大ヒット曲『孫』の“あの孫”の壮絶半生! 1億円の“孫御殿”が建つが…祖父とは8年不仲
“激レア”な体験を実際にした「激レアさん」をスタジオに集め、その体験談を紐解いていく番組『激レアさんを連れてきた。』。
7月5日(月)の放送には、大ヒット曲『孫』の“あの孫”ことシンタロウさんが登場した。
1999年、演歌歌手の大泉逸郎が溺愛する孫のことを歌った『孫』は、自主製作ながら口コミで広がり、通算230万枚を売り上げた。その孫こそが、当時4歳で現在は27歳になるシンタロウさんだ。
幼い頃は逸郎さんと同じ布団で寝たり、一緒に歌を歌ったりと大のおじいちゃん子だったシンタロウさん。『孫』が大ヒットした影響で、物心ついた時にはもう”孫バブル”が到来していた。
まず、「じいちゃんがスゴイぞ!」と盛り上がった家族は山形に建設費1億円の“孫御殿”を建設。トイレが5個、ガレージが車5台分という大豪邸は田舎町の名物となり、観光バスツアーが立ち寄るほどだったとか。
住所がバレていたため、逸郎さんのファンから「山形県 孫様」とだけ書かれたファンレターも大量に届くようになり、正月にはお年玉を送られたこともあったという。
そんな孫バブルはシンタロウさんが小学校に入学した後も続き、ことあるごとに周りからチヤホヤされ、充実した“孫”生活を謳歌していた。
ところが、そのあと少しずつ人生の歯車が狂いはじめる。
◆大好きから一転、不信感へ
シンタロウさんが小学5年生になると、逸郎さんは歌番組のみならずバラエティ番組にも活躍の場を広げた。
番組では逸郎さんがイジられることもあり、その影響でシンタロウさんも学校でイジられるように。このときからしだいに逸郎さんのことを恥ずかしいと思いはじめる。
そんななか、衝撃的な事実が発覚。なんと『孫』を作詞したのは逸郎さんではなく、まったく別の人物だったのだ。
実は逸郎さんはもともと作詞が苦手で、『孫』をつくる際は友人に作詞をお願いしていた。歌詞に込められた気持ちに嘘はなかったというが、当時のシンタロウさんにそんな事情が理解できるわけもなく、プチパニックに!
「おじいちゃんが考えてないの?ってことは…あれ?おじいちゃんの気持ちは…ウソなの?」と、逸郎さんに対して一気に不信感を募らせた。
さらに、『孫』の曲を調べるなかでシンタロウさんは“あること”に気付いてしまう。
「よくよく見たら、誰にでも当てはまる普遍的な歌詞じゃねえか!」
自分のために作られた曲だと思っていたのに、祖父や祖母なら誰でも思う当たり前のことを歌っているだけで、自分とのエピソードなどは何もない…。
今さらながらそのことに気づいたシンタロウさんは、大きなショックを受けた。
こうして逸郎さんへの不信感が大きくなっていた小学5年生の冬。逸郎さんと些細なことでケンカしたシンタロウさんは、それから8年間ものあいだ祖父と会話をしなくなってしまう。
小学6年生の頃には、逸郎さんが新曲『孫も大きくなりました』をリリースするが、「ふざけんなよ!どんだけ私の名前を使って金を稼ぐんだよ」とすっかり反発するようになっていた。
◆どこまでもつきまとう“孫”。和解のきっかけは…
その後、中学、高校と進学したシンタロウさんは、あえて知り合いのいない学校に入学。
自分を知っている人がいない場所で新しい人生をやり直そうとするが、行く先々で結局“孫”とバレてしまい、逃れようとすればするほど辛い状況に追い込まれていく。
『孫』の大ヒットから10年以上たってもその呪縛からなかなか解放されず、「山形に僕の居場所はない!」と東京の大学への進学を決意。逸郎さんともまともに口を利かないまま離れ離れになる。
しかし、上京したシンタロウさんを待ち受けていたのは大きな挫折だった。
アナウンサーになる夢を持って上京したシンタロウさんだったが、アルバイトや1人暮らしが大変で思うようにいかず、夢をあきらめてしまったのだ。
そんなときにふと思い出したのは、大嫌いだった祖父のこと。
「夢を叶えたじいちゃんってスゴイなぁ…」
挫折してしまった自分と違い、歌手になる夢をずっと追いかけて、60歳手前でメジャーデビューした逸郎さん。
その偉大さにようやく気づくことができたシンタロウさんは、逸郎さんと歌番組で『孫』をデュエットし仲直り。
さらに「僕も小さい子に愛情を注ぎたい」という思いから、現在は都内で保育園の先生として働いている。
※番組情報:『激レアさんを連れてきた。』
毎週月曜 よる11:15~深夜0:15、テレビ朝日系列(※一部地域を除く)
※『激レアさんを連れてきた。』最新回は、TVerにて無料配信中!(期間限定)
※過去回は、動画配信プラットフォーム「テラサ」で配信中!