テレ朝POST

次のエンタメを先回りするメディア
menu

見た目がオジさんなのは、もう関係ない。2人の恋を純粋に応援したくなる理由<あのときキスしておけば>

<あのときキスしておけば 第6話レビュー>

ラブストーリーにとって大切なことは、どうして好きになったか、その理由がちゃんと伝わってくることだと思う。

もちろん恋におちるのに理由はいらない。好きになるときは、わけもなく好きになる。だけど、その理由に共感できることで、観ている人はその恋にもっと夢中になる。もっと応援したくなる。

ドラマ『あのときキスしておけば』が観る人の心を弾ませるのは、桃地のぞむ(松坂桃李)のこういうところがいいんだよなと、みんなが頷けるからじゃないだろうか。(以下、ネタバレあり)

桃地の優しさに、みんなが優しい気持ちをもらっている

高見沢(三浦翔平)とキスしたところを見られた蟹釜ジョーこと唯月巴(麻生久美子)=オジ巴(井浦新)は、ショックで逃げ出した桃地を追いかけ、「私が好きなのは桃地だから」と想いを伝えた。

だけど、自己評価が低い桃地は「蟹釜先生みたいな先生が、なんで僕なんか」と素直に告白を受け止められない。

桃地は一貫して自分に自信がない。

初めて巴と出会ったとき、桃地は「モヤオは夢がなくて目標もなくて、息しているだけなところが僕に似てるっていうか」と語っていた。卑下でもなんでもなく、なんだろう。

仕事ではドジをしてばかり。上司に嫌味を言われても何も言い返せず、いつもよくしてくれる職場の仲間が上司から理不尽な言われを受けても、庇う勇気さえない。自分は、キャベ次郎にもピーメンにもなれない。

そんな自分を好きになってくれる人などいるはずがないと思い込んでいた。

巴は巴で「仕方ないじゃん、好きになったら好きなんだから!」と強行突破。自分でもどうして桃地がいいのか説明がつかないようだ。

確かに最初に桃地にサインを書いてあげたのは、ただの気まぐれだろう。自分の描いた『SEIKAの空』をこんなにも愛してくれる人がいる。それは、アンチの書き込みに削られた蟹釜ジョーとしてのプライドを回復させるのにちょうどよかった。

事実、一旦は桃地の連絡先をブロックしていたし、その後、連絡が復活したのも切れたトイレットペーパーを買ってきてほしかったからというだけ。ただの使用人感覚。よくてペット。それくらいの気持ちだった。桃地に洋服を買い与えたのも、逆『マイ・フェア・レディ』のような愉しみを味わいたかっただけなのかもしれない。

じゃあ、どうして巴は桃地のことを好きになったのか。

母親譲りのイケメン好きの血もあるだろう。おつりはいらないと言って渡した1万円札のおつりを丁寧にテーブルに並べて返した几帳面さを好ましく思ったのかもしれない。自分のことを天才だと崇めてくれることに自尊心がくすぐられたのかもしれない。

でもいちばんは、この第6話で見せたような、人の心を優しくする力なんじゃないだろうか。

蟹釜ジョーに対して粘着的なアンチ攻撃をしていたのは、同じスーパーで働く水出清美(阿南敦子)だった。

「アンチ投稿、やめろとか言う気?」と言う水出を、桃地は否定しなかった。アンチにまわる理由は人それぞれ。作品に対する愛情が行き過ぎるあまり暴走してしまったのかもしれないし、家庭や職場で積もったストレスを、アンチ活動によって発散していたのかもしれない。そういう感情を「闇」と名づけて軽蔑するのは簡単だけど、桃地はそれを選ばなかった。手を取り合うことで、仲間になることを望んだ。それは、とっても桃地らしかった。

膨らみ上がる巴への気持ちを処理しきれず、「キャパオーバーなんですぅ!!」と叫んだ通り、桃地の器はたぶん大きくはない。高見沢に嫉妬もしたし、心が広いというのはまた別なんだろう。人間としてはみみっちいし、みっともないところもいっぱいある。

でも、そんな人間臭い桃地といると心が柔らかくなる。ほんの少しでもランキングが落ちたらテコ入れだと騒がれ、オワコンだと嘲笑われる世界で生きる巴にとって、桃地といる時間は何よりもほっとできた。だから、好きになった。

漫画家として成功し、多くのものを手に入れた巴にとって、今いちばんほしかったのは、そういう安らぎだった。

それは視聴者も同じだ。毎日は、しんどい。でも、桃地を見ていると、ピンと張りつめた気持ちがほぐれる。ぶかっとしたパーカーを着た桃地は、部屋の隅にちょこんと置いた充電器みたいだ。

くたくたになって帰ってきた夜も、桃地といるとヒットポイントをチャージできる。そんな感覚を『あのときキスしておけば』を観ながら確かに感じ取っているから、巴と同じ目線で桃地を好きになれるんだと思う。

この恋は、見た目がオジさんであることはもうネックになっていない

桃地の巴に対する気持ちもそうで。漫画に没頭すると異常に口が悪くなる巴を、最初は桃地も怖いと思っていた。でも今は、「『SEIKA』を描いているときの先生は火のようにエネルギーが全身から出ていて、男の姿でも女の姿でもどっちでも美しかった」と思っている。

きっとこれって巴からしたら最高にうれしい言葉だと思う。肌も髪もボロボロになりながら、身を削るようにして漫画を描いて、若い編集者からは怖がられる。そういう自分を美しいと言ってくれることは創作者にとって何よりの喜びで。あれは桃地から巴への言葉だったけど、この社会で目にクマをつくりながら、足をパンパンにむくませながら頑張るすべての人たちへのエールのような気もした。

実はこのドラマはもう巴の見た目がオジさんであることは、恋のネックにはなっていない。

少なくとも桃地はそこをもう気にしていないし、オジさんである巴を抵抗なく受け入れている。

なぜなら、桃地が好きになったのは美しい女性の姿をした巴ではなくて、溢れんばかりの才能を持ちながら、脆く傷つきやすいところがあり、ワガママで口は悪いけど、靴擦れを起こした桃地に絆創膏を貼ってくれたり、泣いている子どもをあやすような優しさもある巴のハートの部分だから。

それがちゃんと視聴者にもわかるように、楽しく、時に繊細に描かれているから、ベッドの上で手を握って横になり、気持ちを確かめ合う2人を見ても、男とか女とかまったく気にすることもなく、それを笑うこともなく、ただ桃地と巴が幸せになれますようにと純粋に願うことができるんだと思う。

だけど、最後の最後でとんでもないことが起きてしまった。ようやくキスしそうになった瞬間、オジ巴の体に戻ってきたのは、田中マサオの魂。これは一時的なものなのだろうか。それとも巴の魂がどこかに消えてしまったのだろうか。

巴は誰かに『SEIKAの空』を早く完結させろと急かされているような気がすると話していた。巴の魂がオジ巴の体に宿ったのは、『SEIKAの空』を書き上げるためだったのだろうか。ならば『SEIKAの空』を完結させたとき、巴の魂はこの世から消えてしまうのだろうか。

「あのときキスしておけば」は好きな女性が男性になってしまったことへのジョークじゃなくて、愛する人を失った者のせつなくて苦しい、惜別の言葉なのかもしれない。<文/横川良明>

※番組情報:金曜ナイトドラマ『あのときキスしておけば』第7話
2021年6月11日(金)よる11:15~深夜0:15、テレビ朝日系24局(一部地域で放送時間が異なります)

※『あのときキスしておけば』最新回は、TVerにて無料配信中!

※過去回は、動画配信プラットフォーム「TELASA(テラサ)」で配信中!