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俳優・三ツ木清隆「人前に出るのもイヤになって…」30歳で倒れ入院、レギュラー全降板&契約解除された過去

『光速エスパー』(日本テレビ系)に主演し、若手俳優として一躍注目を集めた三ツ木清隆さん。歌手としても活動していたが、盲腸の手術の麻酔を受けた後、歩けないほど激しい頭痛に襲われるようになったという。

予定されていたレコーディングを行うこともできず、川内康範さんに破門され、川内さんの奥さまが経営していた事務所も退社することに。芸能界での仕事はもう難しいかもしれないと思っていたという。

◆1本の電話がきっかけで芸能活動再開

一時はからだを起こすこともままならず、ハンマーで叩かれているような激しい頭痛で歩くこともできなかったという三ツ木さん。体調が回復するまでには約1年間要したと話す。

「もう業界を諦めるしかないかなと思っていたんですけど、川内(康範)先生が原作の映画『花の特攻隊 あゝ戦友よ』(森永健次郎監督)に出演したときに知り合ったマネジャーの方から電話があって、『何をしているの?』って聞かれたので、クビになった状況を話したら一緒にやらないかと言われて、また仕事をすることになりました。

そこから青春ドラマの『泣くな青春』(フジテレビ系)とかスポーツ根性ドラマ『決めろ!フィニッシュ』(TBS系)、それから『ウルトラマンタロウ』(TBS系)、『白獅子仮面』(日本テレビ系)につながっていったんです」

-『白獅子仮面』に出るために『ウルトラマンタロウ』を降板されたとか-

「はい。マネジャーが『ウルトラマンタロウ』がすでに決まっていたのに、あとから『白獅子仮面』の話があったということで、主役でしたから強引に入れたんですね。それで両方かけもちしていたんですけど、『白獅子仮面』は京都で撮影だったので、当時あった『寝台列車銀河』で東京と京都を行ったり来たりしていました。

東京で朝からずっと『ウルトラマンタロウ』の撮影をして夜の最終の新幹線で京都に入って、また朝から『白獅子仮面』の撮影をして夜の10時50分に『寝台特急銀河』に乗って朝6時に東京に着く。それでまた東京の撮影所で『ウルトラマンタロウ』の撮影という繰り返し。

それをやっていたら、とうとうほかの俳優さんたちとスケジュールが合わなくなってしまって、『三ツ木君には降りてもらったほうがいいんじゃないか』という話になったらしくて。それで『白獅子仮面』は主役だから降ろすのはかわいそうだとなって、『ウルトラマンタロウ』の西田隊員が宇宙ステーションに転属になったという設定になって、降りることになったんです」

-かなりハードなスケジュールの仕事が多いですね-

「本当にそうですね。でも、エスパーほどではなかったですけど(笑)。最初がエスパーだったので、芸能界ってそういうものかなと思って、そんなにはハードには感じなかったです」

-『ウルトラマンタロウ』を降りることになったときはどんなふうに感じました?-

「しょうがないかなって。最初に『ウルトラマンタロウ』が決まったと聞いたときはウルトラマンタロウ、主役だと思ったんですよね。それが隊員役だったので、『えっ?』という感じだったんです。最初にエスパーで主役をいただいちゃったので、そういう意味では主役慣れしちゃったのかもしれませんけど(笑)。

だから『白獅子仮面』が決まったときにはうれしかったです。それで『ウルトラマンタロウ』を降りなきゃいけないのはしょうがないかなと。それほど未練はなかったかな。そう言うと怒られちゃいますけど(笑)。今だから言えることですけど、諦めはつきましたね」

-『白獅子仮面』は仮面がちょっと怖かったです-

「そうなんですよ。白獅子仮面の顔が怖かったので、子どもが見ていて泣いちゃうんですって。それで視聴率が上がらなかったんですよ」

-江戸時代が舞台の特撮時代劇で、設定もすごかったですね-

「そうですね。僕が演じた剣兵馬(つるぎひょうま)は、岩に挟まれて死にかけていたとき獅子の神さまが現れて助けてくれて、正義の剣士・白獅子仮面となって次々と怪奇事件を起こす妖怪たちと戦うことになる、という話ですからね(笑)。

