升毅、念願だった東京進出は“40歳”のとき。95年震災の影響で仕事なくなるも「神様はいるんだ」
1981年、映画『ガキ帝国』(井筒和幸監督)に″明日のジョー″役で出演して注目を集め東京進出を勧められるも、まだその時期ではないと判断して大阪に留まることにしたという升毅さん。
1985年に劇団「売名行為」を結成して1991年に解散すると「劇団MOTHER」を結成。人気劇団となり、2002年に解散するまで升さんは主宰・座長をつとめていた。
◆40歳のときに転機となるドラマと映画のオファー
1995年、劇団の活動に加え、ドラマ・映画の撮影と忙しい日々を送っていた升さんは、ドラマ『沙粧妙子-最後の事件-』(フジテレビ系)と映画『7月7日、晴れ』(本広克行監督)に出演することに。
「『沙粧妙子-最後の事件-』と本広克行監督の初監督作品がほぼ同時にきて、『何だ? これ、どうしたんだろう?』と思って。ちょうど阪神淡路大震災の年で、 1月に関西のトップクラスが集まるプロデュース公演をやることになっていたんですけど、『どうする?』みたいな話をしながら公演をやったりしていました。
その頃僕は神戸のFMでレギュラー番組をやっていて、それが結構な割合の生業(なりわい)だったんですけど、震災で全部なくなったりして『この先どうしよう?』というときだったんです。そんなときに東京からドラマと映画のお話が来たので、『神様はいるんだ』という感じでした。でも、念願の東京なので中途半端に大阪からというのではなくて、『もう東京に行く』と言って東京で一人暮らしをはじめました」
浅野温子さん主演のドラマ『沙粧妙子-最後の事件-』で升さんが演じたのは、元プロファイリングチームのリーダーで沙粧妙子の元恋人、そして猟奇殺人者となってしまったIQ187の天才・梶浦圭吾。インパクトのある演技で見る者を震え上がらせた。
-衝撃的でインパクトがありましたね-
「本当に、ありがたいですよね。『ガキ帝国』のときもそうでしたけど、『こんないい役で?』って本当に思いました。インパクトのある役で、いまだにあの時代にドラマを見ていた方皆さんおっしゃいますから」
-東京に出てらしたのは40歳のときだったのですね-
「そうです。僕はそのまま劇団も両立させるつもりでやっていたので、それがずいぶんネックになっていました。劇団はまだ大阪の事務所に残していましたけど、僕は今の事務所に入れてもらって。そこからまた新たにやりつつ、でもやっぱり劇団がネックになるというのがどうしてもあって、最終的に11年で解散という形になったんですけどね」
-よくそこまで続けられましたね-
「だましだましだったんですけれどもね。演出のG2というのがいろいろと考えてくれていました。ちょっとお願いしたんですよ。『僕が出ない芝居があってもいいじゃん』って。でも、基本的に『升さんが出ない芝居はMOTHERの芝居じゃない』というのがあって、『それはムリです。どんな形でもいいから出ましょう』って言われて(笑)。
それで、たとえばスクリーンに映像だけで出るようにしたり、本当に出られる日は生で舞台に出ちゃうとか、いろいろ考えてくれてやっていたんですけど、さすがにもうムリだということになって…。僕とG2の中で、お互いに『もうちょっと限界かな』みたいなのがあって解散しました」
◆62歳で初主演映画『八重子のハミング』に
本格的に東京進出をはたした升さんは、連続テレビ小説『あさが来た』(NHK)、『ショムニ』シリーズ(フジテレビ系)、映画『おかえり、はやぶさ』(本木克英監督)などのドラマ・映画に多数出演。舞台で培った確かな演技力で実力派俳優として活躍。2017年には現在公開中の映画『大綱引の恋』が遺作となってしまった、名匠・佐々部清監督の映画『八重子のハミング』に主演する。
※映画『八重子のハミング』:自身が4度のがん手術を受けながらも、若年性アルツハイマー病を発症した妻を約12年間に渡り介護した様子を綴(つづ)った陽信孝氏の同名著書を映画化。
-『八重子のハミング』は佐々部監督が構想に8年かけたそうですね-
「そうです。もともと原作があってそれを大手の映画会社がやると言ったんだけど、何も言わずにポシャっていたというのを知って、監督が『意地でもやる!』と言ってから8年でした。企業を回ってお金を集めるところから監督が全部やられていました」
-升さんにお話が来たのはいつ頃だったのですか-
「僕は2014年に『群青色の、とおり道』という映画で佐々部監督とはじめてお会いしたんですけど、その映画が公開されたときに『読んでみてください』と言って台本を渡されました。
なので、おそらく『はじめまして』でやってみて、『いけるな』と思っていただけたんじゃないかなと思うんですけど、脚本を読んで『ぜひやらせてください』ということで」
-そこからクランクインするまでにまた2年間ですか-
「そうですね。その間に監督もほかに撮るべきものがありましたし」
