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36歳、無謀といわれた再起。引退後ふたたび五輪を目指したホッケー元日本代表、涙の挑戦

ホッケー元日本代表の小野真由美(36歳)。

2016年のリオ五輪後に32歳で現役を引退したものの、翌年に現役復帰。日本代表メンバーを目指して再び奮起した。

ホッケー選手としては高齢で、無謀ともいわれた日本代表メンバー入りへの挑戦。『GET SPORTS』が密着した。

◆「輝いているみんなを見て、自分は何もできてないなと」

小野がホッケーを始めたのは10歳のとき。

17歳のときに日本代表に初選出され、2008年の北京五輪に出場。その後、2016年には2度目のオリンピックとなるリオ五輪の舞台で活躍した。

ポジションはDFで、最大の持ち味は身体を張ったブロック。長年、守備の屋台骨として活躍していたが、リオ五輪の時点で既に32歳を迎えていたことは前述のとおりだ。

「これ以上別に頑張らなくてもいいんじゃないかとか、女性だったら結婚したいとか、早く子供が欲しいとかそっちにシフトしていく人が多くて。私も年齢的なものを気にして、どうしようと感じていました」(小野)

自らの年齢に限界を感じ、大会後に現役を引退。

第二の人生として選んだのは、大学ホッケーチームのコーチだった。指導するのは、大学からホッケーを始めた初心者チームだ。

小野の言葉に全力で耳を傾け、ひたむきにボールを追いかける選手たちの姿に、彼女の心は大きく突き動かされた。

輝いているみんなを見て、自分は何もできてないなと。めちゃくちゃ羨ましくなっちゃったんですよね。私ももう一回輝きたいなあって。みんないいなあって、思っちゃいましたね」(小野)

もう一度輝きたい――。引退から1年余りを経た2017年11月、再び戦いの舞台に上がる決意を固める。

◆「ダメでもいいじゃん」背中を押してくれた夫の言葉

しかし、当時33歳。ホッケー選手としては高齢だ。

古傷はいまでもうずき、1年のブランクもある。無謀な挑戦とも思えた。

そんな不安を抱える中で、彼女の背中を押す人物がいた。夫の小林靖長さんだ。

ダメになることがすごく怖かったり、選ばれなかったことを思い描いていたりしたと思うんですけど、ダメでもいいじゃんって言ってくれたのが楽になったというか。ダメな私でもいいんだっていうのを言ってもらえたのがよかったかなあ…。だからいま頑張れています」(小野)

「ホッケーの話題を避けていた時期もあって。でも最終的に、やるんだったら100%サポートする、といいました」(靖長さん)

ダメでもいい――。そんな夫の言葉で、小野は前を向くことができた。

東京オリンピック代表を目指してまず取り組むべきは、体力強化だった。そこでフィジカルコーチでもある夫と共に始めたのが、早朝のランニングだ。

衰えは、身に染みてわかる。だからこそ、時間の許す限り走り続けた。

走り込んだ後は、ホッケーの練習へ。向かったのは、なんと男子大学生のチームだ。

女子よりもスピ―ドが早く、パワーも強い男子のホッケー。ブランクを埋めるため、敢えて厳しい環境に身を置いた。

その中で小野は、“ある課題”と向き合っていた。

「瞬発的なところとかリアクション的なところとか、今までそんなに感じていなかったものが、かなり自分でもコンプレックスになり始めたんですよ。そこを鍛えないと生き残れない」(小野)

年齢とともに衰えていく瞬発力。相手の動きによって俊敏に切り返すこの力が無ければ、世界で戦うことは出来ない。

そこで、ウエイトトレーニングも工夫を凝らした。

バーベルをあげるとタブレットに数値が表示されるのだが、実はこれ、1秒で何メートル動かせたかという数値。「重いものを速く動かす」ことで瞬発力を鍛えることができるのだ。

「女性だと競技によっては10代でやめる人もいる中で、頑張れているって結構幸せなことだなって。自分で限界を決めて辞めていくんですよね。すべては自分次第なんです」(小野)