あれに出てくる化け物が毎回楽しみでした。ハリボテがおもしろかったので。できがすごくいいんですよ。だから白獅子仮面の顔がなんであの顔だったのか残念でしょうがないです。『白馬童子』(テレビ朝日系)のように清楚でカッコよくないとダメだったと思うんですけど、どちらかというと悪役みたいな顔でしたからね(笑)」

◆はじめての京都撮影で洗礼が…

『白獅子仮面』で三ツ木さんが演じた主人公は、ベルトのホルスターに収めている二丁の十手が主な武器。両手で十手をクルクル回し、ホルスターに収める姿が印象的だったが、かなり苦労したという。

「あのシーンは本当に大変でした。監督に『両手で十手を回してホルスターに入れるのは、お前練習な』って言われて指がすりむけるくらい練習したんですけど、ホルスターの穴が小さくて入らないんですよ。

一度地面に十手を付いて体勢を整えてから入れてみるとか、さんざんいろいろ考えたんですけど、どうしてもできなかったので監督のところに行ったら『そこカット割るから』って言うんですよ(笑)。『最初から言ってくださいよ』って監督に言ったら『最初から言うとお前甘えるから。だからわざとそう言ったんだ』って言われました」

-京都での撮影はいかがでした?-

「僕は京都がはじめてだったので、当時はからみの人たち(時代劇の立ち回りでの斬られ役など)が怖かった。すごかったですよ。スタッフやカメラマンも怖かったですね」

-昔、京都でからみの人たちはすごく優しいと思いましたけど-

「それは女性だからですよ。女性にはすごく優しいけど男には厳しいんです。ましてや東京から来たという役者にはね。最初はすごいいじめられるんですよ。洗礼ですね。『今度来た主役はどんな野郎だ?』みたいな感じで手ぐすね引いて待たれていたので、これはやばいなと思って。僕も一応子役からやっていましたから、最初からあいさつに行きましたもん。

差し入れのお酒の一升瓶をもって、『すみません。今度お世話になる三ツ木清隆でございます。どうぞよろしくお願いいたします』って、からみの方たちが所属している『剣友会』から衣裳さん、結髪さん、一通り全部回りましたから、少しはよかったんじゃないかと思いますけど(笑)。

『白獅子仮面』は東映撮影所ではなかったんですけど、はじめて東映に時代劇で入ったときは手代(てだい)の役で、荷物のかつぎ方がわからなくて首にかけてしまっていたんです。そうしたら、からみの普通の通行人の人が『お前、何をやっているんだ? お前は時代劇知らねえだろう。帰れ!』って言うんですよ。きつかったですね (笑)」

-『暴れん坊将軍』シリーズ(テレビ朝日系)など京都での撮影が多いですね-

「そうですね。もうその頃は何度も行っていたので顔見知りになっていましたし、お友だちになっちゃうと本当にいい人ばかりなんですよ。でも、それまでは大変でした(笑)」

-破門されてから川内康範さんとはお会いになったのですか?-

「はい。クビになってから3年くらい経ったとき、マネジャーから『川内先生が来いと言っているから行ってくれ』って言われて、『また何か怒られるのかな』と思ったんですよ。それで戦々恐々として指定された赤坂のバーに行ったんですけど、もうおひとかた時代劇プロデューサーの方がいらして、先生が『おー、来たか。こいつはな、俺が可愛がっている三ツ木清隆だ』って言うんですよ。

『可愛がっているって、全然会ってないじゃない』って思ったんですけど、『こいつもようやく最近一人前になってきたから、今度何かいい話があったら主役やらしてくれ』って言ってくれたんです。

『先生は僕のことを忘れてなかったんだ。許してくれたんだ』って思って、『先生、ありがとうございます』ってお礼を言ったら『うん、いい。じゃあもうお前は帰れ。あとはこっちで打ち合わせがあるから』って(笑)。先生はそういう人だったの。

