。それもおもしろいかな」
おじいさん役をやるにはまだまだ早い感じがするほど若々しい爽やかな笑顔が印象的。次に演じるのはどんな役柄になるのか楽しみ。(津島令子)