平穏な日々を選択することもできたが、自分で限界は作りたくはなかった。

しかし、昨年2020年8月に試練が襲う。練習中に左足のくるぶしを骨折したのだ。代表選考会まで4か月を切る中、全治1か月のけがだった。

「悲劇ですよ、このタイミングでこうなるなんて。神様がやめろって言っているのかな…」(小野)

それでも向かった先は、トレーニング場。左足は踏ん張りがきかないため、重しをつけ支えながらトレーニングする。

さらに、足への負担が少ない走り方を夫でフィジカルコーチの靖長さんから教わった。苦境に陥っても、その歩みを止めることはなかった。

「できるところまでやってみて、自分が納得しないと終われないっていうのは分かってるから。だから納得した状態を作りたい」(小野)

怪我もようやく癒えた頃には、季節は巡っていた。

2か月後の代表選考会へ向け、社会人チームの試合にも自主参加。試合勘を取り戻すべく、ひたすらボールを追い、急ピッチで練習の強度を上げていった。

そこ(選考会)が私の本当に最後になるかもしれないし、スティックを置くときになるかもしれない。もう東京五輪で結果を残すことしかできないという風には思っているので、そのチャンスが欲しい」(小野)

◆運命の代表選考会、合否発表の電話で涙

年が明けて今年2021年1月、女子ホッケー東京五輪代表の一次選考会。参加者77名の中から、およそ半数が振り落とされる。

平均年齢24歳の中、36歳の小野真由美は最年長だ。

3日間の選考会。試合形式で行われた日には、前半からベテランならではの経験を活かしDFラインの中心として声を張り上げる。

若い選手に負けじとコートを走り回った。

そして試合終盤には、相手のシュートミスに素早く反応しブロック。失点のピンチを防いでみせた。

強化してきた体力、そして瞬発力を確かに光らせた。

その1週間後、運命の合否発表日。小野の携帯が鳴り、さくらジャパンの候補選手として選考されたと告げられた。

「ありがとうございます。本当にありがとうございます。良かったです」(小野)

目に涙を浮かべながら真っ先に報告をしたのは、背中を押してくれた“あの人”だった。

「(LINEで)『良かったね~次も頑張らんとだね~!俺も頑張るね』って、(夫が)言っています」(小野)

頑張れることが、こんなにも幸せなことなんだなって。アスリートでいられる今をしっかり味わって、最後に向かっていかなければとすごくすごく思います」(小野)

◆「辛いとき、常に『後悔のない選択はどっちや』って」

東京オリンピック代表へ見事に一次選考を突破した小野真由美だったが、1週間後に突然の通告を受ける。

代表合宿の真っただ中、内容は残酷なものだった。

「現場のスタッフから、今回の合宿での判断では“脱落”ということで、今後はちょっと(代表入りは)難しいと思うと。私が信頼をおいていたスタッフから言われた言葉だったので、“はい”って。自分の中でもいいパフォーマンスはできなかったというのもあったので、正直言われる前から覚悟はしていました」(小野)

そして、2月14日。彼女は引退の決断をSNSに記した。

 

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「身体的にはしんどかったですし、心もしんどかったんですけど、ホッケーができることが本当に幸せだなと感じた最後の3年だったので、復帰してよかったです。全然後悔がない。五輪に行けたらよかったと思うけど、やり切ったなというほうが強いかなと」(小野)

無謀とも思えた代表復帰への挑戦。試練は幾度となく襲い掛かったが、それでもなぜ、小野は挑戦をやめなかったのか?

辛いとき、常に『後悔のない選択はどっちや』って言い聞かせた結果がいま。だから辛いときに辞めてもいいし、実際やめて怒る人はいないですし、辞めたからって何が悪いんだ?って、多分なると思うんですけど。何もしなかったら、人生面白くないから」(小野)

あの挑戦から3か月。グラウンドを駆けまわる小野の姿があった。春から社会人チームの選手兼監督に就任していたのだ。

「もっと彼女たちをコートで輝かせることができると私は思っていて。ホッケー頑張っている彼女たちの可能性を高めてあげたいです」(小野)

指導者として、選手を輝かせたい――。いつの日か代表チームを指導する夢を抱いて、小野は今日も走り続ける。

番組情報:『GET SPORTS
毎週日曜日夜25時25分より放送中、テレビ朝日系(※一部地域を除く)

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