-いろいろなことがあっただけに実際に撮影がはじまったときは思いもひとしおだったでしょうね-
「その手前まではもうすごい思いばかりで、どうしたらいいのかわからないみたいな感じで、『ああでもない、こうでもない』って。そうこうしているうちにご本人の映像も送られてきて、実際に八重子さんを介護していた陽(みなみ)先生のドキュメンタリーみたいなのを見てしまったので、『この人をやるのか』というのがすごいプレッシャーになって、『勝てない、できない』って。
それで、『どうしたらいいんだ? どうしたらいいんだ?』みたいなのがちょっとあったんですけど、監督に『升さんでいいんです』って言っていただいて。それで、『ただ、撮影の期間だけでいいので、(高橋)洋子さんのことを好きで好きで好きでいてください。それだけでいいです』と言われて、ちょっと楽になりました。
クランクインの前に洋子さんとも何回かお食事をしていて、何て可愛らしい人なんだろうと思っていたので、このままの気持ちで入ろうと思って。そこから先は何も考えずに初日の現場に行ったんですけど、もうその世界ができていて、ここにいればいいんだという感じでスタートしたので撮影の間は何も悩まずに最後までいけました」
-主演ということでのプレッシャーは?-
「それもクランクイン前はありました。でも、行ってやってみてわかったのは、やっぱり舞台の座長とは違うんだということ。映画に主演するからといって何もかもできるわけじゃなくて、撮影部にはチーフカメラマン、撮影監督というボスがいて、照明部や美術部など各セクションにボスという主演がいるんです。
その人たちがちゃんとやってくれるから俳優部としての主演はそこにいればいいという、そういうことなんだというのがわかって、それもちょっと楽になりましたね」
-撮影はわずか13日間だったとか-
「かなりタイトなスケジュールでしたけど監督は早いので。全部頭の中でできていて、ムダなものを撮らないので早いから撮れるということですよね」
-相手役の高橋さんは28年ぶりの映画の撮影ということでしたね-
「そうです。本当に表情が豊かで、僕はすごく救われました。この人の横にいればいいという感じでした」
-風景もきれいでしたね。映像も優しい感じで-
「そうですね。用水路のほとりを2人で手をつないで歩いているところとか、椿のところや山の上から見た景色もすごいきれいですし、一つひとつ全部が実際に八重子さんが通った景色だったので、それだけでもう十分でした」
―原作の舞台でありロケ地だった山口県萩市の皆さんが食事のケータリングもしてくださったそうですね-
「はい。地元のお母さんたちがやってくださいました。監督がむちゃぶりをして。『1食ひとり何百円しかありません』って言ったら『そんなのいいのよ』って、自分の家からお米や食材をもってきていっぱい作ってくださって」
-そういうあたたかさがスクリーンから伝わってきますね-
「そうですね。自分で見ても自分が出ている感じがあまりしなくて、『ああいいなあ』って普通に泣いていましたね、みんな」
-人間必ず老いていくわけですけれども、あの作品に出たことによって何かご自身の中で変わったことはありますか-
「優しさですかね。それまでも僕は自分をそんなに優しくない人間ではないと思っていたんですけど、あの作品に関わって、優しさだけでこれだけいろんなことができる、『あれをやってあげよう、これをやってあげよう』じゃなくて、『この人に優しくしたい』というだけでできてしまっていたんだなということがすごく感じられて、『もっともっと優しくなれるときはなりたいな』って思いました」
-劇中、「優しさには限界がない」というセリフがありましたね-
「はい。『怒りには限界があるけれど、優しさには限界がない』というセリフがあります。まったくその通りだなと思いますね」
-舞台あいさつなどでも佐々部監督と升さんのすごくいい感じの信頼関係を感じました-
「そうですね。年もふたつ違いで近かったですし、監督と俳優の一線を越えた感じでした」
それだけに、2020年3月31日に突然監督が亡くなったショックは大きかったという。
次回後編では佐々部監督の遺作となってしまった映画『大綱引の恋』の撮影裏話、監督と過ごした日々、イケおじぶりが話題になったドラマ『おじさまと猫』(テレビ東京系)の撮影エピソードも紹介。(津島令子)
※映画『大綱引の恋』全国公開中
(緊急事態宣言の発出に伴う休館のため一部劇場で公開延期。各劇場での上映日程は、公式サイトでご確認ください)
配給:ショウゲート
監督:佐々部清
出演:三浦貴大 知英/比嘉愛未/中村優一 松本若菜 西田聖志郎 朝加真由美 升毅 石野真子
有馬武志(三浦貴大)は35歳で独身。鳶(とび)の親方で大綱引の師匠でもある父の寛志(西田聖志郎)から、早く嫁をもらって、しっかりとした跡継ぎになれとうるさく言われていた。ある日、ひょんなことから韓国人研修医のジヒョン(知英)と出会い、しだいに惹かれるようになるが…。