それで本当に時代劇のお話が来たんですよ。『白獅子仮面』とかいろいろ仕事が入っていてできなかったんですけど、先生のおかげでオファーが来たんです。先生はそうやって気にはかけていてくれたみたいです。怖いんですけど、そういうふうに本当は優しい人なんですよね、先生は。

でも、最後まで前に出ると硬直してまったく自分の話ができなかったです(笑)。茶飲み話とか普通の打ち砕けた話はできませんでした。あの頃は若かったですから」

◆超多忙で精神的に追い詰められて…

仕事を再開して最初に決まった仕事が、初主演映画『さえてるやつら』(吉松安弘監督)。『ウルトラマンタロウ』、『白獅子仮面』をはじめドラマに多数出演し、さらに1983年に発売した楽曲『秋冬』がヒットし、「全日本有線放送大賞新人賞」を受賞。歌手としても多忙な日々を送ることになっていく。

「『さえてるやつら』という映画も監督がものすごくこだわる方で、撮影が終わったあとリハーサル室で次の日に撮影するリハーサルと、その日の撮影のダメ出しの両方があるんです。ずっとそんなことの繰り返しで、砧に撮影所があった頃ですけど本当にバテました。僕だけじゃなく、あの頃はみんな過酷でした。

あのときの監督は吉松安弘さんという方で、いまだに忘れませんけど作家さんになっちゃったんですよね。どっちかというと現場の監督よりも脚本家の方が向いてるような方で、考え込んじゃうんです。現場で芝居が気に入らないと、『うーん』ってそのまま動かなくなっちゃう(笑)。『何かダメを出してくれよ』って(笑)。

『こうやって』とか言ってくれるといいんですけど、それも言ってくれないんです。そんな感じであの作品も半年くらいかけて撮影していました」

-子役からずっと仕事をされていますが、大変な時期は?-

「ありました。僕の場合は30歳くらいまでは結構順調でした。それで30歳のときに『秋冬』という曲を出して、日本有線放送大賞新人賞をいただいて一応ヒットしたんです。そのときに、ドラマも3本くらいレギュラーがあってかけもちをしていたので、ものすごく忙しくなっちゃって、飛行機だとか新幹線や車に乗っているときしか寝る時間がなくなってしまったんですね。

そんなことを半年ぐらいやっていたら、ちょっと精神的に追い詰められ、人に会うのもイヤになって、人前に出るのもイヤになって…。それで現場で倒れちゃって入院して、とても仕事ができる状態ではなくなってしまって。3本くらいレギュラーがあったんですけど、全部途中で降板しなきゃいけなくなっちゃったんです。

大損害でしょう? そのときには新しい事務所だったんですけど、事務所も全部手を引いちゃって、『そんな状態なので、君とはもう契約できません』と言われて契約を解除されました。

当時はやたらと薬を飲まされるんですよ。精神的に不安定になって薬を与えられて、薬を飲むと眠くなって寝ちゃう。その繰り返しなので、余計普通の生活から隔離されていっちゃって、追い詰められていって、『もうおそらくもとには戻れないんじゃないか』と自分でも思いました」

もう芸能界の仕事はムリだろうと思っていたという三ツ木さんだが、しばらく療養したあと旅番組のリポーターとして仕事を再開することに。

次回後編では、リポーター業で復帰、作曲家・遠藤実さんの遺作となった楽曲、小倉一郎さん、仲雅美さん、江藤潤さんと組んでいるユニット「フォネオリゾーン」も紹介。(津島令子)

※「フォネオリゾーン」
デビューシングル『クゥタビレモーケ』発売中
三ツ木清隆、小倉一郎、仲雅美、江藤潤の4人で結成された新ユニット。
赤や青の派手なコスチュームに身を包み、歌って踊って大ハッスル!

※『リモートクイズQQQのQ
YouTube『日本フォネオリレコード』のチャンネル
出演:三ツ木清隆 仲雅美